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*9 気付かされる自分の甘さ
「ほんっとに、すみませんでした……」
翌日、俺は昨夜のひと悶着に対して頭を下げていた。
下げられた方は苦笑していて、「いや、まあ、俺はいいんだけどさ、他のところからは何も言われてない?」と、逆に気を遣われてしまう始末。俺はただうなだれるようにうなずくしかできない。
ひと悶着のきっかけがきっかけだったし、しかもそれで怒鳴り合いしたのがアパート中に響いてしまったらしく……
「まあ、以前救急車呼ぶような騒動起こした俺らも人のこと言えた立場じゃないんだけれどさ、真夜中のケンカは下手すりゃ警察沙汰になったりするから気をつけなきゃだよ」
「ホント、アキさんの言う通りっすね」
ノンちゃんと弁当のことがきっかけでつかみ合いするほどの大ゲンカを、昨夜久々にしてしまった。
あまりの大声にノンちゃんの部屋の上に住んでいるアキさんが飛んできたほどだ。
アキさんへの応対は外面がいいノンちゃんがしたから、アキさんが俺らのつかみ合いの間に割って入るような事態は避けられた。
でも、明らかにケンカしたのはバレバレだった。
そんなワケで、つかみ合いまで行ったケンカはアキさんが来てくれたおかげでぐずぐずになって殴り合いにはならずに済んだ。
だけど、あれきりノンちゃんとは口も聞いてないし、顔も合わせていない。
まだたった半日しか経っていないけれど、二十数年の付き合いの肌感覚から言って、今回のはかなりヤバいと思う。
現に、たとえ前の晩にケンカしてもいつもなら作ってくれる弁当が今日はないので菓子パンだ。
「はー……」
「鹿山くん、あからさまに食べっぷりが悪いね」
「……や、だって味しないっすもん」
まあ気持ちはわかるけど、と、アキさんは苦笑して自分の弁当を摘まむ。
ノンちゃんが弁当作らないのは風邪ひいた時ぐらいなんだけれど、今回は該当しないので、例外中の例外ということになる。
ということはつまり、ノンちゃんは相当にお怒りだということだろう。
「え、それってかなりヤバくない?」
「……で、すね」
アキさんが俺の話を聞きながら本気で心配してくれる。それが余計に事態の深刻さを浮き上がらせていて、ツラい……
元々は俺が弁当を三嶋に渡してしまったことが原因だから、悪いのは俺だろう。
でも、ノンちゃんだってかなり言い過ぎなんじゃないかとは思うんだよな。そりゃあ、バレるのが心配でピリピリするのはわかるけどさ。
「鹿山くんさ、まずちゃんと馬越くんに謝った?」
ど基本なことを言われて、俺は言葉に詰まる。昨夜の自分の言動を振り返ってみるけれど、ちゃんと謝ったぞ! と、胸を張って言える感じではないことに改めて気づかされる。
俺がゆるゆると首を横に振ると、アキさんは小さく溜め息をついた。それは仕方ないだろうな、と言いたげに。
言葉にされない分自分のやらかしてしまったことの重大さが身に沁みる。
「謝れる、雰囲気じゃなくて……」と、それでも悪あがきで言い訳をしてみたけれど、自分がちゃんと謝れていないことは変わらない。
そもそも自分に原因があるのに謝れていないってどういうことだよ、と、改めて気づかされて言葉が出てこなくなった。
「……俺、最低っすね」
「それは俺からはコメントしないけど……まあ、良い感じではないかな」
「どうしたら、いいんだろう」
「謝るしかないんじゃない? そもそもの原因についてもちゃんと」
話はそれからじゃない? と、アキさんから当たり前のことを真正面から言われて、俺はうなずくしかなかった。
子どもの頃から俺は自分から謝りに行くと言うのが本当にできない。
小さい頃は親をはじめとする大人に促されてようやく頭を下げる感じだったけれど、心の中では全く納得していなかったし、それは態度にも出ていたと思う。
幸いにノンちゃんの両親は大偏食の俺の食事を引き受けてくれるくらいおおらかでやさしいから、お互い様だから、と常に言ってくれていて(もちろん目に余るようなら叱ってくれたけれど)、俺とノンちゃんが遊ぶのを嫌がらなかったし、ご飯も作ってくれた。
よくこんな俺でもノンちゃん友達やめなかったし、それどころか付き合ってくれるようになったなと思うんだ。
――考えてみれば、口こそ悪いけれど、ノンちゃんはたしかに俺を愛してくれているんじゃないか? こんな俺にご飯まで作ってくれたりして。そう、やっと思えた。
好きだとか愛しているだとか、わかり易い言葉があれば安心材料は一応得られるけれど、そういうのは心の中で違うことを思っていても言えてしまうことでもある。
昔からのノンちゃんは俺の大偏食にもめげないで、しかも美味しいご飯を作ってくれている。
お礼でエッチなことちょっとするとしても、俺が嫌がるようなことはしない。ノンちゃんなりのやさしさで触ってくれる。なのにもっと触ってくれたらいいのになんて思ったりしている。ノンちゃんはノンちゃんの考えがあるかもしれないのに。
これを愛されていると言わないで、なんて言うんだ? これ以上俺は何を望めば気が済むんだ?
