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「おかしなことを言うな。帝に神の守りがないなどと」
「それが、先の帝の時に守護門の一つが崩れただろう?」
「ああ、大きな雷が落ちて焼け崩れたな。だがその後すぐに、建て直されたではないか」
「今の帝は、落雷の時に身籠もっておられた妃の御子よ。門が直る前にお生まれになられた。その為に、代々の皇帝のように四神の守護をお持ちではない」
「……守護の足りぬ皇帝だと言うのか」
人の口に戸は立てられない。先代の皇帝が崩御され、東宮が新帝として即位されてからというもの、国は様々な困難に襲われた。干ばつ、嵐、大河の氾濫。そして、近年は闇に紛れて都に悪鬼が現れるようになった。不安から生まれた言霊は人々の口の端に上るうちに、大きな力を持つ。
俺を乗せた白狼は離宮の庭園に音もなく降りると、あっという間に姿を消した。
「戻られましたか。御無事で」
回廊に近づくと、佇む宮女がほっとしたように囁いた。
「皇弟殿下がお呼びです。お部屋でお待ちでいらっしゃいます」
静まり返った宮に人の姿はない。自室に戻れば、数日前に贈られた装束が台の上に置かれている。
(これ、一応着ていった方がいいんだろうな……)
いつも同じ服を身につけているのが気になるのかもしれない。どうやって着るのかと悩んでいたら、部屋に控えていた侍女が着替えを手伝ってくれた。身につけた綺羅綺羅しい女装束は、嫌になるほどぴたりと体に合っている。
宴の楽の音が、僅かに開いた透かし格子の窓から聞こえてくる。自分を呼ぶ当人は、宴に参加していたのではなかったのか。
自室を出て、誰もいない長い廊下を歩く。部屋の前に立つと、左右に控えた者たちが音もなく扉を開けた。奥に進めば一人の年若い公子が物憂げに長椅子に腰かけている。
こちらを見るとぱっと顔が輝き、目元が柔らかくなった。
「戻ったか。……なかなかよく似合う」
機嫌よく微笑む姿に思わず口が尖ったが、深々と礼を取る。
「お戯れを。何故こんな装束を?」
「近頃どこへ行っても、離宮に部屋を与えた相手は誰かと問われるのだ。女人を囲ったと思われる方が話が早いかと」
悪戯な表情を浮かべる公子の言葉に感心しつつ、それはそれで別の問題を招く気がした。
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