31、造花職人の末裔

7/7
前へ
/293ページ
次へ
 本来であれば、そこは何も見えないはずであったが、ロサカニナが少しだけ景色の明度を上げ、起きたことを見せてくれる。  地上の環境は一変した。暗闇の中で人の子は生きることを強いられ、土竜(もぐら)のように手探りで生活を続けていく。風が吹き荒れ草木は育たず、食物にも乏しい厳しい世界であった。 「主に地下で暮らすようになった人々は、光る石を発見しました。光のほとんどは去りましたが、石がその一部を吸収していたのです。そして光に飢えていた人の子達は、その石を――食べました」  そうすることによって、再びわずかな魔力を操れるようになったのだ。魔術によって人工の光を生み出す者が現れ、多少暮らしは楽になった。  無我夢中で石をつかみ、口に詰め込んでいく人の子を見ていたジェードが、ロサカニナの方を向く。 「この者達が我々人間の祖先だとすると、現在の人間が誰であろうと石や石の粒を体内に持っている理由は、これなのか?」 「そうかと思われます」  ここからまた、長い時間をかけて人間達は数を増やしていく。石を食べて生き残った人の子は、体内の石をも子孫に受け継いでいったのだ。  リーリヤは漆黒の天を仰いだ。一点の光も灯らない大空に、花が咲く気配はない。光の塊である太陽と、冷たく輝く月。この二つの天体は完全に消滅してしまったようだから、変わって地上を照らすのは花の太陽のはずだろう。 「太陽の花はいつ出てくるのです?」 「それは、花の王が……」  ロサカニナが言いかけ、重要なことを思い出したリーリヤは彼に駆け寄った。 「そうです! 花の王はこの時代にいらっしゃったのでしょう? どこで何をされていたのですか?」 「それが、彼はあまり人前に顔を出さなかったようで、姿を見た者はほとんどおらず、情報も集まりませんでした。人の子には興味がなかったのか、世界がこんな有様になったのと同時にどこかへ隠れてしまいました」  光がなければ、花の王といえども弱るのではないだろうか。この疑問には、ロサカニナが「光の一部は彼について行ったのです」と答える。 「白百合公。光は花を好いています。彼らは美しいものを無条件で愛すのです」  現在、人の子よりも花の貴人の方が優れた魔術を使えるのは、そういう事情もあったからだという。  花の子も人の子と同じように破壊行為を繰り返しているし、利己的で倫理観が欠如している者は多いのだが。それでも光は美しい花の子を愛し、彼らに力を与えるのだとロサカニナは主張する。とにかく美しいから大目に見ているらしい。光の意思というのは想像がしにくいが、人の子にはやたらと厳しいし、贔屓(ひいき)をするようなので公平ではなさそうだ。 「少し時間を巻き戻します。ここです、太陽の光が散り散りになり始めた場面。この時点で、どうやら花の王は地上から別の場所に移動したようなのです。そして、彼と面識があるらしい男がいました」  一人の青年が空中に浮かび、野原に集う人々を見下ろしている。ロサカニナの解説によると、彼の名はテネブライ。人の子で最も力があると言われる魔術師であったが、その能力の高さゆえに恐れられ、迫害を受けて幽閉されていた。 「我々を見捨てるのか、テネブライ!」  誰かのあげた声に、青年は酷薄な笑いで応じた。 「長きに渡り私を拷問し続けてきたお前達が、私に助けを乞うとはな。断らせてもらおう。皆、闇の中を這いずり回って死ぬがいい。私はあの『花』の後を追う」  テネブライが自身の体をマントで包むと、その場から姿が消えてしまった。  どうもこの青年は、花の王といささかの交流があったようで、だから王のもとを目指したようだった。 「花の王と魔術師の青年が何をしていたのかは不明ですが、どこかにいたのは確かです。そして、花の王が魔術によって『太陽の花』を生み出し、地上に光は戻りました」  ――太陽の花は、王が作ったものだった。  知ってはいたが、花の王の力は桁外れだったのだとまた思い知る。  この世の空に、白い光の花が咲く。太陽の花の、初の開花である。  光によって世界は照らされ彩られ、豊かに変化していった。  リーリヤは、不意に遠い昔のことを思い出していた。それは、白百合のリーリヤの生が始まった、最初の記憶。最も古い記憶だ。  リーリヤは、明るく暖かいどこかで咲いたのだ。青空は澄んでおり、降り注ぐ光は柔らかかった。  全く無垢な白百合は、ぼうっと瞬きを繰り返している。  その前に誰かが立ち、笑顔でリーリヤの顔を覗きこんできた。  ――咲いたね、白百合。美しい私の花。私が王だ。君達の『絶対』だよ。  そこにいるのは花の王なのだろう。いつもの記憶の姿のように彼は光っており、しかとは細部が確認できないのだが。  ――王。  ――そうだ。綺麗だね、白百合。私の花達は、みんなみんな綺麗だよ。  嬉しそうに言うと、王はリーリヤの顎をつかんで囁いた。  ――君の名前は何だ? 自分で決めてごらん。  リーリヤは、心に浮かんだままの音を口にする。それは、百合を意味する言葉であった。  ――リーリヤ。  ――そうか。やっぱり『その言葉』になるんだな。まあいい、仕方ない。君は『白百合』だものな。それでは、リーリヤ。おはよう。ようこそ、世界へ。  奥底から浮かび、水面でぽつりと弾ける泡のような記憶。  困惑に眉をひそめていると、いつしか辺りは元の洞窟の中に戻っており、ロサカニナが手に持つ松明には、元のように火が灯っていた。  壮大な世界の歴史と己の記憶が混じり合い、一瞬どちらが自分で体験したものなのかわからなくなってしまう。  旧時代の人の子の滅びゆく光景に少し圧倒され、疲れを感じていた。 「いかがでしたか」  燃える火に、野薔薇の少年の顔が照らされている。  ジェードはリーリヤが戸惑っている様子を感じていたようだが、それには触れずにロサカニナへ言った。 「有益な情報だった」
/293ページ

最初のコメントを投稿しよう!

139人が本棚に入れています
本棚に追加