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*1 俺と彼の名前のない“おいしい”関係
「あー、鹿山先生、またラブラブ弁当だぁ」
昼休み、職員室で昼食に弁当を摘まんでいたら、次の授業で担当するクラスの男子生徒に目ざとく見つかってしまった。
声のした方に振り返ると、何か言いたげにニヤニヤしたショートカットに学校指定ジャージ姿の少年がこちらを見ている。
「……ラブラブ弁当ってそんな……」
「隠さなくてもいいじゃん。鹿山先生と馬越先生がラブラブなのはウチの学校から栄光塾に通ってるやつらの間では常識だよ。それに、鹿山先生が馬越先生のお弁当なら残さず食べられるってこともみーんな知ってるよ」
生徒に知られるにはどうだろうかということまで知られているけれど、俺はれっきとした体育教師だ。
含みのある彼の顔を横目で見ながら、俺はこほんと咳ばらいをして弁明する。
「あのね、三嶋くん……ラブラブって言うか、俺と馬越先生は……」
「“実家もいまもお隣さん同士の幼馴染”で、“先生は馬越先生以外のひとが作ったものが食べられない大偏食”なんでしょ? 知ってるよ」
「じゃあなんで」
「見てて楽しいから。あと、リアクションかわいいから先生からかうと面白いし」
先生たちの関係はキミたちの暇つぶしじゃないんだぞ……と、言う気もめげるほどに、俺はほぼ毎日彼にこんなことを言われているから、黙って溜め息をつくしかない。
べつに、俺・鹿山朔が、駅前の栄光塾の国語科の馬越先生こと、馬越望とそんな風に生徒にからかわれるような関係にないのに、そう言われるのが不愉快だ! ――と言い切ってしまえない事情がある。
まず、彼の言う、“俺と馬越先生の関係”は、本当だ。幼馴染で、お隣さんで、大偏食な俺が彼に食事の世話になっている、ということは紛れもない事実だ。
大学進学のために実家を出て上京するにあたって、大偏食な俺に親から出された条件が「ちゃんとした食事を取ること」だったのだ。
一応自分でも自炊にチャレンジしてみたけれど、炊飯器でさえご飯がまともに炊けず、味噌汁もおかずも焦がしまくってなにまともにひとつできなかったので、同じく上京することになっていたノンちゃんに泣きついたのだ。
最初の方こそノンちゃんも俺に料理を教えようとしてくれたんだけれど、俺があまりに指示を聞かない(俺は聞いているつもりなんだけれど)のでノンちゃんがブチギレを通り越して呆れてしまい、苦笑交じりにこう言ってくれたんだ。
「しょーがねぇな、俺がこれからも作ってやるよ」
その言葉は地獄に仏なくらいに有難くて、だからつい、「お礼に俺なんでもするよ!」なんて言ってしまったんだ。
食費を折半しろとか、(料理よりはマシだけど)下手くそな掃除とか洗濯とかをしろとか言われるのかな……って思っていたら、ノンちゃんは片頬を上げてこう言った。
「――俺がメシ作ってやるから、お前は“デザート”だな」
“デザート”と、言われて、俺は毎食後にコンビニスイーツでも買って来ればいいのかな? なんて思って、「ノンちゃん何食べたい?」って訊いたら、ノンちゃんは一瞬ぽかんとして、そしてゲラゲラと笑った。
なんでノンちゃん笑っているんだろう? と首を傾げていたら、ノンちゃん笑いすぎて涙のにじんだ目じりを拭い、それから俺のあごに手をやって上を向かせ、突然キスをしてきたんだ。
え、キス……? って俺が呆然としていると、ノンちゃんはまだくすくす笑っていて、唇を離してこう言った。
「とりあえずはこれでいいや」
「とりあえず……?」
「その内すげぇ美味くしてやるよ」
すごく美味くなるのが料理なのか、俺なのか、その時は全然わからずにぼんやりうなずいていたんだけれど、“美味くしてやる”の意味が最近なんとなくわかってきた気がするんだ。
それ以来ずっと、俺はノンちゃんにご飯を作ってもらったお礼にとキスをさせられている。
高校卒業くらいから続いているそれは、最近ではなんだか舌が絡むようなのになりつつあって、時々ノンちゃんは俺の胸の辺りとかを触ってくるんだ。
