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3.朱雀と青龍
――離宮の庭なら自由に出歩いてもよい。
来た時からそう言われているが、宮殿は広大で、どこまでが離宮の庭なのかもよくわからない。
(この半年、見回って来た外の方が宮中よりもよほどわかりやすい気がする)
突き抜けるように青い空に、蓮が浮かぶ広い池。橋が渡された先には一休みするための亭もある。俺には離宮の美しい庭の中に、毎朝早く通う場所があった。
蓮池のほとりに深山幽谷を模して積み上げられた岩々がある。山となった奇岩の岩肌を清水が幾筋も流れ落ちていく。岩と岩の間の小さな窪みに溜まった澄んだ水が、ちょうど鏡面のようになるのだ。
ひょいひょいと岩を登り、清水の溜まった窪みを覗き込む。
(水鏡……。バイを映して)
俺は強く願って、水に触れた。水面に漂う小さな波紋が収まる頃、求めるものが映し出されるはずだった。
じっと目を凝らしても、泉に映るのは小さな自分の顔だけだ。眉を顰めて、今にも泣きそうな瞳をしている。
「……今日もダメだった」
遠く離れた里の様子でさえ、望めば映し出すことができるのに、都にいるはずの幼馴染の姿が映らない。俺の先見は今まで一度も外れたことがないのに、何故バイだけが見つからないのだろう。
宮中に来てからは雑多な気が多すぎて、なかなか先見もうまくいかない。じわりと浮かんだ涙が、水の中に落ちた。
「其方、そこで何をしておる!」
突然響いた甲高い子どもの声が耳をついた。ふと地上を見ると、七、八歳になろうかという男子がこちらを見上げている。絹の上等な衣装を見ても貴人の子弟だろう。この庭に入り込めるとは、相当身分が高い者のはずだった。子どもはきっと睨むようにこちらを見ると、いきなり沓を脱ぎ、手近な岩に手をかけた。
「えっ、ちょっと危ない……」
衣装が汚れるのも気にせず必死で登ってきたものの、子どもの手がつるりと滑る。
「わっ!」
「白狼!」
宙に現れた狼は落下した子どもが地に叩きつけられそうになった瞬間、体を張って子どもを庇った。ドン! とぶつかった衝撃で子どもは草の上に転がり、狼はぶるる、と体を震わせて起き上がる。
俺は急いで岩を降りて子どもに駆け寄った。子どもは呆然として白狼を見ている。
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