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九 イチョウ並木の男達
「では第二班から報告します。先日のアジトについてですが、家の持ち主が判明しました。名前は東谷米吉。現在、恐喝の罪で刑務所におります」
「刑務所か。では仲間が家主の服役中にあの住居をアジトにした、という事か」
帝を守る秘密警察の本部では反政府組織のアジトについて進捗状況を話し合っていた。前回、組織のアジトを発見し麻薬も押収したが、彼らは逃亡を続けていた。副司令官の葉室丞太郎は犯人逮捕に向けて策を講じていた。
「はい!その可能性が高いと思われます」
「ちょっといいかな」
部下の報告を聞き、意見を出した副司令官の葉室丞太郎に、高園真木也は手を挙げた。
「あの後。現場周辺から女性が出入りしていたという情報が入った。女は東谷の内縁の妻とのことだ。彼女は夫が服役の間、知らない男を家に入れていたようだな」
「それは真木也が調べたのか」
「ああ。現場の近所に何か気が付いたことがあったらと言っておいたら連絡が来たんだ」
これ以降も意見が出され、今後の方針が定まった。
「話は以上か」
「すみません。自分は第四班です。実は気になった事がありまして」
今回とは別の事件であるが、若い彼は立ちあがった。
「先日。東京駅で異臭騒ぎがありまして。警察の発表では配管工事でガスが充満していた、としましたが。やはりあれには予告状がありました」
四班の彼は書類を広げた。
「これです。駅長宛に届いていたのですが、最近いたずらでこの手の手紙が続いていたそうなので、警察に届けなかったと」
「山本、読め」
「はい。『拝啓、栄光をもたらす暁がここに君臨す……』え?これは」
会議室は一瞬、息が止まった。丞太郎は奪うようにその手紙を取り上げた。
「寄越せ!こ、これは」
「丞太郎……これは、例の」
一緒に読んだ真木也も顔をくぐもらせた。それは帝都を脅かした「池之端事件」の犯行声明と同じ文章だった。
「大丈夫か、丞太郎」
「あ。ああ。もう平気だ」
二人だけの副司令室で、丞太郎はようやく冷静を取り戻していた。相棒の真木也は読んでいた資料を机に置いた。
「反政府組織の活動が活発になってきたので、敷島が刺激を受けたのであろうか」
「まあ、これで敷島は死んでいない、という事ははっきりしたがな」
麗華が巻き添えになった爆発事件の容疑者は、事件後に残っていたタバコの銘柄から『敷島』と彼らは称していた。
敷島の正体は謎であるが元々反政府組織の者という事は判明していた。反政府組織とは、山中恭次郎率いる幕府制度の復活を求める反社会組織である。その中でも一部、過激な武装派がおり、それを『暁』といい、敷島はそのリーダーと見られていた。
麗華を巻き添えにした爆発事件後、秘密組織は暁を壊滅状態にしたが、敷島を逮捕できずにいた。そしてここ数年、都内で暁の活動が活発になり、秘密警察は敷島を追っていた。
「だが真木也。これは敷島を名乗った別の人物かもしれない。奴を慕う後継者の仕業かもしれない」
「まあ、当時の文字と比べればわかるかもしれないが、奴が自分で書いたという確証はないがな」
「いや、書くな」
「え」
丞太郎は窓の外の木々を見つめた。
「敷島なら、自分で書くだろう……奴はそういう男だと、俺は思う」
「……まあ、今回の予告状の解析を待とう」
「失礼します。御茶をどうぞ」
山本が持って来たお茶を二人は飲んだ。
「ところで、丞様は今夜、屋敷で食事ができますか」
「なにを言い出すのだ、急に」
山本は部屋の時計をちらと見た。
「司令官の命令です。最近、お疲れのようなので仕事が終わり次第、自宅で休ませるように、と」
「そうだぞ、丞。屋敷のお姫様をお前が守らないと」
「ま、真木也まで、な、何を言うのだ」
「あのな、お前ってさ……」
恥ずかしがる丞太郎に呆れた真木也はすっとお茶を飲んだ。
「自宅で彼女を囲っておいて。今更何を言っているのだ」
「か、囲うって。おい、真木也。俺はそんなことはしない」
顔を真っ赤にした丞太郎は必死に言い訳をした。
「俺はただ、麗華をその」
「へえ。麗華、ね」
「真木也!あのな、麗華はその、あまりにも、綺麗なのだ……」
丞太郎はやっと息を吐いた。
「俺よりも屋敷の者と打ち解けているようだし、留守の間は役に立ちたいといい、家の事もやっているようで、好きなものを買えといってもあれは、自分からは買わないのだ」
「前評判と大違いだな」
久世家を調べていた際、出てきた情報はわがまま令嬢という話ばかりであった。振り返れば麗華は冷遇されており表に出ない娘であったので、この情報は妹の万理華になるが、当時の丞太郎と真木也はこれらを混同していた。
「まあその悪評の妹は、我が高園家に嫁に来るってことか」
「そうだったな。そっちはどうなんだ」
「やっと俺の心配か、そうだね。母上と仲良くしているよ」
麗華を想う丞太郎と反し、真木也はまるで他人事のように告げた。それを知らない丞太郎は彼を気遣った。
「お前も彼女を大切にしろよ」
「お前に言われたくないよ」
休憩が済んだ副司令室の二人は他の仕事も片付けた。だが丞太郎は急な話があり帰宅は深夜になった。
帰宅後の彼は、麗華の様子を知ろうと、月明りだけの夜の寝室に足を運んだ。
……ぐっすり寝ている……よかった。
彼女の寝息が支配する優しい世界を忍び足でやって来た丞太郎は、愛しい婚約者の寝顔にほっとした。
屋敷に来た時よりもすこしふっくらしている彼女に微笑みだけで挨拶し、花を添えて退室しようとしたが、彼女の寝顔をもう少し見ていたくなった。
……清らかで、何と美しいのだ……ああ、ずっと……
ベッドの傍ら、彼は麗華の寝息に惹かれ、そのまま眠ってしまった。
……ん、ここは……あ。
またやってしまった、と丞太郎は天井を見て思った。いつの間にかベッドで寝ていた彼は体を広げる前に、そっと隣を見た。温もりだけを残し麗華はいなかった。
……また、追い出してしまった。俺は何をしているのだ。
麗華のベッドで寝落ちしてしまった自分を恥じている丞太郎は、寝返りを打った。すると部屋の扉が静かに開いた音がした。
「丞様、お目覚めですか」
「麗華……すまない、またやってしまった」
「いいのですよ、まだ寝ていてください」
雨の早朝の部屋で白い寝着の麗華はささやいた。
「これはお水です、まだ早いのでお休み下さい」
「ありがとう、君は」
「私は起きますので」
「しかし……」
雨の朝はどこか肌寒かった。丞太郎はこのベッドを麗華に返そうと起き上がった。
「いいのです!丞様はここで休んで下さい。クション」
「ほら、いいからここに入りなさい」
「では、丞様も」
流れで一緒に布団に入った麗華は温かい布団で彼の足が当たった。
「すまない」
「いいえ……それよりも、丞様」
「ん」
麗華は恥ずかしそうに布団から目だけ出した。
「おかえりなさいませ……」
「あ、ああ」
そして彼女は恥ずかしそうに背を向けた。丞太郎はベッドの重みに胸を熱くした。
……ああ。麗華はここにいる……
丞太郎は彼女の小さな背を見ながら眠ってしまった。庭の木々に落ちる雫の音は二人を再びの眠りへと優しく誘っていた。
完
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