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神ノ木翔弥の家庭教師は、基本朝10時から夜7時までの契約だった。昼休みは1時間。勉強の合間にカウンセリングも兼ねるというのが一応依頼主側の希望だ。休憩用の個室と昼食は出してくれるということだから、ありがたい。
「あの、大学試験開始まで10ヶ月ほどありますが、中間や期末、模試などは受けるんですよね?」
雇用契約書に目を落としながら、俺は目の前にいる付き人の百瀬に聞いた。
「はい。翔弥さまは只今高校に行っておりませんが、授業は配信やリモートで受けています。試験や高校との面談などは、私が付き添い別室受験などで対応しています」
「………それで単位が取れるんですか?」
「小中高大一貫の私立ですので。生徒に合わせた柔軟な対応をしてもらえます」
「大学も?」
「系列大学があります。ですが、エスカレーターというわけではありません。……翔弥さまの成績はご覧になりましたか?」
「?いや、まだですが……」
これまでにも俺以外に優秀な家庭教師をつけていたというから、成績はそこそこなんじゃないのか?親も親だし、先週初めて会ったときも机に座って勉強していた。
「……それなら、先に成績をご覧頂いた方がいいかもしれません」
百瀬はそう言って立ち上がった。
「あの」
「翔弥さまのお部屋に行きましょう。お話はそれから」
「………」
俺は、歩き出す百瀬のあとをついていくしかなかった。
*****
「ーーーは?」
「ですから翔弥さまはザ平凡なんです。成績に関しましては。生まれや家柄や環境や容姿は一流ですのに、こと勉学に関しましては……日々努力は惜しまなくいらしても、なかなか成績が上がらないのです」
翔弥の部屋に入ると、翔弥本人は大きなベッドに横になって寝息を立てていた。
百瀬は翔弥を起こすことなく、俺を翔弥のデスクに誘導すると、高校時代だけではなく中学時代からの成績ファイルを引き出しから取り出し見せてきた。
ーーーオール3。
5段階評価でいえば、全てがオール3だった。
なにかが突出しているわけでも、駄目なわけでもない。
ここまでキレイに横一列だと逆に気持ちいい。
「あの、俺より優秀な家庭教師がついていたと聞きましたが?」
「それは事実ですが、それが本人の学力に繋がるかはまた別問題ですよね」
「…………まあ、そうですかね……」
ちら、と翔弥を見た。キレイな横顔が見える。
ーーマジかよ。ボンボンなのに?
「……遺伝子とは」
「……ですねぇ」
百瀬は苦笑しながら、「翔弥さま」と言いながら翔弥を起こし出す。
「ん………百瀬?」
「お目覚めですか。新見先生がいらっしゃっておりますよ」
「にいみ………あっ!」
ガバッと翔弥は起き上がり、百瀬の隣の俺を凝視した。
「………あ、あ………あの」
「こんにちは。翔弥さん。今日からよろしくお願いします」
成績に若干引いた俺だったが、こいつはあくまで生徒でクライアントだ。営業スマイルで向き合わなくては。
「では、私は別室におりますので……また昼食時に伺います。なにかありましたら、そちらの電話でお呼びください」
百瀬は部屋の端に置いてある受話器を指差しながらそう言うと、頭を下げて出ていった。
翔弥はそれを確認すると、慌てて身なりを整える。
「す、すみません。寝て、いたよう、で」
「いや、大丈夫だ。……朝から勉強していたのか?」
「は、は、はい……。配信された学校の授業内容で、ふ、復習を……」
もうすぐ中間テストなので、と小さく呟く。
5月のゴールデンウィーク明けがテストだったな。俺は席についた翔弥の隣に近寄った。
「あんたの成績を見た。付属大学を狙っているわりには芳しくないな」
「………すみ、すみません。勉強は、してるんですが」
「それは聞いている。ーー今日から俺が要点をまとめ教えるから、それを優先してやれ。いいな?」
「は、はい。……そ、うすれば、付属大学、行けます、か?」
翔弥は不安そうにこちらを見る。……大学には行きたいようだな。
「テストは出るところを勉強しなければ意味がない。あんたのノートを見る限り、かなり無駄な箇所に時間を使っている。知識として覚えるのは大事だが、要点がわかっていなければ受験で勝てない。六大学に合格したいとか言われたらかなり難しいが、幸いそうじゃない。高校の付属大なら、十分勝算はある。付属高生徒の優遇もあるし、学科試験で平均以上をとればな」
「………!」
俺のセリフに翔弥は少し顔色が明るくなった。百瀬から受け取ったファイルをバサッと机に置いて、俺は翔弥の隣に座った。
「あんたの大学受験は面接がない。学力さえ上げられれば合格できる」
「………」
「まあ、翔弥さんの場合?社会に出るまでに病気をなんとかしないといけないけど。パッと見た感じ対人恐怖症に加えて若干の吃音、赤面症もありそうだが、それはまあ、追々……」
カウンセリングを兼ねていくか、と頭の中で考えていたら、机に置いた手になにかが触れた。
「!」
「………新見、せ、先生」
それは、翔弥の右手だった。
ーーえ?なんだ?手を握られてる?
