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prequel8. 想像の翼
「と、とにかく、僕はその類が見えるだけで、攻撃力はゼロなんですよ。そういう訳なので、助けると思ってこの箱は置いていかせて下さい。何かあったらここに連絡してくれれば、出来るだけの対処はしますので」
バッグから取り出した名刺をテーブルにサッと置いて、朴葉はジリジリとドアに向かって後退した。
「そんな事言って、バックれるつもりじゃないでしょうね」
図星を突かれた朴葉は不自然に動きを止める。口の上手い詐欺師とは言い難い体たらくだった。
「すいません、ちょっとそれは、考えました」
「自分だけうまく逃れようなんて、許されないですよ。小糸ちゃんだって良い子になろうと頑張ってるのに、それよりタチが悪い」
「なんか調子狂うなぁ」
朴葉は立てた指を振って抗議した。
「だいたい、お店にお客さんが来なくなって困ってたのを僕が助けに来てあげたんですよ。結果憑き物はいなくなって、お店は軌道に乗ったんじゃないですか。それにあなたは小糸が神様みたいなものかも、って思ってるんだから、帰ってきても万々歳でしょ。この箱があれば意思の疎通が取れるんだから」
調子良くベラベラと喋っていた朴葉だったが、そこで急に言葉を途切らせ、ただでさえ悪い顔色が、みるみるうちに青白くなった。
「それは、……非常に、マズイですね」
朴葉の考えは、こういうものだった。もし小糸が戻って来て、自分が良い子になったと自覚したら、小糸が『良い』と思った事に対して、歯止めが効かなくなる恐れがある。
「今までは小糸に、自分は悪いヤツだという罪の意識があったから、これくらいの被害で済んでいたのかも知れません。善意というのは、時に暴走を呼ぶものですからね」
そこへ、花野の賛同が加わったら。大好きな花野が賛成してくれれば、小糸の正義は裏打ちされる。花野が小糸に取り込まれてしまえば、小糸の暴走は永遠に止まらなくなるかも知れない。
「杞憂であれば良いのですが、箱を貸してしまった責任もあります。とりあえず僕は、しばらくこの辺りを巡回して様子を見ようと思います。小糸が戻ってくれば、気配でわかりますから。もし小糸がまた、ここへ居着くような事になったら、そうですね」
予め考えていたのか、今思いついたのかわからないが、朴葉はとんでもない提案を持ち出してきた。
「あなたはお嫌でしょうが、僕がこの店の二階で、店を開かせてもらいます。そうすれば僕はあなたが小糸に取り込まれないように見張れるし、あなたも、僕のアドバイスをいつでも受けることが出来る。最善の案だと思いますが」
「あの、それって」
いかにも親切なようだが、すなわちそれは、小糸が帰ってきたらずっと居座るつもり、という事なのでは。
花野の疑念を他所に、朴葉は真剣な面持ちで言った。
「小糸が帰ってこなければ、それで良し。何れにせよ僕は、同じ屋根の下で商売をしても良いと思われるような、信頼を得る努力をする事を約束します。ずっと詐欺師と思われているのも心外ですしね。第一歩として、この箱は僕が持っていきます。小糸がごねたら、取りなして下さいね?」
詐欺師は詐欺を働く瞬間、誠実に見えると聞いたことがある。箱を持っていく、と言った朴葉は真摯に見えたから、彼が詐欺師なのだとしたら、多分あの時がそのポイントだったのだろう。
しかし、別に店のお金がなくなったりはしていなかったし、妙な書類に判子をつかされた訳でもない。出自不明の箱は返すことが出来たし、確かに朴葉の言う通り、店に客が来なくて困っていた事態は解決している。
「何か変わった事があれば連絡ください」
そう言い残して、朴葉は店を出ていった。
その後は何事もなく、店の一周年を無事に迎えることが出来た。何も起こらないのだから、朴葉に連絡する事もない。夢の中の出来事であったかのように、全てが平穏に戻った。花野の手元に、黒い名刺が二枚残ったことを除いて。
もし小糸が帰ってきて、朴葉が二階で占いの店でも開いたら。
花野は、それはそれで楽しいような気もしていた。元々、何もない所から始めたのだ。失うものなど大してないし、もし失ったとしても、退屈でない毎日を対価とするなら、それも良い。
小糸は今日も、懸命に縁の糸を結んでいるのだろうか。それとも、もう飽きてどこかへ行ってしまったのか。
全部朴葉の作り話で、『小糸』は存在しないのかも知れないけど。
そういうモノがフラフラしている世界を想像するのはいいものだ、と、花野は湯気のたったコーヒーの香りを一人、楽しんだ。
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