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prequel3. 髪切り
木箱の罵倒を聞いて、震え上がった朴葉がリュックで頭を抑える。
「えっ、大丈夫ですよ、そんなに怯えます?」
花野は朴葉の滑稽な慌てぶりに釣られて、硬いソファから腰を浮かした。
「……、花野さん、ホントに丸坊主にしない?」
「する訳ないでしょう。いくらあなたが怪しいとはいえ、いきなりそんな、乱暴な事しませんよ」
花野の言葉を聞いて、直球で怪しいと言われているにも関わらず、朴葉は俄然元気になった。
「と、言う事は……。君に、花野さんを操る力も、君自身に髪を切る力もないって事だね」
そう言って、木箱をひっくり返す。女の声は聞こえなくなった。
「最悪の事態ではなかったようです。良かった」
安堵した様子の朴葉に向かって、花野はたまらず訴えた。
「朴葉さん、いい加減にしてください。お金ならありませんよ。この店だって、私のものじゃない。町からタダ同然で借りているだけです。私から騙しとれるものなんて何もない。こんなに凝った仕掛けを用意しても、何の甲斐もない」
「お金が無いなら、お客さん来ないと困るのではないですか」
しかし朴葉からの、意外に理論的な返しを食らって、しどろもどろになる。
「それは、……そうですけど、のんびりやっていくとさっき決めたところです」
「このままだと、お客さん、誰も来なくなりますよ」
そらきた、と花野は首を竦める。そうやってこちらの不安を煽るつもりなのだ。しかし花野の思惑を他所に、朴葉はすまして続けた。
「さっき喋ってた女の子、あれがここにいる限り、あなたのハサミは髪と一緒に、縁も切ってしまうからです」
「エンって、お金の事ですか?」
押され気味の花野が、うっかり発してしまった間抜けな問いに、朴葉ははぁ、とため息をつく。
「えにし、のことですよ。神社のお賽銭で五円玉投げて、ご縁がありますように、とか、縁結びの神様とか、そういう奴です。縁って聞いてお金の単位をすぐ思い浮かべるとか、よっぽどお金に困っているのですね」
詐欺師に心底同情されて、さすがにムッとした花野は言い返しそうになったが、ここで反論したら、さっきの主張と矛盾してしまう。こちらを怒らせるのも向こうの話術なのか、と思案していたら、詐欺師がべらべらと喋りだした。
「この子、多分『髪切り』の類いだと思うんですよ。僕、普通は見えないモノが見える体質でして。『髪切り』は、知らないうちにバッサリと髪が切られてる、っていう江戸時代くらいから伝えられる妖怪とか、都市伝説みたいなものなんですが、この店にその手の気配を感じて、マズイ、と直感したんです。『髪切り』と美容室では、あまりに相性がいい。それで、怪しまれるのを顧みず、自分の身を実験台にしたという訳です」
「よく言うよ」
いつの間にか元の向きに戻っていた木箱から、呆れたような声がこぼれる。
「なんか胡散臭いんだよね、コイツ。ちぇっ、オマエのそのボサボサした髪も、全部切れると思ったのに」
「花野さん」
朴葉が箱の声には構わず、人差し指を立てて、怖い顔をする。
「さっき私の髪を切ってもらった時、あなたのハサミが私の枝毛と一緒に、ある縁の糸を切り落とすのを、はっきりと見ました。本来なら『髪切り』は、自分で髪を切る力があるはずなんですが、昨今は、こういうモノたちの力は弱体傾向です。物理的に干渉する事が出来ないから、あなたのハサミを利用しているんでしょう」
朴葉は得意気に喋り続けているが、弱体傾向とか言う割には丸坊主にしないで、とか本気で怖がっていたのは何なんだ、と花野は呆れる。
しかし。
「つまり、お客さんと、この店との縁を、僕が髪と一緒に切ってしまった。だから、そのお客さんは二度とこの店に来なくなった。そういう事ですか」
「ご名答です」
パチパチと朴葉が手を叩き、すぐに「すみません」と項垂れた。
確かに、狭い田舎町だ。店に興味を持ってくれた客が、半年でほぼ一巡してしまったという事なのか。悔しいが、全く心当たりがないのに、急に客足が途絶えた事とも整合性はあるように思えた。町の外からわざわざ聞きつけて来るほどの、自分の美容師としての技術も、話題性も、この店にあるとは言い難い。繰り返し来てほしい周辺の客と、店との縁を切られたら、確かに詰みだ。
「でも、最初は髪切り放題で良かったかもしれないけど、今はお客さん来なくなって、ほとんど髪を切れなくなってますが、それはいいんですか?えーと、この、髪切りさん?は」
喋る箱の本体をなんと呼べばいいのか迷って、花野は言い淀む。
「小糸」
箱が小さく名乗る。
「小糸かー!」
やっと聞けた、とばかりに朴葉は満面の笑みだが、それを無視して、花野は思い切って小糸に尋ねる。
「そう、小糸さんは、僕にいっぱい髪を切って欲しいんじゃないの?そしたら、お客さんは、減らない方が良いんじゃない?」
「そうだけど……、そっか、だからこのごろ、お客さん来なくなっちゃったのか……」
箱の声がしおらしくなったのを逃さず、朴葉が居丈高に説教する。
「君が考えなしだから、お客さん来なくなって、花野さん困ってるんだよ、わかった?」
そして黙ってしまった小糸に、ますます胡散臭い猫なで声で畳み掛けた。
「でもぉ、花野さんには迷惑でも、僕ならちっとも迷惑じゃないよ。ちゃんと縁の糸も見えるから、間違って切ったりしないし。僕と一緒に来れば、美容師さんとは行かなくても、それなりに髪は切ってあげる」
「ぜったい、やだ」
即座に小糸というモノの激しい拒絶が、ビリビリと箱を揺らした。
「どうせオマエは、アタシみたいなモノの力を借りて悪さしてきたのに、そいつに逃げられちゃったんでしょ。それで、後釜を探してるって臭いがプンプンするわ」
言い捨てた後、打って変わって箱が、ぴょんぴょん、と元気よく跳ねる。
「花野さん!アタシは、花野さんが良いの!すっごく、気に入ったの。お話して、ますます好きになっちゃった!髪の切り方も、すごく素敵。このお店も好き。わかった、じゃあ、いっぱいある糸の中からお店の分だけ、切らないようにより分けるよ。それでオッケーでしょ」
「全然オッケーじゃないよ」
花野が頭を抱えた。
「店の縁だけ残っても、意味ないよ。ほかの縁は、ほとんど切っちゃうって事だろ?縁結びならともかく、自分のカットが縁切りになるなんて、作り話にしても縁起が悪すぎる。朴葉さん、何度も言うけど、僕から騙し取れるものなんてない。僕はこの腕だけで、田舎で慎ましく生きていこうとしてるだけなんだ。とっとと帰ってくれ」
カラン。
花野が叫んだその時、ドアのベルが鳴り、二人と木箱は瞬時に口を閉じて、そちらを見た。
「お取り込み中?外まで声聞こえたけど」
品の良い初老の婦人が、ドアを開けて店を覗き込んでいた。
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