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芦屋にガチの告白をされて、1ヶ月くらい経った頃。
俺は神ノ木翔弥の家庭教師と、週末は研究室の手伝いメインに働いていた。
芦屋にはまだ返事ができていない。
「待つから」というあいつの優しさに甘えて、芦屋ともそして神ノ木社長とも関係を続けていた。
さすがに神ノ木の『仕事』が入った日に芦屋に会うことは止めていたが。
そんなある日の研究室で、俺は久しぶりに多良川教授に会った。
会うのは翔弥の仕事を紹介してもらって以来だ。多良川は、俺を見つけるなり近況を聞きにきた。
「麗。どうだ?神ノ木のボンボンのお守りは?」
「苦戦してますよ、夏の間には基礎から応用へステップアップできなきゃヤバいです」
「あー……そうか。翔弥の奴、相変わらずなんだな」
他のメンバーもいる中でできる話ではなかったので、手伝いが終わったあと教授室に移動して話した。
多良川は、大学、大学院とお世話になった教授で、俺の性的嗜好を理解した上で接してくれ仕事まで紹介してくれる恩師だ。
多良川本人は40半ばの独身貴族で、結婚する気はないらしい。
まあ、この人、男女問わず言い寄ってくる人多そうだから、そっちでは苦労しなさそうだけど。
「ま、翔弥の話はいいや。俺は、お前が神ノ木とうまくやれてんのか気になるのよ」
窓の方に向けていた視線を多良川はこちらに向けてくる。
多良川は、俺と神ノ木の契約内容を知っている。
それによって多額の報酬を俺が受け取っていることも。
「神ノ木社長、お忙しいようなので俺が呼ばれるのは2週間に一度くらいです。たまに連続で事前連絡なしなんてときもありますけど。基本、気分が乗られたときに入り用のようです」
「ふふ、そうか。あいつらしい」
多良川は口元に手を当てながら笑う。
多良川と神ノ木は遠縁というが、年が近いらしくたまに連絡を取り合う中らしい。
神ノ木グループはデカイ会社だし、親戚関係も複雑そうだ。親戚付き合いしない俺みたいな庶民からしたら、きっと想像つかない世界があるんだろう。
まあ、俺はそういうのには深入りしない。職業を明かすたびに『相談乗って』と言われるのが非常に煩わしいのもある。
「教授、実は、……聞いてほしいことがあって」
「ん?プライベートか?」
「……そうですね。できたらでいいですけど」
「いいよ。麗のお悩み相談だったら無償で受ける」
今日はもう誰もこないし、予定もないから、というと、多良川は室内に設置された簡易相談スペースを指差した。
「いや、気楽に聞いてもらいたいので、俺はここでいいです」
「あ、そう?」
多良川の机の前のパイプ椅子に腰かける俺を見ながら、多良川は「じゃあ」と言って炭酸のペットボトルを渡してきた。
「ありがとうございます」
「アルコールじゃなくて悪いな。車だから、ここには置かないようにしてるんだ」
「知ってますよ。俺が学生のとき……そう言って車で俺を自宅に連れ込もうとしましたよね」
「あはは。やめてくれよ、もう時効だ」
同じペットボトルを前に出し、「カンパイ」という多良川。一口飲んだら、炭酸の弾ける感覚が口に広がる。
「俺は教え子には手を出さないんだ」
「そういうことにしておきます。俺も未遂だったし」
「でも、俺が抱きたかった麗の身体が、今は神ノ木に弄ばれてるんだと思うと……ちょっと嫉妬するな」
「やめてください。俺は仕事だと思っているので」
「仕事……か。まあ、そうだよな」
多良川は、俺の目の前ではなく斜めにあたる位置に椅子を動かし座る。
対面より、話す方が心理的負担を負わずに済むからだ。
「で?男の話か?」
「……直球ですね」
「麗、お前いくつだっけ」
「29です。もうすぐ、30に」
「あ~なるほど。20代から30代への変化は大きいからな。ほら、女性によくあるだろ。『30になる前に結婚したい』ってやつ。それ系?」
「俺じゃないですけど。………セフレが」
彼氏、とは言えなかった。
多良川は腕を組みながら、う~んと唸った。
「セフレ」
「………はい」
