32、孔雀石

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 双眸から目が離せない。  サクヤはその中へ、途方もなく巨大で底なしの穴に、落ちていく。  己の思考が逆しまに渦を巻き、奔流が狂わせようとする。  その時、テクタイトが、ふっと笑って硬直するサクヤに手をのばし、片手で目を覆ってきた。  彼の瞳が視界から消えたことによって、呪縛から解き放たれて正気に戻った。  全身に力が入り、歯が折れそうなほど食いしばっていたと気がつく。  テクタイトは再び身を離し、サクヤに背を向けた。 「体の相性というのがあるからな。合わぬのなら仕方がない。無理に付き合わせるつもりはないぞ、桜公。今後は呼びつけん。ゆっくり休むといい」  穏やかな口調になると、その声もさほど異様な響きとは感じられなかった。 「……私を捨てると仰るのですか?」  小さな声を聞き逃さず、テクタイトがこちらを向いた。 「おかしなことを言う。お前が音をあげたのであろう」 「それは殿下の早とちりです。試したのですよ。私が身を引こうとしたら、惜しがってくださるかどうか」  サクヤは顔にかかった髪も払わず、裸のまま艶然と笑って見せた。 「あんまりでございます。私から他の男に乗り換えるなどと仰るとは。お恨み申し上げますぞ。このサクヤ、執念深い男として知られておりますからな。お気をつけなさいませ」 「たらふく私の力を蓄えたのではないか?」 「まだ欲しゅうございます」  即座にサクヤは返答する。  テクタイトは虫酸の走るような薄笑いを浮かべていた。何もかも見透かされているのだ。力を奪っていることも、赤薔薇に対する想いも。  雁字搦(がんじがら)めにして、なぶろうとしている。  サクヤはここで引いても引かなくても苦しむ羽目になるだろう。  だとしたら、退くのはやめだ。 「殿下の愛人の座は、誰にも譲りませぬ」  憔悴して強がる桜を、この男はどう見ているのだろうか。だがどれだけ見下され、玩具にされても構わなかった。 「では望み通りに食わせてやろう。手をついて腰を上げろ」   一度目を閉じてから、くたびれた体を動かした。今から始まる行為の苛烈さを思うと、さすがのサクヤもうんざりして顔が強ばる。それでも意地を張るのは忘れずに、せいぜい淫らに見えるよう形の良い尻を挑発的に高く上げた。  腰をつかまれ、すぐに挿入された。王子の剛直が容赦なく前後に動き、否応なしに感じたサクヤは声をもらした。 「っ……んんっ……あ、ぁ……! 殿下……ッ」  疲れ切っていても体は快楽にあらがえない。優しくはなくしかし暴力的とも言い難い動きは、サクヤを翻弄した。  嫌悪感より欲が勝る。冷静になろうとするのに内側から突き上げられると、一番弱いところを崩されて涙が出てくる。わけがわからなくなってくる。   淡紅色の長髪が敷布を彩り、愛なく咲いた交合の白い花弁が寝台から落ちていく。 「安心しろ。もしもお前が耐えきれずに心が壊れたら、私が操ってやる。傀儡(くぐつ)という立場も楽で、悪くはないぞ」 「はぁっ、や……ぁああ、ぃや……あ、あ」  中をかきまわされ、「やめて」と言おうとしているのに口から出たのは「もっと」という要求だった。  壊れてたまるか、と嵐が過ぎるのを待つ。 「桜公、言ってみるがいい。本当は誰にこうされたいのだ?」  一瞬、深紅の色が目の奥で散って、サクヤは奥歯を噛みしめた。あの花の芳香を感じた気がして動揺する。 「ち、違……」 「そいつに抱かれているところを想像してみるといい」  涙がぼろぼろと両目からこぼれて滴った。息を乱し、敷布を強く握りしめ、正気を保つ努力をする。  ――舐めやがって。  想像以上の化け物で、力の差は歴然であった。  しかし勝機はある。こいつは周りを舐めきっていて、必ず油断が生じるだろう。せいぜい図にのらせておいて、いずれ隙をついて叩く。  これしかない。  絶対に屈しない。屈辱と恨みは力に変えて、必ず一矢報いてみせる。 (俺は、好きでこうしているんだ。絶対にこいつの思うままにはさせん) (犠牲になってるつもりはない。誰かの身代わりでもない) (俺は……だから……これは、復讐で)  夜闇に、愛のない花が何度も何度も咲いていく。  激しい交接の最中、切なげに自分の口からこぼれた名前は、聞こえなかったことにした。それこそ、口走ったと認めたら、気絶するまで我が身を殴ってしまいそうだから。 「……ローザ……………」
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