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*3 積み重ねた時間の中にあるはずのもの
職員室で弁当食べていると三嶋に見つかってちょっと面倒くさいなと思い始めていたので、最近は学校の中庭で食べるようにしている。
「おー、今日も馬越くんの愛情たっぷり弁当」
「うっす。アキさんもユズさんの美味そうな愛情弁当じゃないっすか」
同じ学校の用務員の笹井陽人さんこと、アキさんと中庭のベンチで互いの弁当見せ合うのがこのところの日課だ。
アキさんは偶然にも同じアパートのご近所さんで、去年の冬にひょんなこと――アキさんと、恋人のユズさんが大ゲンカして、仲直りしにアパートに駆けつけたユズさんがぶっ倒れて救急搬送された騒動――をきっかけに知り合った。
アキさんとユズさんも、俺らと同じ所謂ゲイカップルで、やっぱりそれは公にできていないみたいだ。
なので、お互い希少な身近にいる同士として、こうやって弁当を見せ合ったりしつつ、互いの愚痴を言い合ったりもする。
今日の弁当は昨日のキャベツの肉みそ炒めの卵包みに唐揚げ、塩もみキュウリに白ごはんだ。
「んまぁ。はー、最高」
「鹿山くん、ホント馬越くんの弁当うまそうに食べるよねぇ」
「美味いっすもん。あ、でもあげませんからね」
「わかってるよ。俺だってユズの弁当があるんだから」
お互いにお互いの相手からの愛情弁当で惚気られるのも、アキさんとここで弁当を食べている理由でもある。やっぱ美味しいものは見せびらかして堂々と食べたいからね。
「ん、ユズからメッセージが……あーはいはい、特売の牛乳ね……了解、と」
弁当を食べている途中、アキさんはユズさんからお使いを頼まれたようで、それに返信している。
なんでも、アキさんとユズさんは近々同じ部屋に住むとかで、最近の話題はもっぱらそればかりだ。
「一緒に住むって、ユズさんの部屋に住むんすか? 新しい部屋に引っ越さないで?」
「んーまあ、ほら、俺の仕事のことと、やっぱさ、ゲイだって言うと部屋選べないからねぇ。あとは単純にお互い金がないって言うのもあるんだけど」
「あー……なるほど」
それはまあ、俺とノンちゃんにも言える。俺はこの私立茄子が丘学園の教師で、ノンちゃんは駅前の栄光塾の講師だ。
男女カップルの同棲や結婚のように新しい部屋にふたりで暮らすにはかなりハードルが高いのがこの国の現実だから、相手の部屋に転がり込むのが手っ取り早いと言えばそうなるんだろう。
そういうことを考えると、俺とノンちゃんは今も昔も変わらず隣同士でいるのは、かなり希少なことだと言える。
「鹿山くん達は、一緒に住まないの? もう今もほとんど片方の家に入り浸ってるんでしょ?」
アキさんは弁当のおかずのサバの塩焼きを頬張りながら俺に訊ねてくる。
お隣同士で、合い鍵も交換して昔と変わらずお互いの部屋を自由に行き来している俺とノンちゃんだけれど、一緒に住もうとはならないんだ。
アキさんが言うように、ほぼ毎日ノンちゃんの部屋でご飯食べて、キスとかもいっぱいたりして、そのまま寝ちゃって……ってほとんど入り浸っている状態なのに。
「“生活サイクルが違いすぎるから駄目だ”って言われてるんで……」
「馬越くんに? 毎日弁当と夕食作ってるのに?」
今更じゃない? と、アキさんはノンちゃんの言い分がわからないという風に眉根を寄せる。
そうなんだ。アキさんの言うとおり、いまさらな話なんだ。
朝から出勤して夕方に帰ってくる俺に対して、ノンちゃんは午後からの勤務で夜が遅いので平日はほぼすれ違いだし、週末は俺が部活を担当しているから休みもなかなか合わない。
学生時代だって俺の実習とノンちゃんの講義が合わなくてすれ違いが多かったのに、社会人になってからは尚更多くなっている。
すれ違い生活な上に片方の部屋が放置気味なのは不経済だから、一緒に住めたらいいのにな、と思うんだけれど……なかなかノンちゃんは首を縦に振らない。
生活サイクルがどうの、というのもあるけれど、ノンちゃんはたぶん、俺が教師という仕事に就いていることも気にしているんだと思う。
