六 葉室屋敷にて

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……このままでは……あ。これは。 麗華は必死に足を伸ばし、近くにあった椅子を蹴り、そして倒した。この派手な音にさすがにテイが駆け込んできた。 「ちょっと……な、何をしているんですか!」 「使用人は下がっていなさい!」 「私達は確認をしているのですよ」 しかしテイはそっと麗華を抱きしめて起こした。 「何が確認よ!この鬼婆!大丈夫ですか、麗華様」 「テイ……」 ボロボロの麗華を庇うテイに二人は食って掛かって来た。 「ちょっと。今、何て言ったのよ」 「耳が遠いんですか?あんたが赤鬼で、そっちが青鬼だって言ってるの!」 「テイ。お前は使用人のくせに」 ぎりぎり怒る初老姉妹をテイは睨んだ。 「私は丞太郎様に仕えているのです。あんたたちなんか知らないわ」 「まあ」 「なんて口の利き方を。これだから田舎者は」 「田舎者で結構!だいたいね。口の利き方以前に、あんたたちのしている事の方がおかしいでしょう!この方は丞太郎様の婚約者ですよ。犯罪でしょ!人の服を破るなんて」 この言葉に初老姉妹は冷静さを取り戻した。 「あら?私達はそのお嬢さんがこの家の品を盗んでいないか、確認しただけよ」 「そうよ。それなのに抵抗をするからよ。大げさね」 言い訳をする二人にテイは怒りの視線を飛ばした。 「今まで屋敷の物を盗んでいたのはそっちでしょう……このくそ婆達」 「テイ、止めて」 麗華がテイをなだめていると、やっと平坂がやってきた。 「どうされました!あ、麗華様、これは」 平坂の登場にさすがの二人も帰ると言い出した。テイが睨みつける中、姉妹は微笑を称えて帰って行った。 「麗華様、お怪我はないですか」 「腰を打っただけよ……それに、落ち着いたわ」 「でも、休んでください。また後で来ますので」 ベッドに入った麗華を見届けたテイは怒りの拳を持って平坂がいる事務室に入った。 「まったく!だから嫌だったんですよ」 「麗華様は」 「お休みになりました!ああ。塩をまいたんですが、まだまき足りないですよ」 怒りに震えるテイの前、平坂はなぜか手紙を書いていた。 「平坂様は、頭に来ないんですか」 「……君は通常業務に戻りなさい。後はこちらで対処します」 「でも」 「テイ。これは命令だ、それにいつものようにするのが麗華様に一番良いのだ」 「わかりました」 不満気味のテイであったが、昼寝から目覚めた麗華と過ごし、彼女を安心させた。紅茶を飲んでやっと冷静になれた麗華はテイに尋ねた。 「ありがとう……それにしても、テイに来てもらって助かったわ」 「すみません。何かあると思ってドアのすき間から伺っていましたのですが、一度、向こうの侍女に呼ばれてしまって。すみません、助けるのが遅くなって」 「いいのよ。ああ、それにしても怖かったわ」 落ち込む麗華の顔を見てテイは、怒りを再燃させた。 「あの二人は本当に根性が悪いんです。この屋敷にいた時もそれはそれは意地悪で。私も本当に嫌でした」 「ここに住んでいたのね」 「そうです。あの時は本当に大変でした……」 丞太郎の父が亡くなり、元々丞太郎と折り合いの悪かった則子と頼子はわがまま放題で使用人も辞めてしまう中、彼が追い出し作戦を開始したとテイは話した。 「あの時、旦那様はこの屋敷の水道工事をすることにしたのです」 「水道工事」 「はい。あのお二人はお風呂が好きなのです。しかし、工事の間は使えないと大工さんに説明してもらったところ、今の別邸に移ってくださったんです」 「お水が使えないとお風呂も入れないものね。でも、工事の後は?」 「鍵を変えて、もう出入り禁止です。それに別邸のお風呂が素晴らしいので気に入っているのでしょうね……クッキーもどうぞ」 「ありがとう」 二人が会話する中、平坂が入って来た。 