「もしかして、芦屋か?」
ーー即バレかよ。
俺が答えないでいると、多良川は全て理解したように大きく首を縦にふる。
「なるほどな。30になる年に、ずっと身体の関係だけ続けているお前にプロポーズまがいのことをしたと?」
「………その通りです」
「セックス依存症のお前に?」
「!」
俺は思わず多良川の方を振り向いた。多良川は炭酸入りのペットボトルを口につけながらかすかに口角をあげて笑っている。
「………やっぱり、俺、そうなんですか」
「話を聞く限りな。正確な診断は医師がすると思うが。なんなら病院紹介しようか?」
「いや、それはさすがに」
「つってもお前は相手を選んでるし、自制も効くから軽度か、予備軍ってとこじゃねーか?」
「………予備軍」
自分でもなんとなく自覚していたが、第三者から言われるとキツいな。
「ていうか、……芦屋にもバレてるんだった」
「は?」
「いや、芦屋が。俺が依存気味なのは前から知ってたって。芦屋と付き合って一緒に治そうとか言われて……」
「へぇー。あのアニメオタクが?やるじゃないか、愛だなぁ」
多良川は感心したように話す。
……確かに芦屋はアニメオタクだ。それが声優になるキッカケだったらしいし、本人も誇りを持って認めている。
ーーじゃなくて。
「愛、ですか?だって俺たちただのセフレで……」
「そう思ってんのは麗だけだろ。芦屋がお前を好きなのは、お前らが大学生の頃から知ってたよ」
「……………ま、マジ?」
「マジ。つーか今さら?芦屋もよく耐えたよな。もう何年?本当は恋人になりたい奴のセフレに留まって、他の男に抱かれる麗を見続けて。……泣けるわ。俺が無償でカウンセリングしてやるから、今度芦屋連れてこいよ」
「いや、ちょっ……ちょっと待ってくださいよ。だって芦屋の奴、俺が他の奴と寝ててもいつも余裕っていうか、全然気にしてなくて……なんなら、他の奴としたあとにもしてたし………」
俺はそう言ったあと、ハッとして口をつぐんだ。余計なこと言い過ぎだ。俺の馬鹿!
「……麗。さすがにお前それは、ないわ。よく芦屋の精神崩壊しなかったな。あいつ、仙人かなんか?」
「…………芦屋に告白されてからは、さすがにハシゴはしてません」
「当たり前だ、馬鹿」
……やっぱり馬鹿って言われた。そうだよな。
俺が頭を抱えると、多良川は「はぁ~」といいながらガタッと立ち上がる。
「そんなことになってたなんてな。悪かった。お前は特定の相手がいないと言ってたから深く聞きもせず……神ノ木の仕事を回した俺にも責任がある」
「……いえ、全部俺の責任です」
芦屋も、多良川も、神ノ木も悪くない。
俺が快楽に誘惑されて甘えてただけ。
「なあ、麗」
「………はい」
「これは、カウンセリングじゃなくてただの恋愛相談だよな」
「………ですね」
「神ノ木の件は……始めちまったもんはしょうがない。今から翔弥の家庭教師を新しく探すのも、翔弥の性格上慣れるのにも時間がかかって非効率すぎる。なにも知らない翔弥に大人のゴタゴタで振り回すのもかわいそうだし」
「……その通りです」
「だから、俺から神ノ木に話して契約内容を変更する。お前の仕事は翔弥の大学合格と、対人恐怖症によるカウンセリングだけだ。神ノ木とのSEX契約はなかったことにしてもらう」
その分、ギャラは下がるが。という多良川は本気で俺を心配しているように見えた。
「……ありがとうございます、俺」
「勘違いするなよ。麗のためだけじゃない。芦屋のためだ」
「………」
「なあ、麗。散々SEXはしてきただろ。そろそろ相手を決めて、落ち着いた愛のある行為をしたらどうだ?」
愛のある行為ーー?
「そうと決まれば早速」といって、多良川はスマホを手に取り電話をかけた。
相手は神ノ木社長だな。……社長は、こんな俺をどう思うだろう。
「あ、もしもし俺。進司?」
ビクッと身体が震える。
多良川の電話を横で聞きながら、俺はぎゅっと目をつむって神ノ木社長の返事を待った。
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