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神ノ木社長は、俺にふたつ提案をした。 ひとつ、翔弥の勉強面の家庭教師は卒業し、精神面のカウンセリングを基本週に1度行うこと(カウンセリングの間隔は翔弥の状況によって随時変更) ふたつ、例のデータはマスターから全て削除する代わりに、翔弥のカウンセリングを行ったあと社長の相手をすること。ただし、社長が仕事のときは免除される。また、相応の報酬は引き続き支払う。 「バカじゃねーの……」 俺は書面に記された文章を見ながら呟いた。 隣では百瀬が、部屋の電話でルームサービスを頼んでいる。 やがて電話を切ると、上半身裸のまま近づいてきた。 「新しい契約書ですか?」 「………ああ。今度はちゃんと書面にした」 「……『神ノ木家での契約時間以外、新見麗のプライベートには一切関わらないこと』『盗撮盗聴、それに類似した全ての行為を禁じる』………へえ、前回より、かなり厳格な内容ですね」 「当たり前だ」 「で?この契約書の有効期限は?」 ベッドに腰掛ける俺の隣に座り、俺から契約書を受け取ると、百瀬はそれを面白そうに見ながら聞いてきた。 「ここにあるだろ」 「……あ、『神ノ木翔弥が神ノ木グループの役員として認められるまで』……役員?」 「……大学卒業したら会社に入れて、働いて、実力で結果出して、そのときの役員たちの過半数の指示を得て役員になれたら、俺は任務成功で、契約満了」 「………そ、それは随分と先の長い……話、ですね。てっきり1年……いや、翔弥さまの大学卒業までだと」 「…………それじゃ、あのオッサン、納得しなかったんだよ」 俺は、くそっと言って立ち上がった。百瀬はもはや哀れみの目で俺を見ている。 「……可哀相に。じゃあ、それまで少なく見積っても……10年くらいは、拘束されますね」 「10年で済めば、まだマシだな」 「つまり、私との契約もそれまで続くんですね?」 百瀬は書類を俺に渡しながら手に触れる。 「………どうにか1年くらいにまけてくれないか?」 「無理です。私は社長と関係を持ち直せなかった腹いせにあなたを抱くんですから」 「腹いせって………大体それ、俺のせいなのかよ?あの男、お前が俺に嫉妬してんのも楽しんでるっつってたぞ?」 「……ふふ、そうでしょうね。まあ、でも、多良川さんが、社長好みのあなたを紹介しなければこんなことにはならなかったかもしれませんしねぇ」 「…………教授め」 いや、多良川を恨むのは違うだろ、と思いながらもつい舌打ちしてしまった。 ーーにしても、百瀬と神ノ木の関係は到底理解できない。お互いわかってて同じ相手(おれ)を抱くとか。まあ、聞いたところで答えてくれねーか……。 百瀬は考え込む俺に、ちゅ、とキスをしてくる。 「おい、やめろ。恋人じゃあるまいし」 「そうでした。つい」 「お前はなんか、機嫌が良さそうだな」 「翔弥さまが大学に入られて……出席なさるようになってから、付き人の仕事が減って時間ができるようになったんです。まあ、色んな雑務はありますが」 「………翔弥、大学に行けてるのか」 高校卒業から春休み、そして入学式まで、俺は神ノ木家に行っていなかった。 神ノ木との翔弥のカウンセリングを含めた『再契約』は、4月後半からになっていた。 年度末から年度始まりは、社長も翔弥も世間並に忙しいという理由だ。 「今のところ毎日。対人関係は別ですが、講義は楽しいようです」 「経営学か……大変そうだな」 「新見先生の影響で、心理学系も積極的に受講してるみたいですよ?」 「………そらまあ、人の上に立つんなら一般知識としてはな……」 ーーなんにせよ、そうか。翔弥が大学に行けているなら、俺の仕事は成功したよな。 大学は、中学や高校と違ってクラスの枠組みもキツくないし、基本自由だ。 翔弥の場合、アルバイトとかもしなくていいだろうし、好きなことに好きなだけ打ち込める。 「それで?」 「はい?」 「翔弥は………あれ以来、俺のこと、なにか言ってたか?」 翔弥とは、結局、あのパソコンを割った日からふたりで会えていない。 神ノ木は、翔弥に例の動画を送ったことは認めたが、それを翔弥がああいう形で俺に見せたことには少し驚いていた。 そもそも息子に送るなよ、という俺の反論に神ノ木は「間違って送ってしまい、翔弥には必ず消すように伝えたんですが」とかなんとか言ってはぐらかされた。翔弥が俺に気があることを知った上で、「間違い」はないだろ。もはや呆れて言い返す気にもなれなかったが。 「いいえ。特には」 「………そうか」 「あ、でも、4月の下旬から新見先生がカウンセリングで来ますと伝えたら、嬉しそうでしたよ」 「………あいつは、この契約書、知らないんだよな?」 前回のことは、おそらく神ノ木からバレている。今回はそうならないように『翔弥には契約内容を話さない』との記載はしたが……。 「言わないでしょうね、契約にそう書いてあるなら」 「百瀬、お前も言うなよ?」 「……なるほど。やっぱり翔弥さまに知られたくはないんですね」 「当たり前だろ」 ふふ、と笑いながら百瀬は俺を抱き締める。 首筋に口を近づけられた瞬間、ピリッと痛みがした。 「った……!おい!」 「ああ、すみません。つい、」 「つい、で済むかっ!跡になったらどうすんだよ!!」 「芦屋さんにバレたくないみたいですね。『身体に跡がつくような行為はしない』……随分まあ細かい要求までつけたこと。あれこれ制限されたら、期間でも長くしないと社長も、はいこれとのめない条件ですね」 「……お前も同じだっつの!」 そのままドサッとベッドに押し倒される。 素早く下半身を触られたところでーートントンと部屋のノックが鳴った。 「ーー!」 「ルームサービスです。出ますね」 「………あっ、ああ……」 そういやさっき頼んでいたな。 俺は奴に「服着ろよ!」と言うと、百瀬は近くにあったシャツを手にして俺から離れた。 ただのルームサービスごときでーードクドクする鼓動を抑えようと、ギュッと心臓付近に手をやった。 ーーこんな日々が、これからまだ続くのか。 神ノ木社長とも、百瀬とも…… そして翔弥のカウンセリングまで。 ーー浮気するときは、絶対、俺にバレないようにしろよ。 芦屋のセリフが頭を刺す。ズキズキ刺さる。 これは浮気ではない。……『契約』だ。 心は一切、微動だにしていないのだから。 ………だよな? ルームサービスの夕食を受け取り戻ってきた百瀬を横目に見ながら、俺は、芦屋とのこれからのことを考えていた。
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