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「私では、殿下のお相手を務めるには力不足かもしれませんな」
それとなく、関係の解消を申し出てみた。
テクタイトは薄気味悪い笑みを浮かべてサクヤの顔をのぞきこんでいる。
これが苦手なのだ。とらえどころのない表情。こんなに残酷な瞳というものには、ついぞ出会った覚えがない。
怯えたら負けだと己を叱咤しているので、目はそらさないようにしていたが。
「逃げるのか? 桜公」
負けん気の強いサクヤは、その言葉が癪に障った。即座に言い返しそうになったが、体の疲労のために言葉が出てこない。
認めたくないものの、本音は彼から離れたかったのだ。距離を取れるなら、多少見下されても我慢ができるほどに弱っていた。
だが容易に敗北宣言もできずにサクヤは黙り込んでいた。
テクタイトが軽く息を吐き、サクヤの上から体を動かす。ぎしり、と寝台が鳴った。
「私はそれで構わぬぞ。桜の花は十分に堪能した」
横たわったままのサクヤは視線を動かして、こちらに背を向けているテクタイトの方を見た。
テクタイトが、いきなりぐるりと首を回してサクヤの方を振り向く。
「では、次に抱くのは赤薔薇公としよう」
サクヤは声を失って、テクタイトの笑顔を凝視した。
彼の唇が描く弧は、邪なる歪みであった。冷え冷えとした眼光がサクヤを凍えさせる。
少しの間思考が停止していたサクヤだったが、衝撃から立ち直り、どうにか口を開いてのろのろ喋った。
「……赤薔薇は、殿下のお誘いには応じないでしょう。あの者は交わりという行為が不得手で……」
横になったままだとろくに声も出ないので、サクヤは肘をついて上体を起こす。平静を装っていたが内心動揺しており、冷や汗をかきそうだった。
「おとなしく抱かれるとは思いませんが……」
ローザを候補から外させるために、説得力のある理由をあげなければ。だが疲弊と焦りのために頭が回らない。
サクヤを見下ろすテクタイトは、笑みを深めた。内緒話でもするかのように、楽しげに声を低める。
「大切な白薔薇公が目の前で痛めつけられるさまを見れば、赤薔薇公も素直に足を開く気になるのではないか? 泣いて恋人の助命を私に願い、自分を犯してくれと頼むだろう」
全身が総毛立った。
驚きと恐怖が一時に迫って首を締め上げ、息ができなくなる。気が遠くなりかけたが、必死に意識を保ち、呼吸の仕方も思い出す。
言葉の内容以上に、男の邪悪な声の響きと笑みに衝撃を受けたのだ。真正面から悪意を受け、サクヤは失神しそうになった。
「そんなことを……なさるはずがない。騒ぎになる。興味本位で抱くには、その後のあなたの損失が大きすぎる」
テクタイトにというよりは、自分に言い聞かせているのに近かった。
仮に赤薔薇に執着していたとして、欲を満たしても割に合わない。白薔薇を黙らせることは不可能だろうし、侮辱を受けたと判断した貴人達はテクタイトを許さないだろう。
だから、そんなことをするはずがない。戯れに口にしてみただけにすぎないのだ。
「そんなことをするはずがないと、どうして言えるのだ? 桜公」
心を読まれたかのようで、サクヤは強く唇を結んだ。ゆっくりと、テクタイトが顔を近づけてくる。
「花の貴人が束になってかかれば、石持ちだとしても倒せると思っているのか? しかし、お前達は私の実力がどれほどか知らないはずだ。私は今までそうしていなかっただけで、お前達を皆殺しにできるかもしれんぞ」
サクヤは己を奮い立たせて口を開いた。
「我々がいなくなれば、世界は闇に閉ざされます」
それこそがこちらの切り札だった。白百合のリーリヤも協定の件を出してテクタイトを脅したらしい。
「そうなったところで構わないと言ったらどうする」
楽しそうな声は、黒く染まっている。
「暗黒に満ちた世界を私が苦にしないとしたら? いや、そうはならないかもしれんな。やはりお前達の力はこちらを上回り、私を始末できるとも考えられる。しかしそうだとして、私が行動を躊躇う根拠はあるか? 私が死を恐れてないとしたら? お前達に殺されるとしてもそんなことはどうでもよくて、赤薔薇公を手籠めにしないとも限らないぞ。私が何を重んじて生きているのかわかるのか? 私が何を考えているか読めるか? 桜公よ」
――はったりだ。
サクヤはテクタイトの目を見つめながら心の中で呟いた。
戯れに脅しているだけで、赤薔薇に手を出して無駄死にするようなことをするはずがない。
万が一彼に花の貴人を全滅させられる力があったとして、そんな暴挙に出るのは無意味だ。
だが、そんな考えを信じ切れない自分がいた。
この闇は虚無で、常識が通用しない。いつ狂気の舞踏を始めるか、まるでわからないのだ。
この男はきっと、苦労して得た宝をその場で叩き壊す。金も土塊も価値は同じで、大切なものなど一つもないのだろう。
虚無だ。虚無は何も欲しない。
宝石を持つ王子兄弟が、あれほどまでに第七王子を恐れる理由がわかった気がする。
考えが、全く読めないのだ。
次の瞬間こちらの体に刃物を突き立てそうでもあるし、自分の指を切り落として口に詰めながら笑いそうでもある。
理解のできない恐怖に芯から凍りつきそうになった。
――こいつは、化け物だ。
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