*4 酔った勢いに任せて飛び出した決意

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*4 酔った勢いに任せて飛び出した決意

 俺の仕事が終わったのが夕方の七時過ぎで、アキさんはそれよりも二時間ほど早く退勤していた。  だから一旦学校を出て、ユズさんに頼まれていた買い物を済ませて、駅前で落ち合おうと言う話になった。  時間にして結局八時過ぎに俺が駅前に着くと、アキさんと、もう一人、ユズさんの姿が。  力仕事が多い用務員の仕事柄のせいか、アキさんは俺から見ても割と筋肉質だけれど、ユズさんは反対に女の子みたいに華奢(きゃしゃ)で、顔立ちもきれいで美人な男性だ。  ちょっとした凸凹カップルな感じが、ふたりを似合いのふたりにしている気がする。 「ごめん、俺も混ぜてもらっちゃっていい?」 「もちろん! 人数多い方が参考になる意見も増えるんで」 「参考になること言えればいいけど」  ユズさんはアキさんから俺が昼間に話したことをちょっと聞いているのか、困ったように苦笑して言う。  俺が昼休みの終わり間際にアキさんに言ったこと。簡単に言うとそれは、「ノンちゃんが俺のこと好きなのかどうかわからない」ということだ。  数えれば二十数年の仲になる俺とノンちゃんだけれど、明確にわかり易く、ここから俺らがお互いを意識し始めた時! と、言える節目があるようでない。  そもそも今のような関係になったきっかけが、上京後の俺の食事の世話をしてもらいたいがためで、それにはお互いの親との約束も絡んでいるから、その前提を抜きにしての想いを告げられた覚えがなかったのが大きい気がする。 「じゃあ、馬越くんは鹿山くんの親御さんとの約束があるから、付き合ってるんじゃないかってこと?」 「ユズ、その付き合ってるは恋人として? それとも、幼馴染の食事係として?」 「後者。だってそういう気がするから、俺らに相談してるんでしょ?」  居酒屋に入って三十分ぐらい焼き鳥とか山芋の鉄板焼きとか食べつつ、ビールでとりあえず乾杯してからさっそく今日の本題を切り出した。  それに対して、ユズさんが中生ジョッキを飲みつつ考えながら言ったのがさっきの意見だ。  ただもやもや~としているだけだった俺の悩みをきちんと言葉にしてもらえて、俺は大きくうなずく。そうそう、そうなんすよ! と、言うように。 「親との約束っていうけどさ、もう、馬越くんも鹿山くんもアラサーじゃん? 上京したての学生時代とは違ってもう名実ともに大人なんだからさ、馬越くんは自分の意志で鹿山くんと恋人としても付き合ってるんだと思うけどなぁ、俺は」 「そうは言うけどさ、アキくん。じゃあだったらなんで馬越くんはちゃんと自分の気持ちを言わないんだろうって思わない? 言ってくれないから、鹿山くんは現に不安なんだし、ね? 鹿山くんからはちゃんと言ってるんでしょ?」 「言ってますよぉ、毎日。そうなんすよねぇ、言ってくれないんすよ、全然」 「……ユズさ、自分のこと棚に上げてよく言うよね。全然自分は言わないくせに」 「え、そうなんすか、ユズさん」 「……俺のことはいいんだよ」  ノンちゃんのことを話している筈なのに、ユズさんの言葉足らずなところをアキさんに指摘されて、藪蛇になってしまったユズさんはバツが悪そうにビールを飲む。  アキさんが言うように、親との約束を律儀に守るほどに子どもでもない今でも俺にご飯作り続けてくれているのは、やっぱりノンちゃんの中に俺との関係を保ちたいって気持ちが少なからずあるからだと思える。  そして、ユズさんの言う通りでもある気もする。ノンちゃんが俺と付き合っている――これは、恋人として――なら、やっぱり気持ちがわからないのは不安だから、ちゃんと気持ちを言ってほしいと俺も思う。 「そもそもどういうきっかけでふたりは付き合いだしたの?」 「俺、すっごい偏食じゃないですか。で、親が上京するにあたってちゃんと食事しろって条件出してきて……そんで、じゃあそれなら、ノンちゃんにご飯作ってもらおうって思って、それで……」 「そもそもがご飯きかっけなのかー……ややこしいな……」  そう、ややこしいんだ。いまになって自分でも思う。なんでこんな後から混乱するような方法でノンちゃんとの関係を始めてしまったんだろう、って。  そうなると、ちゃんと好きな気持ちを伝えていなかったのは、俺も同じなのかもしれない。毎日好きだとか愛しているとか言ってるけれど、伝わっていないなら意味がない。  