「翔弥……さん?」
無下に振り払うわけにもいかず、俺は自分の手に重ねられた翔弥の右手を見ながら聞いた。
若くてキレイな横顔がこちらを向く。
「ぼ、………僕」
「ちょ、ちょっと、待った。おいっ?」
「僕が、成績あがったら、……………くれるって、本当、ですか?」
「は?」
なに?いま、なんて?
翔弥の声が聞き取れなくて、俺は思わず翔弥の顔に耳を寄せた。
ーー聞こえねぇんだよ、神ノ木グループの御曹司ならもっと堂々と話せよ。って……それができないから俺が呼ばれてんだっけーー
「おい?翔………」
そのとき、ぐいっ!と左手で首元を掴まれた。喉に圧迫感を感じたと思ったら、翔弥の唇が俺の唇に触れた。
「!?」
少し濡れた感覚が唇を通して伝わり、ガバッと立ち上がった。
「は……っ、はあ!?」
「………先、生」
「や、いや?いやいやいや、おま……今、なにをーーー」
目の前の高校生は、相変わらず不安そうな瞳をしながら、俺をまっすぐに見据えてくる。
ーーこんなに目があったのは、今が初めてだな。
キスされたことは理解できた。だが、その理由はまったく理解できない。
「翔弥」
「………ごめ、ごめんなさい」
「いや別に、いいけどキスくらい」
「……………それは、な、慣れてる、から?」
ーー慣れてる?……まあそりゃ、家庭学習の高校生と比べたらな。
いやいやいや、そういうことじゃない!
「ーー翔弥さん。今の行動はどういう意味が?」
「…………」
「……俺は、あんたの家庭教師でついでにカウンセリングも頼まれてるだけですよ」
「………でも、も、百瀬が……言ってたんです」
「?百瀬さんが?」
「………新見、先生は……男の人が、好き……なんですよね?」
翔弥は今度は目を剃らしながら言った。
………マジか。百瀬……あのやろー。
俺をどこまで調べてる?まさか……翔弥の父親から聞いた?それとも、大学の恩師?
「………俺が、そうだとして。翔弥さんに関係あります?高い報酬もらってはいるけど、プライベートまで関わる契約ではないはずだけど」
「で、すね……」
「ーーあぁ、もしかして物珍しい?そういう人種にカテキョしてもらいたくないって?」
「ちが、ちがいます、そうじゃなくて……」
ーーわかってる。そんなわけない。大体、翔弥や百瀬に俺を切る権限はない。俺は、翔弥の父親とちゃんとした契約を交わしている。
「じゃあなに?……未成年とこういうことすると、捕まるのは俺なんだけど」
「……あの、僕………実は……」
「?」
翔弥は言葉を濁らせている。あーイライラする。いきなりキスされただけでも腹立たしいのに。でも、我慢だ、耐えろ。カウンセリングだと思って、相手の言葉を引き出せ、俺。
これ以上、できるだけ表情を変えずに俺は翔弥の言葉を待った。
たっぷり3分ほど待ったあと、翔弥は小さく声を出した。
「……新見先生のこと、……すごくタイプ、です。成績が上がって、大学に受かったら……………僕を、彼氏にして、くれませんか?」
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