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「僕の夢を、切って欲しいんです」
客は三十絡みの男だった。漫画家のアシスタントをしているという。
「漫画家への夢を、スッパリ諦めたいんです。今は実家暮らしで、親も応援してくれていますが、そんなに裕福な家ではないし、ひとりっ子なので、ゆくゆくは自分が何とかしないといけないですし」
アシスタント仲間が次々とデビューしていく中、自分だけは声がかからない。しかし二次創作の同人誌はそこそこ売れていて、SNSのフォロワーも十万人余りいるらしい。
「フォローが三桁で、フォロワーが十万人ですか。それは凄いな」
応対していた朴葉が言うと、客は項垂れた。
「ネットにアップした作品は、みんなが絶賛してくれるんですよ。今は絵の上手い人が掃いて捨てるほどいるので、数字を集めるのは難しいと聞きます。そんな中で僕が絵をアップすると、見る見るうちにカウンターが回っていくんです。承認欲求は満たされるから、ネットには依存してしまう。でも、実際の仕事には、全然繋がらない。そうすると、みんなお世辞を言ってるだけなんじゃないか、って疑いだしちゃうんですよ。せっかく応援してくれている人たちの声まで、価値のないものに思えたり」
全てが悪循環なんです、と客は言った。
「正直、贅沢な悩みのような気もするけど、本人からしたら辛いのかな」
いつもは客に同情的な花野も、今回はあまり乗り気ではない。
「親の方は別に、子どもに養ってもらおうとは思ってないんじゃないのかなぁ。今どきそんなの、ナンセンスですよ。アシスタントもして、同人誌も売れてるんでしょ。自分が生きてく分にはなんとかなってるんだから、夢を切り落とす、までしなくてもいいような気がしますけど」
朴葉も切らない意見に賛成のようだ。
「久しぶりのお客さんだから、あたしは切りたいなー」
小糸の声を翻訳する小さな木箱が、不服そうに揺れる。とにかく髪が切れればよい小糸は、余り依頼人の事情とかは考えない。
「小糸ちゃん。何度も言うけど、君の力は、人の運命を大きく変えるものなの。お客さんにも、後で後悔しないように、一週間経ってからもう一回来てもらうようにしてるでしょ。本人が切って、って言ってても、すぐ切っちゃダメな時もあるの。そのくらい大事なんだよ、人の縁ってものは」
小糸は花野の言う事しか聞かないので、必然的に花野が小糸の教育係をすることになったのだが、何回言ってもわからない小糸に対して、毎回よくこんなに丁寧な態度が取れるなぁ、と朴葉は心から感心していた。
小糸の力が及ぶと、髪と一緒に、その人から延びている縁の糸が切れる。どういう仕組みなのかはわからないが、花野と朴葉が把握しているのはそれだけだ。
朴葉という仲介者がいなければ、花野は小糸という存在を知ることもなく、店と客の縁を切られたこの店は、理由もわからずに廃業していた事だろう。縁を根こそぎ切られた者がどうなるのか分からない。狭い田舎町で何の騒ぎにもなっていないことを考えると、命に別状があることではなさそうだったが、小糸を野放しにして良いとも思えなかった。
そこで小糸に提案したのが、店の共同経営だった。ヘアサロンの営業中は、小糸にどこかへ行ってもらう。そして朴葉が営む占い処で、縁切りを請け負う。そのお客の髪だけが小糸の取り分になる、というシステムだ。
「なんでおまえが一緒にいるんだよ。あたしは、花野さんだけがいいのに」
「そしたら、また小糸ちゃんは根こそぎ縁切っちゃうでしょう。お店は潰れちゃうし、花野さん困るよ」
「切ったらすぐに結べばいいじゃん」
「ダメダメ、そういう考え方は良くない。やっぱり、簡単に切っちゃいけないものは、最初から切っちゃダメなんだよ」
「……花野さんがそう言うなら、そうするけど」
取り分の少なくなった小糸は不服なはずだったが、店が回転を始めると、最初は当たりの強かった朴葉に対しても、なぜか酷い態度を取らなくなっていた。
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