「どうですか、麗華様……ああ、よかった、本当に」 心配していた平坂に何でもなかったいう麗華に彼は謝罪した。 「申し訳ございません、まさかあんなことをするとは」 「平坂さんのせいじゃありません」 「いいえ、これは丞太郎様に報告させていただきます、それに」 麗華の腕からちらと見えた火傷痕に平坂は目をつむった。 「……この蛮行は決して許せません。倍返しにさせていただきます」 静かに燃える平坂にテイは力強くうなづき、麗華は戸惑った。 「倍返しってそれは何を」 彼はじっくり話した。 「麗華様、後処理はお任せください。テイ。麗華様の服は保管してあるな」 「はい」 「さて。麗華様はお庭でもいかかですか?庭師が薔薇が咲いたと申しておりました」 ……う。これは席を外して欲しい、ということかしら。 「わかりました。行ってみますね」 平坂の威圧感に麗華は庭にでて薔薇を愛でていた。その間、平坂とテイは事務室で作業をしていた。 「平坂様、麗華様の破れたドレスはここに」 「ああ、そこでいい」 「……あの、これからのあの二人は来るのでしょうか」 「来させませんよ、二度と……」 心配顔のテイに老執事は万年筆の手を止めずに話した。 「これからあの人達の生活費を減らしますので」 「え?旦那様に聞かなくてもいいのですか」 驚くテイに彼は平熱で答えた。 「構うことありません。旦那様から来年の予算を減らすように言われていたし、まあ早まりましたが」 「でも、そんな事をしたら催促に来るんじゃ」 「お茶会を何回か我慢する程度ですし、大丈夫でしょう……さて、向こうへ通達の手紙はこれでいいか、そうだ」 平坂は手紙の中に麗華の破れたドレスの一部を入れた。テイは彼が封をする様子を見ていた。 「それも送るのですか?」 「麗華様にした行為は、立派な暴行ですからね。それをわかっていただけないと。まずはここは良し!と。後はそうだな、あそこへ連絡をして……それには、そうだな」 「私、失礼します」 独り言を話す平坂のあまりの冷静さに冷や汗のテイは、退室し、麗華を追い駆けた。花に囲まれた麗華は、この後、心配を掛けぬよう読書しベッドに入った。 ……丞様には婚約者がいたのね。 ベッドの天井を見ていた麗華は、夫人達の言葉を反芻していた。 たくさんの侮辱な言葉を掛けられたが、一番心に刺さったのは丞太郎には婚約者がいたことだった。 思い返せば年齢や家柄を想えば丞太郎が未婚であることが不自然であった。麗華は思わず腕の火傷痕を見て、そして布団にくるまった。 ……丞様は私を守るために婚約したのよ。それ、だけなのよ。 保護のための婚約者の自分は彼の過去を気にする立場ではない、と麗華は言い聞かせ目をつむった。こうして丞太郎が不在時は、麗華は屋敷の者の手前、明るく努めて過ごしていた。 「ただいま戻った。麗華は休んで居ろうな」 「はい。夕食はお済ですかな」 数日後の深夜に葉室屋敷に秘密任務から帰って来た丞太郎は、麗華を起こすことなく静かに執事の報告を聞いた。 「あいつらが麗華の服を破った?平坂、車を出せ!」 「その刀は置いて下さい!まずは冷静に座って」 「くそ!俺がその場にいたら……」 麗華への暴行を恨む丞太郎を落ち着かせた平坂は、静かに語った。 「私も許せませんが、我らが罪を犯せば麗華様がお苦しみになります、どうかここは抑えて」 「あの魔女達め……」 父の後妻の則子は金目当てだと知っていた少年時代の丞太郎は彼女が大嫌いだった。 そして父が亡くなる前に姉の頼子まで葉室屋敷に入れ、我が物顔で過ごす様子が丞太郎には耐えられなかった。今は追い出しなんとか距離を取って暮らしていたが、まさか麗華に会いに来るとは彼も思っていなかった。 「しかし、また来るのかもしれぬな」 「手は打ちました」 「何をしたのだ」 平坂は彼にお茶を出した。 「執事仲間で情報交換をしているのですがね。社交会で作る婦人勉強会というのがあるのですよ。