龍の愛子

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 天津が毎日水を与えるようにしただけで生子は見違えるほど丈夫になった。眠っている時間も年相応になり、樫の手伝いも以前の通りできるようになった。頬もふっくらしていて子供らしい体つきになったが、成長することはなく、十四になった今も全く変わっていない。  そんな生子にいつからか天津は化粧をするようになった。己の顔にある朱の文様に似た模様を描くのだが、天津は不器用でなかなかうまくいかなかった。 「動くでないぞ、生子」 「はい」  その日も天津は紅筆を持って目を閉じた生子の顔に化粧を施していた。生子はいつもじっとしているのだが、天津の大きな手には細い紅筆が持ちにくく震えている。そのせいでうまくいかないことは天津自身もわかってはいたが、太い筆で描くわけにもいかない。 「あ……」  まぶたに描くつもりが眉に重なり、明らかに失敗した。毎日これではさすがにどうかと思うが、この化粧にも意味がある。繰り返せばうまくなるかと思ったが、そんなことはないらしい。天津はため息をついて、濡らした布で紅をふき取る。 「すまぬな……」 「大丈夫です」  生子はいつも嫌な顔一つせずに付き合ってくれるが、二回失敗すると諦めて簡易なものだけにしている。成功したことがないから簡易なもの以外描けたためしがない。この日も結局簡易なものだけ描いて諦めた。 「天津様はご自身のお化粧はどうされているんですか?」  紅筆を片付けながら問われて、天津はふとため息をつく。 「吾のこれはけわいではない。もとよりあるのだ。龍の姿でもわずかに浮かんでおろう」 「そうでしたね。やっぱり神さまだから特別なのですね」  生子はふわと笑って天津に抱き着く。 「天津様が苦手なら私が自分でしてはいけないのですか?」 「吾がせねば意味がないのだ。どれほど不器用でもな」  生子は天津の膝に座って大きな手に手を重ねる。生子の手は天津の手のひらよりも小さい。 「これほど大きな手であのように小さな筆を持たれる方が無理なのではありませんか?」 「そうかもしれぬな」  小さな手で指を掴んで、尖った爪をつんつんとつつかれた。 「いっそこの爪で描かれては?」 「尖っておるから痛いと厭うておったのはたれだったか」  生子はくすくす笑う。まだ本当に幼い頃、やすりでひたすら削られたことを昨日のことのように覚えている。痛くもかゆくもなかったが、あれほど不満そうにされたのは他になかった。 「許してください、天津様。まだよくわかっていなかったのです。軽く触れてくださる分には痛くありませんから、試してみるのも悪くはないと思うのです」 「そうしてみよう」  翌日、紅を爪につけて描くと思いのほかするすると描けた。 「痛うないか」 「平気です」  少しずつ丁寧に描き進めて、いつもよりずっと短い時間で複雑な模様を描き終え、天津はふと息をつく。 「できた。できたぞ、生子」  天津は声が弾むのを止められなかった。軽く手を振って水鏡を浮かべる。水鏡を覗き込んだ生子が嬉しそうに笑った。 「すごいです、天津様。天津様と同じですね」  目じりから頬にかけて朱で流水や雨を表す文様が描き出されている。天津はふと笑って生子の隣に座り直し一緒に水鏡を見る。生子は左、天津は右で対になるように描き出された文様だ。生子のものはまだ少しいびつだが、今度こそ繰り返せばうまく描けるようになれそうだ。結局道具の問題だったらしい。 「揃いだ」  白髪をくしゃりと撫でてやると生子はふわと笑った。 「天津様、これにはどんな意味があるのですか?」 「守護だ。このけわいなしに外に出るでないぞ」  ほかにも意味はあったが、言う必要はない。生子の器がわずかなりと強くなったからやっとこうして守護の文様が描けるようになったのだ。それだけでも大きい。 「はい。天津様」 「生子、もうすぐ時が満ちる……」  紅で染まった小指を拭いてくれていた生子は天津の胸にとんと頭を預ける。 「生子は天津様のおそばにいます……」  さやと吹いた風が二人の髪を揺らす。
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