そういう確認というか、想いのすり合わせがないから、俺はノンちゃんが俺にご飯や弁当を作ってくれているのが身体目当てに見えるのかもしれない。  あらためて気づかされた事実は目から鱗な勢いで俺を瞠目(どうもく)させた。そうか、そうだよな、と呟くほどに。 「俺が、ノンちゃんに直接言わせればいいんすかね? 好きだ、とか、愛してる、とか」 「まあ、ぶっちゃけて言えばそうなるね」  俺が目を見開いたまま呟く言葉に、アキさんが苦笑してうなずく。それはそれとして、お前にできるのか? と、言いたげに。ユズさんも赤くほろ酔いの顔をして俺を何か言いたげに見ている。  ふたりの無言の問いかけに俺は一瞬たじろぎつつも、小さくうなずいて腹を決めた。  俺は手元に残っていたレモンサワーを一気に飲み干し、大きく息を吐いた。 「アキさん、ユズさん。俺、ノンちゃんに、言わせてみせます」 「言わせるって、なにを?」  俺の決意の言葉に、ユズさんが確かめるように問いかけてくる。その目に映っている俺の姿は、真っ赤な顔した完全なる酔っぱらいだ。  それでも構わない。だって俺は、ノンちゃんに愛されていると思いたいから、感じたいから。 「決まってるじゃないっすか、“サクが好きだ! 愛してる!”って!」 「おおー、いいじゃん。よし、じゃあ、鹿山くんの決意を祝して乾杯しようよ」 「すみませーん、生中三つー!」  ユズさんが居酒屋の店員に生の中ジョッキを三杯注文して、それが運ばれてくるまでの間、すっかり酔っぱらってしまっているアキさんが、同じく真っ赤に酔っている俺の方をバシバシ叩いていた。「さすがだねぇ、鹿山くん!」なんて、オヤジ丸出しな感じで。  ユズさんはそんな俺らの姿を、まだ少し残っていたカシスオレンジを飲みながら頬杖ついて眺めていた。  俺が決意表明なことをしたからか、なんだか三人でやけに盛り上がってしまって、それから終バスの時間まで飲み明かした。  学生の頃のバカみたいに明るくて希望しか前途にはないと思い込んでいた頃のように、俺はその日大酒を飲んで、翌日めちゃくちゃノンちゃんに怒られて呆れられた。その上俺は久々に二日酔いにもなった。 「お前さぁ、学生みたいに若くもない上に、曲がりなりにも教師だろうが。こんーな酒臭い教師に教わりたかねーわ」 「うぅ……ちょ……ノンちゃん……声、頭に響く……」 「バぁカサクめ。ほれ、たまご粥食え」 「……いただきます」  飲み会が死ぬほど多かった学生時代(俺は体育学部だったので、ノリが体育会系でめちゃくちゃ飲まされる日々だったのだ)、二日酔いでグロッキーになってはノンちゃんの小言を食らいながら卵のお粥を食べることが多かった。  ふわふわの卵が溶かれていて、出汁のやさしい味のするそれは、酒の飲みすぎでぐちゃぐちゃな内臓を浄化してくれるみたいに沁みて美味い。これを食べている間は、吐き気も襲ってこないんだ。  ひと掬いお粥を口にする。懐かしくもやわらかい味がそっと俺のくたくたな身体に沁み込んでいく。思わず息を吐いて頬を緩めると、さっきまで呆れて小言を言っていたノンちゃんがくすりと笑う。俺はその顔が、すごく好きだ。 「美味いか?」 「うん! 美味しい!」  そりゃ良かったな、と言って、ノンちゃんが困ったように笑って俺の酒臭い前髪に触れる。湯気越しに見るノンちゃんはおとぎ話の王子様みたいにキラキラして見えて見惚れてしまう。 「ノンちゃんやさしいから、大好きぃ……」 「……いいから食え」  こういう時、ノンちゃんは俺のこと好きなのかなって思うんだけど……この後に、「好きだよ」とか言ってくれないから、わかんないんだよね。照れているのか何なのか知らないけど。  たまご粥をもそもそと食べながら、「“デザート”、いる?」と、俺が訊くと、ノンちゃんは俺にデコピンをした。ノンちゃんのデコピンはかなり痛い上に俺は二日酔いだ。  ガンガンに響く痛みに俺が苦悶していると、ノンちゃんは呆れたように言った。 「酔っぱらい相手にいるかっつーんっだよ。ゲロまみれになりたくないからな」 「うぅ、ヒドイ」 「事実だろうが」  ぐうの音も出ないノンちゃんの言葉に、俺は弾かれたおでこをさすりながらうなずくしかなかった。  うなずきながら、俺は昨日決めた想いを新たにする。ああやっぱり、俺ノンちゃんにちゃんと「好きだ」とか、「愛してる」とか、言われたい。  やさしい卵と出汁の味を舌に感じながら、とりあえず今日の俺はただ黙々とお粥を食べることにした。
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