バルトside不本意な行動

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バルトside不本意な行動

 なぜこうも気になるのだろう。今回の遠征がこの付近であると判明してから、ここ数日胸が騒ついて落ち着かなかった。だから野営地に到着後、山5つ先にパーカス殿の家があると地図で確認すると、イライラと天幕の中を歩き回っていた。  パーカス殿の家を訪れて無作法な真似をしてしまってから直ぐに、私はあの明るい緑目の幼な子のために、王都で人気の焼き菓子を見繕って辺境の地へ送った。そうすべきだと思ったし、あの子を傷つけた私の心が軽くなるかもしれないと思ったからだ。 パーカス殿からは何も返事はなかったが、別にお礼のカードの一枚期待していた訳でもない。実際パーカス殿が怒っていたのは確かだったし、簡単に許してもらえるとは思っていなかった。 けれどふとした瞬間に、あの苦しげな瞳から大粒の涙が溢れるあの子の顔が浮かんでくる。それは私を悩ませた。もう二度と会わないかもしれないあの子の事など、気にする必要はないと自分に言い聞かせても、ズキズキと胸の奥が騒いだ。  私は少しはこの胸の痛みが和らぐ気がするせいで、王都で菓子が話題になる度にその店に足を運んであの子へ贈った。そんな私らしくない行動のせいで、赤龍のブランが私にニヤつきながら尋ねて来た。 「なぁ、バルト。最近王都で目撃されてるぞ?青龍の若き騎士様が王都の有名店で菓子を買い漁ってるってな。それも何処かに送っているらしいじゃないか。お前も隅に置けないな。意外だな、お前にそんな相手が出来たなど。相手は誰だ?美しい女か?それとも綺麗な男か?」  私はブランをジロリと睨んで言った。 「別にそんなあれではない。…パーカス殿の幼な子に菓子を贈っているだけだ。随分泣かせてしまったからな。流石に私も悪い事をしたと気が咎めるのだ。」 するとブランは目を見開いて驚いた。そんなに驚く様な事だろうか。ブランは一人で何かブツブツ独り言を言うと、腕を組んで何やら考え込んだ。それから私に言った。  「そうなのか。まぁ、バルトが本質的には冷徹ではないと知っている私にしてみても、ちょっと驚いたがな。悪い事じゃないし、あの可愛らしい子が喜んでいるのは予想がつくしな。」 私はブランを見つめて尋ねた。 「喜んでいるだろうか。」 ブランはまた目を見張って、戸惑いの表情を見せながら頷いた。 「…ああ。小さな子供は甘い菓子が好きだろう?ましてあの辺境では王都で売っている様な菓子は食べられないだろうからな。…返事は無いのか?」  パーカス殿から形式ばったカードは最近届いたけれど、あの子はまだ小さくて、きっと読み書きも出来ないのだろう。あの子の気配は何も感じられなかった。それは酷く私をがっかりさせた。ブランと話した事で私はあの子と繋がりを欲しがっているのかもしれないと気がついた。 だからと言って何も出来ることは無かった。パーカス殿と辺境の地に居るあの子とは繋がりようも無かった。 だけど今、目と鼻の先にパーカス殿の家があるこの場所に居る。夜ならば自由時間だ。少し飛んで行って会っても良いかもしれない。そう天幕の下で歩き回って考え込んでいた。  しかし夜はパーカス殿はともかく、あの一際幼いあの子はぐっすり眠っているだろう。私はその事に気づいて、歩きを止めた。けれどその事実が私を動かした。あの子に会わなくて済む。私を見て顔を顰めるかもしれないあの子に会えないと分かった今、私は竜になって空を飛んでいた。 半刻ほど飛んだだろうか、夜目の利くこの身体はポツンと切り開かれた野原に魔力のドームを感じて、そこ目指して降りて行った。さすがはパーカス殿だ。前回も思ったが、これだけの防御を魔法陣に絡ませられるのは彼の方の実力が未だ衰えていないと示す様だ。  人型に戻ると気配を消して柵のそばまで近寄った。家は真っ暗ですっかり寝静まっている。じっと見つめながら、自分の行動が酷く滑稽に思えた。会う気もないのになぜ嬉々としてここまでやって来たんだ?我ながら馬鹿げた行動だ。 独り苦笑して、もう帰ろうと顔を上げると、窓辺にあの子が立ってこちらを見ていた。私は足が縫い付けられてあの子を見つめた。あの子は小さくて玄関を開けることも出来ないだろう。出てくる事はない。それは寂しい様なホッとする様な矛盾した気持ちだった。  するとあの子は部屋から椅子を窓辺に引き摺って来てテラス窓の鍵を開けると、キイと窓を開けて顔を覗かせた。それから私をじっと見つめた。私の心臓はドキドキとなぜか早く打ち始めた。あの子と話が出来る? 固まった私に向かって、あの子は以前よりもなめらかな動きで、とは言えよちよちと庭を真っ直ぐ横切ってこちらに近づいて来た。私は柵の側に突っ立って、食い入る様にその姿を見つめた。 何て可愛らしいのだろう。私はこんな守られるべきこの子をあの日悪意そのもので傷つけた。その事実は私を一段と苦しめた。柵の近くまで近づいたその子は用心深く私を見上げると、少し迷った様に話し出した。  「ぱーかちゅ、まもろたおちて、ちゅかれたの。んーと、ごよう、なんでちゅか?」 私は無意識に微笑んでいた。寝ていたのだろうか、少し癖のついた黒髪がふんわりと小さな顔を覆っている。大きな垂れ目と膨らんだ頬が、抱き上げてキスしたい可愛さだった。 「…近くまで遠征で来たので寄っただけなのだ。だが訪問には夜遅過ぎたな。パーカス殿によろしく伝えてくれ。私はバルト、バルトだ。」 口を開いても気の利いた事など何も言えなかった。大体幼な子にどう話をして良いかも分からない。 「わかっちゃ…れす。んーと、ばると?…おいちーおかち、ありがちょ。ちゃよなら。」 思いがけない事を幼な子から言われて呆然として居ると、あの子は一生懸命走って居るのか、少し早いよちよちで庭を横切って戻って行った。周囲をキョロキョロ見てるのは暗闇を怖がって居るのだろうか。  テラス窓を閉めて、もう一度椅子の上に乗って鍵を閉めるあの子を見守っていると、あの子はこちらに手を振って部屋の奥へと消えて行った。 私は緊張を解くと、大きく息を吐き出した。あの子の瞳は夜でも内面から滲む様な明るい緑色だと思った。私は浮き立つ気持ちのまま、勢いよく空に飛び立つと、野営地目指して羽ばたいた。あの子が私の名前を呼んで、たどたどしくありがとうと言った可愛らしい声が耳に残って、胸の奥を温かくした。 恥ずかしげにはにかんだあの子の顔が、胸の奥に焼きついている悲しげな表情の記憶を塗り替えていく様な気がして、ずっと重く感じていた胸が軽くなった気がした。来て良かった、本当に。
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