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どれだけの時間が流れても、僕という男は女々しかった。
トラウマ級のイヤリングも捨てられないまま月日が通り抜けても、僕の心の何処かに図々しく住み着いた性悪女が今だに脳裏を過る今日この頃。
「先輩、相変わらず暗いっスね」
鼻でフッと笑った声の主は僕の直属の後輩で、『同僚キラー』とも名高い社内随一のモテ男。デリカシーの無い彼は呆れたように僕の肩を叩くと、「もう1年なんですねー」と態とらしく傷を抉る。
「……煩い」
振り返らずに馴れ馴れしく置かれた手を払い除けた僕は、大きく溜息を吐いてパソコンの画面を見据え、邪念を誤魔化すように「そんな無駄口叩いてる暇があったら、さっさと仕事しろよ」と言い返した。
「うっわ……これだから彼女さんに逃げられるんスよ。青息吐息もいいですけど、程々にしないと幸せ掴み損ねますよ?」
意に介するどころか少し楽しそうに毒舌を披露した彼は、悪怯れる様子もなく隣のデスクに腰を下ろす。
あれから1年。
5年も付き合った女が、他の男と結婚する悪夢を見たあの日。
考えるだけで胸の奥が酸っぱくなるような、痛く苦々しい現実から逃げるように仕事へ熱を上げた僕は、望まぬ功績として少しだけ昇格していた。あんな思いをするのは一度で充分、もう二度と気の迷いなんて起こさないと決意した僕は、朴念仁よろしく自宅と会社を行き来するだけの生活を営む。
「あのー、先輩ってこの後、空いてます?」
あれだけ冷遇を受けても懲りない彼は思い出したように僕を窺うと、含みのある笑みを浮かべながら目を細めた。
「急ぎの用は無いが、くだらない事に付き合う気はない」
「その言い方……せっかく駅の横に出来たばっかのファミレスで景気付けでもと思ったのに。本ッ当、高嶺ちゃんが寿退社してから心が荒んでますね」
「彼女は関係ない……これは元々の性格だ!余計な事ばっか言うなよ」
『高嶺』という苗字が後輩の口から飛び出した途端、背筋が凍り付くような思いで目を見開いた僕は、彼の次の句を塞ぐように言葉を重ねて反発する。最早それは反射的な出来事で、勢いが勝手に弾んだ言の葉は、回収出来るはずもなく僕の後悔をすり抜けてオフィスの空気を淀ませた。
「……ごめん」
周りのなんとも言い難い空気に口を噤んだ僕は、居ても立っても居られず席を立って喫煙ルームを目指す。
今までタバコになんて1ミリも興味すらなかったのに、心の隙間を埋め合わせる何かに縋った弱い僕が堕ちた先の拠り所は、いつもと変わらない苦さを帯びて肺を満たしてくれる。噎せ返るようなその煙たさに包まれ瞳を閉じた僕は、どう転んでも上手くいかないちっぽけな残りの人生にうんざりして、飲み込んだ泣き言ごとふぅ……っと吐き出した。
──何やってんだろ、本当。
纏まらない思考を煙に巻いては心根を嘘で塗り固める生涯の中で、過ごしてきた全ての選択を「じゃない方」で選び続けていたのなら、もっとマシな今を摑み取れていたのだろうか?
立ち込めるヤニっぽい香りが鼻から抜けて逃げ去るのをただボンヤリ見送った僕は、紫煙の揺らぎに冷静さを呼び戻して吸い殻を力無く灰皿に放った。
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