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それから、四十年余りの時が過ぎた。いつしか天津のねぐらの入り口には立派な社が建てられた。天津が神としての務めをしっかりと果たしたがゆえに畏れられる神から慕われる神へと変わったのだった。けれど、天津には社が狭く、洞窟へと長い体をうねらせていることは変わらない。社で寝起きしているのは生子だった。
人々も生子を神と認識し始めたらしい。天津の力をさらに四回受け入れた生子は目の色も髪の色も天津とすっかり同じに染まった。だが、身体はまったく成長せず、いまだ幼い子供にしか見えない。そのことに関して生子はもはやあきらめの境地でいるらしい。あと千年、二千年生きても天津にとっては幼子に等しいことは変わりないというのが理由のようだ。
前回から十年近くの時が過ぎ、天津は頃合いだと認識して仄青く光る玉を差し出した。その玉が最後であるがゆえに、これまでの玉よりも一回り大きい。
「生子、これが仕舞い。だが、苦しみはこれまでの比ではないだろう。それでも飲んでくれるか」
前回は一週間苦しみ続けてどうにか生き延びた。それより苦しいとなれば死ぬかもしれない。いくら神に近付いたといっても完全に神になっていない以上、死とは隣りあわせだ。けれど、生子はこれまでと同じようにほほ笑んだ。
「これで本当に天津様の一部になれるのですね」
「そうだ」
「飲ませてください」
天津は生子を膝に抱き、口移しで水と共に飲ませる。生子はそれをゆっくりと飲み下した。
「天津様、愛しています」
そう言って微笑んで見せた生子の顔が苦痛に歪む。痛みに跳ねた身体を天津はしっかりと抱きしめる。
「吾も愛している。耐えてくれ……生子……」
天津の腕の中で生子は苦痛に叫び、苦しみから逃れようとするかのように暴れた。小さな体で受け止めきれぬ苦痛に叫ぶ喉は裂け、口の端から血がこぼれる。ぶつけたわけでもないのに肌が赤黒く染まっていく。これまでにない有様に天津は唇を噛む。社に幾重にも結界を張り、生子に可能な限りの加護を与えたが、もたぬのではないかと胸の奥が黒く染まる。
絶え間なく力を注ぎ、何度も口移しで水を与えた。その水さえ受け付けず、吐き戻してしまうことさえあり、天津は不安を隠しきれなかった。
「生子、吾がついておる……」
生子の苦しみは八日目の朝を迎えても終わらない。もう叫ぶ力も暴れる力も残っていない生子は時折耐え切れぬ痛みに体を震わせながらぐったりと天津の腕の中にいた。口の端どころか、目や鼻、耳からさえも赤い血がこぼれ、その苦痛の凄まじさを物語る。肌が裂け、血が滲んでいるところさえある。
「っ……ま……」
「いかがした。しゃべらずともよいのだぞ」
生子はもう声を出すことさえできなくなっていた。けれど、生子は笑って見せた。
「なれは強いの……吾はこれほどなれを苦しめて、つろうてならぬ……」
いっそこの手で息の根を止めてやった方がいいのではないか。そんな思いさえよぎる。生子の身体の中ではまだ天津の与えた力が暴れ狂っている。まだ終わりが見えない。その時、びくりと体を震わせた生子の呼吸が止まる。
「生子」
心臓も止まっている。絶え間ない苦痛に生子の小さな体が耐えきれなかったのだ。
「生子! 生子!」
頬を叩いても反応がない。天津は唇を重ね、水を飲ませる。どうにか飲み込んでくれたが、心臓が動かない。このままでは死んでしまう。死んだものを呼び戻すことはいくら天津であろうとできはしない。天津は震える手で生子の小さな体を抱きしめる。
「生子……吾と共にあると言うたではないか……」
天津ははっとして生子の胸に直接触れる。気のせいではない。まだ命の火は燃えている。天津の与えた力が邪魔してわからなかっただけだ。今ならまだ引き戻せる。
「起きよ、生子。吾を置いていくなど吾が許さぬ!」
手から強い力を一気に送り込む。一か八かの賭けではあるが、失うくらいなら賭けるほかない。仰け反ってがくがくと震えた生子が息を吹き返した。
「生子……」
生子は苦しそうに呼吸しながら微笑んで見せた。小さな唇がゆっくりと動く。
「や、く、そ、く……そうよな。約束したな」
ふと息をついた生子が天津の胸に触れる。
「ずっと一緒。そうよな……」
また生子がぐったりと動かなくなった。だが、今度はほっと息をついて小さな体を抱きしめる。
「本当にようがんばったの……」
ついに器が成った。今の生子は苦しみから解放され、疲れ切って眠っているだけだ。成功してくれてよかったと心の底から思う。再び目覚めるころには肌の色も元に戻るだろう。天津は生子の顔をきれいに拭いてやってから布団に寝かせ、傍らに横になる。天津もすっかり疲れていた。
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