心のない君に愛情を。

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 結婚率と出産率の低下による、高齢化社会や少子化問題を打破するために、政府は『恋人ホムンクルス』というものを導入した。  これは、役所で理想の結婚したいと思える恋人像の特徴などを書いた書類を提出すると、希望通りのホムンクルスを造ってもらえるというものだ。  今では自然に生まれた人間より、『恋人ホムンクルス』と恋人同士になり、そして結婚したほうが結婚生活がうまくいき、離婚率まで下がり、おまけに国民の幸福度も急上昇した為、『恋人ホムンクルス』を申請することが一般的な社会になっている。  大学を卒業し、憧れだった出版社に就職した俺も、そんな『恋人ホムンクルス』の申請書を役所に提出した。 『恋人ホムンクルス』を申請してから一年と数ヶ月で、彼女は家に来た。 「葉桜ヒナミです。以後、よろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしく……」  にこりともしない彼女は、表情筋だけではなく、もっと何か大事なものを失くしているように見えた。  そんな不安を感じた俺に、中年の公務員の男が深く頭を下げた。 「申し訳ございません‼このモノは、感情を持たない欠陥品でして……。新しいモノができるまで、このモノを預かってもらえないでしょうか……」 「……新しい『恋人ホムンクルス』ができたら、彼女はどうなるですか……?」 「処分いたします」  処分。  その単語を聞いて、俺の中に怒りが湧き上がった。  昔に読んだ作品の影響だが、たとえ人間によって造られた存在であっても、その存在の命を粗末に扱うことを俺は許せなくなったのだ。  人間の勝手な都合で生み出された『恋人ホムンクルス』は、人間に造られた存在とはいえ、命ある尊き生命体であることは、人間と一緒だ。  ホムンクルスだからという理由で、簡単に処分する政府の考えに唾を吐きつけたくなった。 「新しいホムンクルスは必要ない。俺は彼女が良い。分かったら、帰ってくれ」  困った様子の公務員の男は、何かを言いたそうにしたが、結局は何も言わずに帰った。 「よろしいのですか?私のような欠陥品で」 「君は……欠陥品じゃない。たとえば、そう生まれて間もない赤ちゃんのようなものなんだ。人間も生まれたての頃は全ての感情があるわけじゃない。成長と共に心を知っていくんだ。俺は……君も心を知ることができると信じてる。……いや、そうであってほしい」 「心を知ることができるのですか……」 「そう信じれば、叶うと思ってる」  ヒナミは、何かを考える素振りを見せたあとに、分かりましたと、告げた。  俺の昔の夢は作家だった。  高校生の頃に、自分の才能の無さを自覚し、その夢は捨てたが、今は趣味として、インターネット上の小説投稿サイトで物語を生み出している。だから、小説を書くのに必要な資料などは捨てていない。  その中から一冊を選び、それをヒナミに渡した。 「感情単語辞書……ですか」 「まずは、その辞書で様々な感情を認知してもらうのが良いかと思って……」  辞書を開いて文字を追うヒナミは、不思議そうに言った。 「何故、最初は愛に関する単語ばかりなのですか?」 「愛というカテゴリーが、五十音順的に一番最初だからだ」 「なるほど……」  しばらく、愛に関する単語の説明を読んでいたヒナミは、ふと顔を俺のほうに向け、こう問うた。 「貴方の私へ抱く感情は何ですか」  予想もしてなかった質問に、一瞬面食らったが微笑んで答えた。 「愛護かな」 「愛護……。愛しいという感情から対象を守りたいという感情ですね」  ヒナミは少し黙った。 「貴方は私が愛しいのですか」 「愛しいのもあるけど、守りたいという気持ちのほうが強いかな」 「そうですか……」  愛護。  そう呟いて、ヒナミはまた辞書に目を通した。  辞書を与えてから、ヒナミは事あるごとに、俺が今、どんな感情を抱いているか質問してくるようになった。 「私の作った料理を食べて、どんな感情を抱きましたか」 「私の今日の髪型を見て、何を感じますか」 「その表情は、どんな感情から来るものなんですか」  一生懸命、心を知ろうとしているのだろうか?  そうだとしたら、それらの様子に父性に似たものを感じて、微笑ましかった。  ヒナミと一緒に暮らし始めて、春夏秋冬、全ての季節を共に過ごした。  そんな、いつもと何も変わらない休日の朝。ヒナミは合鍵を俺に返そうとしてきた。 「どうしたんだ」 「どれだけ頑張っても分からないのです。心が……。」 「まだ、諦めるには早いよ」 「無理です。私は、やっぱり欠陥品なんです……。貴方へ向けている感情の名称が分かりません……」  そう言ったヒナミの瞳から  涙が零れ落ちた。  何だ、あるじゃないか。  感情が。心が。そして、きっと愛情も。 「ヒナミ……。俺は君と一生を共に過ごしたい……」 「その判断は、どの感情から来るんですか?同情ですか?親愛ですか?」 「恋愛、情愛、慈愛、そして純愛だよ」  もっと、いろんな感情があるはずだが、それを模索するよりも先に、俺は彼女を抱きしめた。 「俺は、君をーーーー」  好き(好む)……愛顧、愛好、好意、好感、夢中、いとしい。
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