*6 遊園地と回る気持ちと赤いシャーベット

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*6 遊園地と回る気持ちと赤いシャーベット

 ポーテランドまでの道すがら、なんとか所謂“良いムード”にするべく俺は無い知恵を振り絞ってみた。  前日までに予定が決まっていたらノンちゃんが簡単な弁当を作ってくれたりするんだけれど、今日は突然俺が思いつきで言いだしたもんだから、弁当はない。  弁当があったら弁当のおかずの話をしつつ思い出話とかして、そこからどうして俺がノンちゃんのご飯がいいのかって言うのを熱く語ったりできるのに。  そしたらノンちゃんも喜んでくれたりして……と、思ったんだけれど、よくよく考えなくてもなんで俺がノンちゃんのご飯がいいのかは、俺がノンちゃん(もしくはノンちゃんのお母さん)の作るご飯しか食べられないからであって……それ以上でも以下でもない。ハイ終了。  そんな当たり前なことに気付いたのは車が走り出して十分ぐらいした頃だった。  その頃になると、ノンちゃんがスマホのサブスクの音楽を飛ばして車のデッキでかけ始めていた。 「あ、これ懐かしい。コシームだっけ?」 「よくライブ行ったよな、学生の頃」 「コシームっていまどうなってんの?」 「サブスクあるくらいだからメジャーデビューしてるみたいだぞ」 「えー! そうなんだ! CDとかどこかにまだあったかなぁ」  知り合いの知り合いのそのまた先輩の知り合い、みたいなバンドがいつの間にかメジャーデビューしていた話を聞いて、俺とノンちゃんは自然とそのライブによく行っていた頃の話になる。  男五人組のポップスバンドだったかな。ノンちゃんが好きだったと言うより、俺の方が好きで、一時期頻繁にライブに足を運んでいた時があった。  メンバーと話をする仲とかそんなことはなかったけれど、物販で少しだけ会話した程度の記憶はある。 「サクはこのベースが好きだったよな」 「好きって言うか、カッコいいな、って言うぐらいで……」  コシームのインディーズ時代によくライブで聞いていた曲のとあるフレーズに差し掛かった時、ノンちゃんがそんなことを言うもんだから、俺は危うくブレーキとアクセルを踏み間違えるところだった。  たしかに、あの当時俺はそのバンドのベーシストにちょっと夢中というかハマっていたことがあった。でもそれは、彼は少しノンちゃんに雰囲気が似ていたからであって、別にそこに何かよこしまな感情はなかったはず……  しどろもどろ気味になっている俺の横顔を、ノンちゃんは何か言いたげな、でも心なしか含みのあるような顔をしている。それを感じながらも、俺はあえて黙殺することにした。  ノンちゃんに他意があるのかないのかわからないけれど、せっかく甘い雰囲気になりに行こうと言うのに、なんでこう、昔の男……じゃなくて、今でいう推しみたいなもんだけれど、そんな話を蒸し返されなきゃなんだろう……  なんだか上がっていたテンションに水差された気がして、俺は黙り込んでしまった。  車内には懐かしいけれど若干地雷になってしまった曲が次々と流れていく。  本当ならこういうのって一緒に話しながらだとか唄いながらとかしながら気分が盛り上がっていくものなんだろうけれど……なんだこの、妙にひしゃげた気持ちは。  なんだかなぁと、釈然としない気持ちのまま、俺は見えてきたポーテランドの駐車場に車を滑り込ませた。  休日のポーテランドは流石に人混みで溢れていて、どこをも見ても家族連れや男女カップル、もしくは若い学生らしいグループ客ばかりだった。  そして道行く人みんな楽しげで、俺もじわじわとテンションが元に戻っていく。  駐車場から遊園地のある場所への大きな歩道橋を渡っていく内に、すっかり気分は元通りだった。 「ノンちゃん! あれ乗ろう!」  俺が指したのはメリーゴーランドで、ノンちゃんの顔があからさまにひきつる。だってあきらかに乙女向けコンセプトのアトラクションだからだ。  べつに俺にそういう趣味があるわけじゃなくて、これならふたり並んで座れたりしてちょっといい雰囲気になれるかなと思ったからだ。  雰囲気を甘くして、次にスリルある、お化け屋敷みたいなものに挑んで、その次は甘いのにして、そんでまたスリルのあるやつにして。  そうしていって、距離が縮まっていって、仕上げに観覧車に乗れば、自然と甘い言葉が引き出せるんじゃないかと思っていたんだ。  そんな俺の狙いを知ってか知らずか、ノンちゃんは少し考えこんで、不意にメリーゴーランドの反対側にあるアトラクションを指さした。 「それもいいけどさ、まずテンション上がるやつにしようぜ」 「え?」  ノンちゃんが俺を誘ってきたのは、ポーテランド名物のアトラクション、二回転もするジェットコースター。  正直に言う。俺はジェットコースター系が大の苦手だ。  しかも回転系は目が回って酔うから完全にアウトだ。それはノンちゃんも知っているはずなのに……  知っていて当然と思っていたはずのことを忘れてしまっているノンちゃんに手を引かれるがまま、ジェットコースターに乗り込む羽目になった。  べつにアトラクションの順番が計画と違ったことが問題なんじゃない。そんなのはいくらだって立て直せるから。  問題は、三歳の頃から一緒にいるノンちゃんが、俺が苦手なアトラクションのことをすっかり忘れてしまっていることだ。  俺とノンちゃんは、ただ三歳から一緒にいるんじゃない。恋人同士になってもいるんだ、いまは。  