自分の愚かで強欲な願いに、俺はたちまちに恥ずかしさを覚えた。俺、めちゃくちゃカッコ悪いじゃん、って。
ようやく気付かされた自分の間違いを悔やみながら頬張った菓子パンは、なんだかいつになくほろ苦い気がした。
アキさんとアドバイスもあって、俺はその日家に帰ってから合い鍵でノンちゃんの部屋に入った。ちゃんと昨日のことを謝りに行くためだ。
ノンちゃんの部屋は俺と同じ間取りのはずなのに、すごく綺麗に片付けられている。
塾で国語の講師をしていることもあってか昔から本が好きで、教科書ぐらいしか読まない俺からすれば恐ろしいほどの数の本を読んでいる。
最近でこそ電子書籍がほとんどらしいけれど、やっぱり紙も好きだとかで、狭い六畳間の壁一面に大きな本棚が置かれている。そこにはいろいろな本がびっしり並ぶ。
小説を中心になんかよく解らない難しそうな本とか、仕事に関係するような教育関係の本の中に時折料理関係の本が混じる。
基本の料理の本から、「野菜ぎらいさんがみるみる食べるレシピ」だとか、「おいしい魚料理」だとか、明らかに俺の偏食対策だと思われるものも。
ノンちゃんの本棚をじっくり見たことなかったけれど、ここをみるだけでも、いかに俺は愛されているのがよくわかる。
だって、たかが親に頼まれた幼馴染の食事で、こんなにレシピの本を買い込むことなんてないだろうから。
「ごめんね、ノンちゃん」
誰もいない部屋の本棚を見つめながら呟いた言葉は、整然と並ぶ本の中に吸い込まれていった。
ちゃんと謝ろう。そしてちゃんとありがとうって伝えよう。どんだけ自分が甘えているのかよくわかったから。
それを示すために掃除でもしようと思ったけれど、ノンちゃんの部屋は掃除さえ下手くそな俺の出番がないほどきれいなので、仕方なく大人しくダイニングテーブルに座って待つことにした。
部屋に来たのが夕食後の八時過ぎで、いつもならそれから数時間ほどすればノンちゃんが帰宅するはずだ。
悪いと思いつつも冷蔵庫を覗いたんだけれど、作り置きっぽいのはなかったから、たぶんノンちゃんも俺みたいにコンビニの弁当を買うかなんかするはず。それか、どこかで食べてくるか。
ノンちゃんは酒が一切飲めないから、居酒屋に行くことはないだろう。そうなるとファミレスか定食屋かラーメン屋か、それともカフェ? なんにしても、日付が変わる頃までには帰ってくるはずだ。
なのに……夜の十一時を半分ほど過ぎても、ノンちゃんが返ってくるような気配はなかった。
「遅いなぁ……」
いつもなら遅くなる時は俺に遅くなる旨の連絡があるんだけれど、今はケンカ中だからそういうものはない。当たり前だけれど。
だからただ待つしかないんだけれど、俺にも明日の仕事があるからずっと夜更かしして待ち続けることは難しい。
休日前の夜ならいつまででも待てるけれど、平日に、交際している相手との痴話げんかで寝不足になって仕事に行かない、というわけにも社会人としてはいかないのだから。
日付が変わって三十分ぐらい粘ったけれど、結局ノンちゃんは俺が部屋にいる間に帰ってくることはなかった。
絶望的な気持ちを抱いたまま、俺はその晩眠りにつき、ノンちゃんから別れを切り出されると言う最悪な夢を見る羽目になった。
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