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*2 届いてほしい言葉は風の中へ
体育教師ということもあるし、もともと身体を動かすことが好き……といえば聞こえはいいけれど、要するにじっとしていない性分だったのもあって、暇さえあれば筋トレしたり軽く走りに行ったりする。
「……百二十二ぃ、……百二十三……」
「サクー、メシできたぞ」
「百二十四……百二十……五ぉ! っはー……え? なに?」
休日の昼間、日課にしている腕立て伏せをしていたら、ノンちゃんが俺の部屋に来た。ノンちゃんが俺のご飯の世話をしてくれる都合で……ということを口実に、俺らは親公認でお互いの合い鍵を持っているからだ。
腕立て伏せの前にプランクもやっていたのでヨガマットも俺も汗びっしょりだ。床に放り出していたタオルでごしごしと顔や首を拭きながらダイニングに行くと、さっそくノンちゃんが作ってきてくれたらしい昼食を広げている。
「わーい、今日は何~?」
「親子丼だ。あと、手毬麩のお吸い物、昨日のきんぴら」
「やったぁ! ありがとノンちゃん、超愛してる~」
俺が汗まみれのままハグをしようとしたら、ノンちゃんから顔をしかめられてそっと避けられてしまった。
もう一度懲りずに腕を広げて一歩近づこうとしたら、「いいから、シャワー浴びて来い」と、ぴしゃりと言われた。
「んも~、なんでハグさせてくれないんだよぉ」
「シャワー浴びてからでもいいだろ、減るもんじゃねえし」
「え~、いま、いましたいの!」
「ワガママ言うならお吸い物にネギ山盛り入れるぞ」
俺が苦手とするネギ攻撃で脅してくるなんて卑怯だ……とは思いつつも、口では絶対勝てないのですごすごと大人しくシャワーを浴びに行く。
ダイニングテーブルにはノンちゃんが盛り付けてくれた親子丼とお吸い物が並んで湯気をたてている。
「いっただきまーす! うっまぁ~」
「筋トレしたから腹減っただろ。食え食え」
ノンちゃんにいつも大きすぎると呆れられる、俺のひと口を箸でかっ込みながら親子丼を頬張ると、口の中いっぱいにしあわせが溢れる。
食べている時、下品だって怒られるんだけれど、つい、口元についた食べかすを舌で舐めたりする。ノンちゃんはやめろって恥ずかしそうにするのがちょっとおかしくて、つい、もっとやって怒られる。
鶏肉はタンパク質が豊富だから筋肉にいいだろうとか言って、ノンちゃんは良く鶏肉料理を作ってくれる。もちろんどれも美味しくて、俺も俺の筋肉も喜んでいる。
「ホント、美味そうに食うなぁ、サクは」
「ノンちゃんの親子丼最高ぅ。ほんっと、俺大好き! あ、もちろんノンちゃんも大好きだからね」
「っはは、俺はついでかよ」
「そ、そういうワケじゃ……んもぅ、意地悪だなぁ……」
「お前がからかいやすいんだよ、昔から。あ、おい」
「んぅ?」
「ついてる」
ノンちゃんに指摘されたご飯粒かなんかをきょろきょろと探していたら、テーブル越しに不意にノンちゃんが手を伸ばしてきて、俺の口の端についていた卵の食べこぼしを掬い取ってくれた。そしてそれを食べてしまう。
そういう何気ない仕草が、嬉しくてちょっと恥ずかしい。でもそういうことができるのは、やっぱりお互いを想い合っているからだろうと思うんだけれど……ノンちゃんはどうなんだろう?
そんなことを考えてどんぶりをかっ込んでいたら、ふと、ノンちゃんから見つめられていることに気づいた。ノンちゃんはもう既に食べ終えていて、頬杖をついて俺を見ている。
「……なに?」
「いや、良い食いっぷりだなって思って」
「でしょう?」
「これで偏食じゃなかったらなぁ……」
「いいじゃんー」
「ま、それだったら際限なく食べて増量が半端ないかな……抱き心地はもっと良くなるかもだけどな」
ご飯食べている最中なのに、ノンちゃんは食いぶりからそんなことを言ったりするから油断ならない。そんなに、俺の身体触るのがいいのかな……。抱き心地、だなんて……ぬいぐるみみたいだ。
昼でも夜でも”デザート”は発生する。食後に一緒に後片付けで流しに並んでお皿洗ったりしている時に不意に名前呼ばれたりして振り返ったりすると、当然のようにキスをされるんだ。
何か作業をしている時はついばむようなキスだけれど、食後にくつろいだりしている時なんかは遠慮がない感じになる。
例えば、いまみたいな時に。
「ん、っは、っあぁん! っや!」
「さっき筋トレしたからいつもより弾力あるな、サクのここは」
「っあ、んぅ……あぁ、ん」
ふわふわ卵の親子丼をお腹いっぱい食べ終えて、片付けもそこそこにノンちゃんは俺を“デザート”にしてくる。
さっきまでヨガマット敷いていた床にふたり並んで座っていたら、ノンちゃんが後ろから首筋にキスをしてきたんだ。鼻先を俺の首筋に押し当てながら、「……すげー、サクのニオイするな」ってノンちゃんが言うもんだから、俺はすごく恥ずかしくなった。
