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「そういえば、今宵は帝の宴に行かれたと思っていました」
「顔は出した。だが、呑気にいつまでもいては、兄上の御不興を買うからな。酔いを醒ます振りをして抜け出してきた」
兄である皇帝とよく似た美しい公子には、同父母を持つ尊き血が流れている。だが逆にそれがよくないらしい。
――帝より七歳下に生まれた公子は、美しく賢く健やかで何の怪しい気もお持ちにならぬ。ならばいっそ新しい帝に……。
昨今では宮中の人々の言葉が噂となって皇帝の耳に入り、兄弟の仲に影を落としている。
「尊い身とお生まれになっても、なかなか大変なものですね」
「口さがない者が多くてな。帝には既に東宮もおいでになるというのに」
まだ幼いが、皇后を生母に持つ東宮は、守護神の守りに欠けた皇帝の子と言われている。このままでは廃嫡の憂き目に遭いかねない。後宮の妃たちが次々に病に伏していることもあり、宮中には重苦しい空気が立ち込めていた。
「こちらへ」
呼ばれるままに長椅子に腰を下ろすと、公子はすぐ隣に体を寄せた。
侍女は装束を着つけてくれたついでに髪も結ってくれた。金の簪の揺れる飾りを、白い指先が弄ぶ。一目見ただけなら、自分は公子のお側に侍る女性に見えることだろう。
「……危うい目には遭わなかったか?」
「何も。ただ、大路では兵士たちが倒され、死人を喰らう鬼たちが闇の中を蠢いております」
公子の眉がひそめられた。
「禍々しい気が入り込んでいるのは西です。これもみな、邪気を祓う神がおられぬからではと」
「西の守りが手薄だと言うのか」
頷くと、大きなため息が聞こえた。
「守護門が崩れたのは、我が誕生するより前の話だ。すぐに門は建て直され、神は元通り都を守護されたはず」
「まさか真に神がおられぬとは、誰も思わないでしょう」
――邪気を祓う白虎の守護が失われた。その事実は、大いなる皇帝の威信さえも揺るがすに違いない。
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