小さい頃から夢だった体育教師に俺がなれたのを誰よりも喜んでくれたのもノンちゃんだったから、俺が職場で何か不味い立場になって職を追われることを気にしているのかもしれない。私立の学校だから職場の人間関係はほぼ固定されているようなものだから、余計に気にしているのかも。
だから、もし俺とノンちゃんの関係が明るみに出てしまった時にどうなるかがわからない、という理由でノンちゃんが俺と一緒に暮らしたがらないんだと思う。
(――べつに俺は、職場にバレちゃってもいいんだけどなぁ……教師がゲイってだけで辞職に追い込まれるのは差別じゃんか……)
そう、俺は思うんだけれど……ノンちゃんもやっぱり職場にバレたくないみたいだし、なりたくてついた仕事だから辞めたくはないみたいだから……まあやっぱ、今のままが無難なんだろうな……
弁当をつつきながらそういつものように思い至った俺は、溜め息交じりに空を見上げる。
もうすぐまた季節が巡って、いつものように新年度を迎える準備を始める頃だ。
俺とノンちゃんがちゃんと付き合いだしてって言うのか、ご飯作ってもらい始めて、そろそろ八年……九年目くらい、かな? 上京と同時だったから。
「九年かぁ……幼馴染としても付き合い長いけど、恋人としても長いんだねぇ」
じゃあもう熟年夫婦みたいな感じなんだねぇ、なんてアキさんが羨ましそうに言うもんだから、俺は曖昧に笑ってごまかした。
年数だけで言えば、俺とノンちゃんの関係は熟年と言っていいかもしれない。男女だったら結婚を真剣に考えるくらいの年数だ。
それでなくても、俺とノンちゃんはお互いの部屋の鍵も持っているし、俺はノンちゃんに胃袋つかまれているし、何より、毎日のようにイチャイチャしているし。
だから俺とノンちゃんのことを、アキさんには恋人なんだとは言っている。間違っては、ないはず。
「そんだけ付き合い長かったら、お互いに知らないことなんてないんじゃない?」
「あー、まあ、そう、なのかな……」
条件だけで言えば、アキさんの言う通りなんだと思う。三歳の頃から二十数年、その間により深く付き合いだしてからは十年近く。
少なくとも俺は、俺とノンちゃんは立派な恋人同士だって言えると思っているんだけれど……
(――ノンちゃんから、「好きだ」とか、「愛してる」とか、ちゃんと言われた憶えってあんまりないんだよなぁ……)
俺は正直頭がいい方じゃないから、記憶違いなところもあるのかもしれなくて自信がない。
だけど、それでも、少なくともここ数年、就職してからはちゃんと言われてない気がする。“デザート”は、欠かさないんだけど。
あれ? エッチではないけれど、それに近いようなことは欠かさない。だけど、好きだとかは言われた記憶がない……ってこれって、もしや……本当は恋人ですらない? 脳裏に過ぎりかけた言葉に、俺は慌てて頭を振って打ち消す。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもないっす」
いやまさかそんなワケ、ないよ。俺とノンちゃんの関係がそんな、恋人にもなっていない関係だなんて……
だけど、一度脳裏に過ぎった言葉のインパクトは強烈で、俺は空になった弁当箱に目を落としたままアキさんに声をかけた。
「アキさん、」
「うん?」
「今日、仕事終わり、ちょっといいっすか」
たぶん、かなりのマジトーンで言ってしまったんだと思う。顔をあげてアキさんの方を見たら、アキさん、ちょっと目を丸くしていたから。だからただ事じゃないって思ってくれたのかもしれない。
アキさんはすぐにやさしく微笑んでうなずいて、「わかった、ユズに連絡してからになるけど、いい?」と言ってくれた。
こういう時、恋人以外に自分の気持ちを話せる相手がいるって心強いなと本当に思う。
ひとまずの安心材料を得た俺は、食後のお茶を飲みながら一息ついた。
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