俺はノンちゃんが初めてのキスの相手だからよくわからないんだけれど、マンガとか映画とかで見たのと比べても、ノンちゃんのキスはちょっとエッチだ。
「ん、っふぅ……っあ、んぅ!」
「サクはキスすると女の子みたいな声が出るんだな」
「っふ、うぅ……」
「そういうとこ、かわいいな、お前は」
自分で言うのもなんだけれど、俺って結構筋肉ついている方で、体脂肪率も十パーセント前後だったりする。だからなのか、ちょっと触れられるだけでもすごくこう……ドキドキ、というか、感じてしまうんだ。
だから触られるとちょっと変な声が出てしまうこともあって、恥ずかしい。でもノンちゃんはそれをかわいいと言いながら楽しんでいるみたいなんだ。ヘンな声を俺が漏らすたびに、一層甘いキスをしてくる。
毎晩毎晩、俺は夕飯の後に“デザート”にされる。ノンちゃんの骨っぽい大きな手に捕まえられるように抱きしめられて、食べられるようにキスをされて。
「あ、んぅ!」
「サクの胸は気持ち良いな……こうしてたら、お前も気持ちいいだろ?」
「っやぁ、ん!」
ノンちゃんは俺より筋肉がない……というかまあ普通の体系で、背は俺よりも高い。メガネをかけていてオシャレなあご髭があって、見た感じすごくクールで大人っぽいし、仕事始めてからはまあまあいつもそんな感じだ。
だから余計に俺はノンちゃんのカッコ良さにも翻弄されてしまって、キスのたびに躰が熱くなりそうでドキドキしてしまう。だってキスだけでそうなってるだなんて、女の子みたいな声出ちゃうよりも恥ずかしいから。
――そんなことを彼にされているのを教え子に言うわけにはいかないから、今日も俺は噓をつく。
「大の大人が、幼馴染だからってだけで毎日お弁当作ってあげるとか……」
「仕方ないんだって、親との約束でもあるんだから」
「先生たちもう大人なのに?」
「習慣になっちゃってるの」
「じゃあ僕が作ってあげるよ」
「生徒にそういうことさせるわけにはいかないんだよ……ほら、もう昼休み終わるよ。体育館の鍵取りに来たんじゃないの?」
「あ、そうだった。先生、鍵」
「鍵下さい、でしょ。先生は鍵じゃありません」
「鹿山先生様、鍵下さいませ」
「よくできました」
三嶋は調子よくそう言いながら、苦笑いする俺の手から鍵を受け取り、元気よく職員室を出て行った。
三嶋は俺より背が若干高いせいか、俺のことをかわいいのなんのと言ってからかってくる。中学生特有のコミュニケーションの取り方なんだろうけれど、何かノンちゃんに話すと怒るんだよね。
俺は彼の姿が見えなくなってほっと息を吐き、昼食に戻る。
今日の弁当は作り置きの甘めのレンコンのきんぴら、青のり入りの卵焼き、ちくわのチーズ詰めに昨夜の唐揚げ、そして枝豆の混ぜごはん。
冬にはこれに豚汁とか汁物がついたりするんだから、馬越先生……ノンちゃんは、本当にマメで料理が上手い。
「鹿山先生、本当の美味しそうに召し上がりますねぇ。幼馴染さん、お料理上手なんですねぇ」
「ええ、そうなんですよー」
隣の教師からの言葉にうなずきつつ、弁当のおかずをひとつひとつ味わいながら、今日もなんとか嘘をつき通せたことに安堵する。ほとんどもう三嶋には意味がないように思われていても、職場であるここで首を縦に振るわけにはいかないから。
――そう、俺とノンちゃんは、ただの幼馴染やお隣さんではない。それ以上に身も心も密着密接した関係、つまりは恋人同士……の、はずなんだ。
身も心もと言いつつも、実際密着しているのは唇とノンちゃんの指先が俺の胸とかお腹とか触るぐらいなんだけれど、ドキドキすることには変わりないし、出来る事なら、その先だってやって欲しいと思っている。
それに、そうやってキスしたり触ったりしてくることって、やっぱ恋人同士みたいなもんだからするんだと思うんだけど……ノンちゃんはそういうこと、何も言ってくれないんだ。そういうことって言うのは、いわゆる、「好きだ」とか、「愛してる」とかそういうことだ。
(……俺らって、付き合ってる……んだよね?)
今日もぼんやりとした思いを抱きつつも、美味しくノンちゃんの手料理を味わうのだった。
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