あなたと話がしたいから 〜茶座荘の日常〜 8

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「……にたい」  ぼそっと呟いた磯村さんの言葉はちゃんと聞き取れなかったので視線を向けると、磯村さんは一直線に台所の方へ向かった。奥から取り出してきたのは……包丁だった。 「もう嫌、こんな人生。ここで死なせてよ。私の運命なんて、大した運命じゃなかったってことでしょ。もう未来に希望なんて持てない」  そう言って包丁を振り上げた瞬間だった。 「悠美、待って。ここで死んだらこの家のみなさんに迷惑かけちゃうよ。ただでさえこんなにお世話になったんだ。そんな迷惑かけさせちゃ駄目でしょ」  その言葉に迷いが生じたのか、磯村さんの手がとまった。その瞬間俺は磯村さんに飛びつこうとしたんだけど、一瞬早く飛び出した浩介が先に磯村さんの元にたどり着き、手から包丁を叩き落とした。俺はすぐに駆け寄って落ちた包丁を拾い上げる。  浩介は暴れる磯村さんを必死に抑えつけようとするけど、物凄い力で抵抗されてしばらく揉み合いになっていた。そんな格闘を終わらせたのは、パソコンの画面から流れる音声だった。 「はい、カット。OKです。幸本さん、良かったですよ」  声の主は浩介だった。先程停止していた映像がさっき止めたところから再び流れ始めており、画面の中に俺と浩介が入ってくる。 「ありがとうございました。すみませんが、これを悠美に見せてやってください」  先程とはうってかわって寂しそうな表情を浮かべる幸本さんに声を上げたのは浩介だった。 「分かりました……でも、幸本さん、本当にこれで良いんですか? 本当は磯村さんと別れたくなんて無いんですよね」 「はい……でも、仕方ないです。悠美に家族を捨てるようなことしてほしくないんです。俺がご両親から認められるような人なら良かったんですけど、俺は悠美の側にいるには足りないものが多すぎるんです。だから……仕方ない」  2度も繰り返した『仕方ない』が気持ちの重さを倍増させていた。 「そんなの分からないじゃないですか。幸本さんはまだ若いんだし、今からだって頑張れば認めてもらえるんじゃないですか?」  俺の言葉にも幸本さんは力無く首を横に振る。 「俺もそう思って建築とか、経営とか、少しずつ勉強始めたんですけど、彼女のお父さん体調が優れないみたいで、時間が無いんですよ。だから、菊池さん……でしたっけ。彼なら知識も経験も豊富だし、何より悠美のことも大切にしている、結婚相手として申し分ない。彼女にとって最善の選択です」  映像の中の俺と浩介は肩を落として絵を見合わせる。   「幸本さん、明日1日だけ、俺たちからの連絡待ってもらえますか。これを見ても磯村さんの気持ちが変わらなければ、もう一度会いに来てほしいんです」  映像はその浩介の言葉で終わっていた。幸本さんが何と返したのかは分からない。
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