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それから二年、生子は恙なく暮らしていた。だが、熱を出して寝込むことが増えた。熱がなくても体が重いと言ってぐったりしていることも多い。もとより白い頬はますます白くこけてしまい、明るい色の衵を着せても顔色が悪く見える。天津はそんな生子が哀れでならず、己が力を使わずとも生子を強くする方法を探し求めていた。方々の薬の神も訪ねたが、得られるものはなかった。
天津は深いため息をついて、生子の小さな体を抱きしめる。器は小さく弱いままでとても天津の力を受け止められるとは思えなかったが、もう猶予はない。
「生子、吾になれの命をくれぬか」
彼の太い腕にぐったりと身を預ける生子は健気に笑って見せる。
「私の命は天津様のものです」
「そうであったな……」
天津は可能性に賭けることを決めた。
翌日、わずかに復調したのを見計らって天津は生子を連れだした。空を舞い、連れて行ったのは大きな滝の袂だった。
「天津様、ここはとても気持ちがいいですね」
生子はふわと笑ったが、こけた頬が痛々しい。
「吾のかつての寝床だ。そのころは洞窟だったのだが、うっかりと崩して滝にしてしまった」
「それはずっとずーっと昔なのですか?」
「五千年ほど前だったか……」
天津にとっては五千年もそれほど昔ではない。だが、それが人の子にとってははるかに長い年月であることは知っている。生子はまだほんの少ししか生きていない。己が長く生きるがゆえに短く感じるというわけではなく、人の子にとってもそれが短い時間であるだろう。
天津は生子の痩せてしまった身体を抱きしめる。十を過ぎてから、生子は食が細くなり、成長しないどころかやせ細ってしまった。生子にはもうほとんど時間が残されていない。神々の力をもってしても死せる命をつなぎとめるのは簡単なことではなかった。
「生子、なにも問わずにこれを飲め」
天津は生子を苦しめると知りながら仄青く光る小さな玉を差し出す。生子はにっこりと笑って天津を見上げた。
「大好きです、天津様」
みしり、心が痛んだ。生子は気付いている。これが自分の運命を決めるものだということに。天津がなにも言えないでいるうちに生子はその玉を飲み込んだ。たちまち苦しみ始めた生子は喉元をかきむしりうめき声をあげた。うまく声さえ出せぬほどの苦しみにさらされる愛し子を天津はしっかりと抱きしめる。
「許せ、許せよ、生子……」
小さな弱い器で受け止めきれるのかは賭けでしかなかった。この苦しみがいつまで続くのか、天津でさえ知らない。それでもこのわがままな神は腕の中にある小さな命を失いたくなかった。誰にも知られぬよう密かにここに連れて来たのはもしも生子を失い、感情のまま雨を降らせても村々を押し流すことがないようにするためだった。
天津は苦しむ生子をしっかりと抱きしめ少しずつ繊細に力を分け与え続ける。生子が壊れてしまわないように、与えた玉の力に負けてしまわないように、大切に大切に護り続けた。
「あま、つ、さま……」
かすれた細い声がして、生子は天津の腕にぐったりと体を預けた。三日目の夕のことだった。
「よう、がんばったの……生子……」
天津は賭けに勝った。生子はすうと眠りに落ちた。玉に込められた力がやっとのことで生子の身体に受け入れられた。ぐったりとしているが、頬には赤みが戻っている。これで生子は死から遠ざかった。
生子を早く布団に寝かせてやろうとねぐらに帰る。樫が天津の顔を見てほっとしたように笑った。何も告げずに生子を連れたまま三日も姿をくらましたからだろう。思慮深い樫には伝えておくべきだったかもしれない。
「天津様、心配いたしましたよ」
「許せ。生子を失いとうなかったのだ……」
樫は何事か察したらしく、それ以上何も言わなかった。天津は生子を布団に寝かせ、傍らに横たわる。己がこれほどなにかに執着するほど醜いと天津は知らなかった。
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