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ーーいや、待て。想定外だろ、これは。
「百瀬さん、あなた翔弥さんになにを吹き込んだんですか?」
昼休み。俺は百瀬を呼び出して、自分の与えられた部屋にいた。
百瀬は真っ黒いスーツを来て、特別驚きもせずこちらを見ている。
「なにかされましたか?お坊ちゃんから」
「……そちらのお坊ちゃんの性癖は?」
「性癖……」
「………」
「ーー女性に興味が持てないようです。中学の頃にそれを自覚されて、ついでに対人恐怖症も悪化して、一時期大変でございました」
ペラペラと翔弥の話をする百瀬。……プライバシーもへったくれもない話だな。おそらく翔弥のことは、両親含めて把握されている。
「それは、知っているのはあなたとご両親だけですか?」
「大まかにはそうです。ですが、歴代の家庭教師にも、翔弥さまはあなたにしたことと同じことをして、辞められています。社長が結構な口止め料と誓約書を書かせているので、そこから漏れることはありませんが」
「………なるほど。だから、今回、同類の俺が指名されたと?翔弥をその気にさせて大学合格と、人前に立てるようにするために?」
「……頭が回る方だ。さすがです。そうなりますね」
百瀬は頷いている。
「今までの家庭教師は全員ノーマルでした。当然、翔弥さまの要望には答えられない」
「ははっ。ほぼ初対面の俺にキスできるなら、対人恐怖症なんてすぐ治りそうですね」
「………治りますか?本当に?」
百瀬は少し期待をしたような目をした。
ーーわかるか、そんなもん。
翔弥の背景も、希望も、人格や性格も、わからない。まだまともになにひとつちゃんと話してないし。
「百瀬さん。俺は確かに同性が好きですが、だからといって仕事先のクライアントに……ましてや高校生に手を出すつもりはありません」
「そうですか。それは、失敬」
「仕事なんで、家庭教師は続けますけど……今後はふざけたことをあのガキに吹き込まないで頂きたい」
百瀬の前に立ち、そう変わらない背丈の男を見つめる。
ーー堅物で融通の効かなさそうな男だ。
俺の苦手なタイプ。
「新見先生」
「はい?」
「あなたの大学の恩師が社長の遠縁で、あなたを社長に紹介したことは聞いております」
「……へぇ」
「社長が、あなたの嗜好を知った上で採用したことも」
「だからなんです?百瀬さん、あなたはノーマルだから、俺のことが気持ち悪いと?」
百瀬は眉ひとつ動かさない。動揺してる素振りはなかった。
「そんなことはまったく。ただ、さすが社長が高額な契約金を出して、認めただけのことはあるなと思いまして」
「………それはどういう?」
「つまり、神ノ木社長と寝たんじゃないですか?今までの家庭教師とは、あなたを雇う額が違います」
ーーなるほど。
確かにそれは、イイ線をついてる。
「百瀬さん」
「はい」
「だったらどうします?俺が神ノ木さんと寝てたら。奥様に言いつけてクビにしますか」
「……まさか。奥様はもうずっと翔弥さまや社長とは一緒に暮らしておりません」
「……でしたね」
神ノ木夫人の別居は割りと有名だ。
まあ別によくあることだな。息子が男好きで精神やられて、学校も登校できなくなって。
ついでに旦那も、女だけじゃなく男も抱けるなんて知れば。
普通に壊れるな。カウンセリングが必要だ。
それでも離婚しないのは、金のためか。
ーーま、夫人のことは俺には関係ないんだけど。翔弥のバックボーンとしては必要か。
「新見先生」
「はい」
「……余計な詮索でしたね」
「いいですよ、別に。ーードキドキしますね、百瀬さん、あなたみたいなストイックな男性に、自分の性癖を暴かれるのは」
俺のタイプではないけど。
心の中でそう思いながら、百瀬を見ると、やはり眉ひとつ動かさない。
「厄介な方ですね。今までの家庭教師は、翔弥さまのキスだけで、それはもう狼狽えておりました」
「褒め言葉として受け取ります。ガキのキスくらいで動揺するような初心じゃないんですよ。残念ながら」
ちらと時計をみると、早くも13時を少し過ぎている。午後の授業開始だ。
「もういいですね。俺は戻ります」
「……そうですね。新見先生」
「はい?」
「大体おわかり頂けたと思いますが、翔弥さまを、よろしくお願い致します」
百瀬はそう言って頭を軽く下げると出ていった。
「タイプじゃないけど、あれならありだな……」
俺は百瀬の背中を眺めながら、ふと笑った。
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