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case7-3. 見えない傷
「ふーん。それは意外ですね」
朴葉は少しカマをかけつつ、話を続けた。
「大事な人の出身地を覚えてないなんて、僕が知ってる花野さんからは、ちょっと想像し難いなぁ。あまりお互いの事を詮索しないので、昔どうだったかって話は全然知らないですけど、むしろそういう事、人より細かく覚えてる気が」
言いながら朴葉は、聞きようによっては誤解を深める発言だったかなぁ、と思う。
「うん、そうなんですよね、いろんな人の事覚えてて、心を配ってて……。相変わらず優しいんだ、公平くん」
丸ちゃんは頷いて、水が流れ続けている店の大きな窓へ目をやった。
「でも貴方に対しては、そうじゃなかった、という事ですか?」
「上手く言えないけど、まあ、そうですね。昔はそんな事なかったんですけど、付き合いが長くなればなるほど、逆に忘れられていくというか」
「うーん、気を使わない間柄になっていった、という事ではなくて?」
朴葉が取りなすように言うと、丸ちゃんは朴葉の顔をまじまじと見て、身を乗り出した。
「優しいなぁ……。ホントに、公平くんの選んだ人が、貴方だったら良かったのに」
「どうしたらいいのかな」
素直な気持ちを、朴葉は言葉にした。
丸ちゃんと花野が過去、親しい間柄であり、その関係が破綻したのは確かなのだろう。
そして今でも丸ちゃんは花野に心を寄せているが、なぜかその一方で、花野と朴葉が恋愛関係である事を望んでいる。
まるで事情を知らない自分が、そこに踏み込むべきではない、と咄嗟に朴葉は思った。滅多な事は言えない。ただの感想ですら、この人の心を乱す可能性がある。この、人の良さそうな人物に対して、無神経な自分の発言で傷つけるような事はしたくなかった。
「花野さんと僕が恋愛関係にあって、幸せに暮らしている、と貴方に言うべきかどうか、僕は迷っています」
「それは、私のためにそういう嘘をつく、という事?」
「いや、まだ嘘かどうかわからないじゃないですか。これは、一般的にはまだ、デリケートな事柄です。僕が隠そうとして、気のない素振りをしているのかも知れませんよ」
朴葉が肩を竦めると、丸ちゃんはまた、あの人懐こい笑顔になった。
「やっぱり、優しい」
『花野さんのマネです』、と言いそうになって、朴葉は言葉を飲み込む。
「朴葉さんがコーヒーを淹れてらっしゃるところとか、公平くんの感じとか見てて、なんて言うかとても自然で、信頼しあってるのが伝わってきた気がして、……すごく似合ってるなぁ、いいなぁって思ったんで、それが本当だったら、心から嬉しいです」
「付き合いは短いですけど、まあ、いろいろあったんで。阿吽の呼吸、みたいなのは確かにあるかも知れません」
「いろいろあって、阿吽の呼吸」
繰り返して丸ちゃんがメガネの奥で目を細める。
「羨ましいなぁ。私には、辿り着けなかった、憧れの関係です」
「でも、篠原さんと花野さんも、久しぶりに会ったようには見えませんでしたよ。会話が息ぴったり、って感じで」
「そりゃまぁ、一度は結婚した仲ですから」
コーヒーを口にした丸ちゃんから、さらっとこぼれた言葉に、朴葉は思わず顔を上げる。
さすがに驚いた。
「篠原さんと花野さん、ご結婚されてたんですか」
「あー、あれっ?えーと」
誤魔化すか迷ったような素振りで言い淀んだが、すぐに丸ちゃんは白状した。
「もしかして、公平くん内緒にしてた?だったら悪かったなぁ」
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