それなのに……なんで俺、いま、猛スピードであちこちぐるぐる振り回されているんだろうか?  視界も思考もぐるぐる振り回されてシェイクされて、よくわからなくなってしまった。  残されたのは、今朝食べたハムエッグさえも出てきそうな不快感。 「あー、すごかったなー。おい、次はあれにするか」 「うぅえ……え? なに?」 「あれだよ、あれ」  ジェットコースターから降りて、園内を歩き始めてすぐにまたノンちゃんが俺の肩を叩いて何かを指さす。  ノンちゃんが指す方を見上げて、俺は表情が固まってしまった。  そこにあったのは、最近リニューアルオープンした、最新メイク術を使ってよりリアルになったおばけが出てくるお化け屋敷。コンセプトは閉鎖病棟だそう。  お化け屋敷は、俺はまあ、平気だ。あんなの作り物だから。  ただ、それに血みどろが入ってくると話が別だ。  俺は、血だとか血しぶきだとか内臓がどうとかって言うのが大の苦手だ。そんなわけでレバーなんかも食べられない。 「や……ちょ、ノンちゃん……」  たしかに俺は、メリーゴーランドのあとは何かスリルのあるものにしようと思っていたけれど、それは何かちょっと高いところに上がるものだとか、昔ながらのお化け屋敷だとかであって……こういうものでは、なくて……その……  そう俺が弁解しようとするのも聞かないで、ノンちゃんはまたしても俺の手をぐいぐい引いて中に入っていく。  結論だけ言う。吐かなかっただけ褒めてほしい……ということだ。 「サク、なんか飲むか?」 「……スポドリ」  フードコートの片隅にようやく座ったのが昼過ぎだった。  あれから俺は血みどろの閉鎖病棟とフリーホール的なアトラクションに連続して連れ回されて、口を聞くのもやっとな状態になっていた。  さすがにノンちゃんもまずいと思ったのか、俺を椅子に座らせてスポドリを買いに走る。  久々のデートで嬉しかったはずなのに、なんでこんなことになっているんだろう。  ノンちゃんは自分の赴くままに、それも俺が苦手なものばっかりに乗るし、俺の気分は最悪になっていくし……なんなんだこれ。  本当ならいくつか良い感じにアトラクションに乗って、夕方前に観覧車に乗って〆るはずだった。もちろんふたりの雰囲気はアトラクションを経るごとに甘くなっていく寸法で。  でも現実はそのカケラもない。ぐるぐるぐるぐる振り回されて、作戦を振り返る暇もない。 (――ノンちゃん、本当は俺と遊園地とか来るの、イヤだったのかな……だから、俺が嫌いなものばっかり乗るのかな……)  ()ぎるネガティブな思考を俺は頭を振って打ち消したかったけれど、ちょっとでもいま頭を振ったら吐きそうだったから、それもできずにテーブルに突っ伏しているしかできない。  目の前がにじんでくる。自分が情けなくて、思い通りに事が運ばなくて。こんなはずじゃなかったのに、って。  帰りたいけど、気持ちは悪いし、ノンちゃん置いてくわけにはいかないし……と、悶々と考えていると、ノンちゃんが顔を覗き込んできた。 「おい、こんなとこで寝るなよ」 「……寝てないよ」 「ほれ、スポドリ」 「ありが……」 「と、イチゴのシャーベット」 「え、これ……」  サク、好きだろ? と言いながら、身体を起こしてぼんやりしている俺にノンちゃんが差し出してくる。  俺はアイスよりシャーベットが好きで、その中でもレモンとかソーダとかでもない、イチゴのものが大好きだ。風邪ひいたりするといつも親が買ってきてくれて食べさせてくれた。  それをいつの間にかノンちゃんも知っていて、俺が具合悪くなるとどこからか必ず見つけ出して買ってきてくれる。家を出た大人になっても。  こんな遊園地にあるなんて思っていなかった俺は、驚きで咄嗟に受け取れずにポカンとしていた。 「いらねーの?」 「い、いる!」  慌てて俺はシャーベット入りのカップを受け取り、すぐにひとさじ口に入れる。甘酸っぱい味が淀んでいた口の中と胸と腹に広がってスーッとしていく。  ひと口ふた口とシャーベットを食べていく内に段々と気分が落ち着いてきて、俺はやっと一息つけた気がした。  唇に赤いシャーベットが載ってひんやりして気持ちがいいな……と思っていたら、ノンちゃんから口を拭けって紙ナプキンを渡された。ノンちゃんはなんだか恥ずかしそうにしている。 「美味しい!」 「……そうか。そりゃよかった」 「ありがと、ノンちゃん」 「いいって。それ食ってな。俺ちょっとタバコ吸ってくるわ」  いまどき珍しくなかなかなスモーカーなノンちゃんは、園内のどこかにあるらしい喫煙所を捜しに行ってしまった。  せっかくのデートなのに……と思ったけれど、いま俺はまだ何かアトラクションに乗るのは無理だったから、大人しくシャーベットを食べて気分が回復するのを待つしかない。  間が持たないから、ノンちゃんはタバコを吸いに行ったんだろうけれど……なんか、それはほっとするようでいて、ちょっと寂しくもあった。  べつに子どもじゃないから、付きっ切りでいてくれとは言わないけれど、俺とノンちゃんって恋人同士なんじゃないの? ……って言いたくなるんだ。  でも言えないのはただ彼がいまここにいないからじゃなくて、そんなことをわざわざ言わなきゃいけない自分がちょっと重たいなって思ってしまったからだ。  手の中の紙カップの赤いシャーベットがゆったりと溶けていくのをぼんやり悲しく眺めていた。
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