すごくお腹空いていたから、さっきシャワーは浴びたけれどボディーソープで身体を洗ったり、シャンプーしたりはしなかったからだ。
汗臭かったりするのかな……ってちょっと心配になったんだけれど、ノンちゃんは構わずもっと深く呼吸してニオイを吸い込む仕草をする。
「っや、あ……」
「いやって言う割に、ここ、ビンビンになってるけど?」
「ッあぁ!」
腹筋の辺りを撫でていた指先が、するすると下へ降りていって、キスだけで硬く熱くなり始めた俺の躰に服の上から触れてくる。
ああ、その中に触って欲しい……そう、口を開きかけた時、ノンちゃんは俺をかなり強引に後ろに向かせ、そして食いつくようなキスをしてきた。手は、熱い躰を布越しに撫でているままだ。
「んぅ! っふぅ……うぅ、んぅ!」
ノンちゃんの舌が俺の口の中を探るように犯すようにうねっている。濡れた音が繋がった口許からあふれ、端からはよだれもこぼれていく。
息が苦しくなるほどのキスに俺が震え始めると、ノンちゃんはそっと口を解放してくれた。
「……ま、こんくらいにしといてやるか」
「んぇ、っは、あぁ、ン……」
片頬を上げて笑っているノンちゃんの顔はすごく色っぽくて、カッコ良くて、さっき食べたあんなに美味しいご飯を作ってくれた人と同じとは思えない。
キスだけで翻弄されてぼんやりしている俺にノンちゃんはそっと頬に口付けて囁く。
「そんな隙だらけな顔してんなよ。押し倒したくなるだろ」
「……ッ!!」
ノンちゃんは、俺みたいに好きだとか愛しているとか言わないで、こんな意地悪なことばっかり言ってニヤニヤしている。俺の身体触って、女の子みたいな声上げさせて、とろとろの甘い“デザート”にしてしまう。
……なんか、ずるいよなぁ、って思うんだ。俺はいつもいつもご飯美味しい、とか、大好き、とかいっぱい言っているのに、そんなこと言わなくても、ノンちゃんは俺をこんな風にしてしまえるんだから。
でももし、俺とノンちゃんがいま以上のこと……その、セックスとかするようになれたなら、俺は絶対にノンちゃんをとろとろにする自信はある。なんたって俺は体育教師だからね。体力に関することは負けないんだから。
それに……そう簡単に押し倒されるわけにはいかないんだ。それはやっぱり、体育教師としては。
「どうした? サク」
「……ちょっと走ってくる」
「いまから?」
「うん、行ってくる」
躰の熱も治まってきたから、俺はトレーニングを再開させるために外を走ってくることにした。“デザート”にされた後ってなんかすごく恥ずかしくて、ノンちゃんと一緒の部屋いるとドキドキが治まらないからだ。
ノンちゃんもべつに一緒にいろとか言わないから、俺も気にせず外に出る。午後の陽射しが降り注ぐ路地は風もなくて穏やかで、それが俺の無駄に昂っている気持を鎮めていく。
(ノンちゃんと、もっとエッチなことしたいし、そういう時はいっぱい愛してるとか言われたいけど……ノンちゃんはそういうの興味ないのかなぁ)
見慣れた近所の通りを走りながら、そんなことを悶々と考える。なんだかこういうと俺が欲求不満みたいだし、俺だけ盛っているみたいだし、ノンちゃんはセックスそのものをしてこないけど、ヌき合いみたいなのはしてくるんだ。お互いの躰を触って、っていうやつを。
だからそれだけで言うならまあまあ満たされているような気もしなくはないけど……でも、やっぱりそういう欲求の解消だけじゃなくて、俺はちゃんとノンちゃんに好きだとか愛しているだとか言われてから抱かれたいんだ。
「――だってそうじゃなきゃ、俺、ノンちゃんの何かそういうはけ口でしかないみたいじゃんか……」
誰もいない川原まで走ってきて呟いた言葉は、川原の風に吹かれて飛んでいく。
いっそこのままさっきの言葉が俺らのアパートまで飛ばされて行って、ノンちゃんに届いて、そんで俺のとこまで来ていますぐ俺をここで愛しているって抱いてくれたらいいのに。
ノンちゃんのご飯は美味しいし、口は悪いけどやさしいし、“デザート”にする時はエッチなことしてくるけど痛いことはしない。
それに――ノンちゃんは俺がご飯食べているのを、すごく嬉しそうに見ていてくれるんだ。いっそ、親よりもうんと嬉しそうに見えるくらいだ。
そういうのに愛を感じないかって言うと嘘になるけれど……そういうんじゃなくて……
「……やっぱ、ちゃんと言われて、安心したいんだよなぁ」
俺はノンちゃんと恋人同士なんだって確信したい。俺とノンちゃんはまだこの国では結婚できないから、そうでない確かなものってお互いを愛する気持ちでしかないと思うんだ。それが、俺が思う安心だから。
どうしたらいいんだろうなぁ……今日もまた、もやもやしたものを抱えながら俺はまた走り始めた。
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