そこの会長をされている奥様が役員を募集しているというので、則子様と頼子様を推薦しておきました。まあ、断れないと思いますがね」 「それがなぜ、うちに関係あるのだ」 「その活動は大変だからです。それに会長の奥様は大変厳しい方で、前任の役員はすべて精神病院送りになっています」 「よくやった……それなら葉室家に来る余裕はないな、さて」 業務連絡を受け終えた彼はそっと婚約者が眠るベッドを訪れた。愛しい婚約者は今宵も布団にくるまり、静かに眠っていた。 ……こんな麗華になんという事をしてくれたんだ。 無防備に眠るその腕からは火傷痕が見えていた。痛々しい傷に丞太郎は顔をしかめ、そっと寝着の袖を伸ばし、傷を隠した。 そして今宵も庭に咲いていた花をそっと彼女のベッドの脇に置いた。 ……俺はいつも君を守れない……ああ、傷つけてばかりだ。 今宵も麗華に懺悔する丞太郎を、夜は黙って見ていた。 ……何時かしら……あ、お花だわ。 朝日の中、手にした麗華は丞太郎の帰還を知った。心躍らせながら支度をし、台所へ顔を出した。 「おはよっす」 「おはようございます。今朝は何を作るのですか」 「卵焼きっす。麗華様もやってみますか」 「ええ。やってみるわ」 清二が見守る中、麗華は料理を進めていた。実家で料理をしていた麗華は、手際よく進めていたが、西洋料理は初めてで新鮮だった。 「では、オムレツっすね。まずフライパンにバターをこうして」 清二は溶いた卵を鉄のフライパンに入れ、上手にオムレツを完成させた。 「すごいわ。では私もやります」 「どうぞ!」 「おはようございます。麗華様が作るんですか」 「ええ……まずバターはいいわね。そして卵を……う!フライパンが重いわ」 こうしてできた杉田夫妻の応援をうけたがオムレツは形が崩れてしまった。 「まあ、最初はこんなもんすよ」 「偉そうにしてないで、ちゃんと教えてあげなさいよ」 「ふふふ。いいのよ。これは私が食べるから」 朝から杉田夫婦のやり取りを楽しんだ麗華は機嫌よく朝食の支度をした。やがてこのテーブルに彼が姿を現した。 「おはようございます、丞様」 「ああ。変わりはないか」 「はい」 ……嘘つきめ、まあ俺に心配かけまいとしているのだろうが。 「丞様。今日のご予定は」 「屋敷で休養だ、まあ、会社の仕事があるが」 不機嫌そうな彼に麗華は笑みで返した。 「そうですか。麗華にできることがあれば仰ってくださいね、あ。お食事が来ました」 そして二人は朝食となった。食事を運んできたテイは椅子の麗華に尋ねた。 「麗華様、本当に良いのですか」 「いいのよ。テイ。これで」 「どうしたのだ」 麗華が形の崩れたオムレツの説明をすると、ムッとした顔の丞太郎は持っていたフォークを置いた。 「それは俺が食べる」 「え。でも形が」 「良いのだ。というか、むしろそれがいい」 そう言って皿を交換した丞太郎は、オムレツを食べた。もぐもぐ食べる彼の顔を麗華はじっと見ていた。 「い、かがですか」 「……バターの塩加減が効いている……ん、これは焦げか」 「え。ごめんなさい!どうぞ、残して」 麗華は恥ずかしそうに丞太郎の腕を引くが、彼はそのまま平らげた。 「美味かった。麗華、今度も頼むぞ」 「丞様」 どこか頬が赤い彼は、そっと麗華に言葉を掛けた。 「ほら、他の食事が冷めるぞ。それに食事が済んだら私の紅茶を飲んでもらおうかな」 「……はい」 ……そうか。これは嬉しい顔なのね。 ムスとした顔であるが、麗華はだんだん彼の細かい違いが分かって来た。しかし、彼は自分を保護するためにそばに置いているだけの関係だった。 ……もしかして。私のために好きな人を諦めたのかしら。 優しい彼の傍ら、麗華は胸に広がる黒い思いを手で抑えた。 葉室屋敷の窓の外の初夏の緑は麗華にはまぶしかった。 完
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