*7 彼なりの愛情表現と俺なりの愛情表現

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*7 彼なりの愛情表現と俺なりの愛情表現

 ポーテランドでは結局シャーベットを食べて以降、俺のテンションがだだ下がりしてしまったので、高くてさして美味しくもないフードコートのラーメンとかを食べて帰った。  帰りはノンちゃんが運転してくれたので、まだ少し気持ちが悪かった俺は助手席で居眠りしていて、気づけばアパートに着いていた。  本当は、帰りに夕食の材料を買いつつ買い物デートして、家に帰って夕食一緒に食べて、お風呂も一緒に入って……とか考えていたのに―― 「んじゃ、もうお前寝とけよ。弁当は明日届けてやるから」  と、ノンちゃんにかなり強制的に部屋に帰されてしまって、有無も言えなかった。  俺から言い出しての遊園地デートのはずだったのに、ただ具合悪くなって帰ってきただけ。何しに行ったんだ、俺。  自己嫌悪で余計気持ち悪くなりそうになりながら、俺はベッドの中で布団を頭からかぶって唸りながら眠りに就いた。  翌朝起きると体調はいつもどおりになっていたけれど、昨日の大失敗を引きずっていて気持ち的には最悪なままだ。  のそのそと着替えたり顔を洗ったりして、自分でコーヒーとトーストの朝食を用意して食べていたら、玄関のインターホンが鳴った。  古いアパートだからモニターとかついていないから、「はーい」と言いながら応答すると、「おう、俺だ」という聞き馴染んだ声がする。  俺は慌ててドアを開けると、ノンちゃんが部屋着のままで立っていた。 「どうよ、気分は」 「うん、もう平気。ごめんね、昨日」 「ああ、いいよべつに。俺が振り回したんだから」  自覚あったのかよ! と、突っ込みたいのをグッと堪えられたのは、「サクと久々に出かけられたから、ついな」と、苦笑しながら何かを差し出してきたからだ。  え、ノンちゃんもテンション上がっていたんだ……と、意外な事実に俺は驚きを隠せないながら、見慣れたネイビーのキルティング生地のトートバッグを受け取る。これには、俺用の弁当が入っているはずで、これがあるということは今日もノンちゃんの弁当があるということになる。  実は昨日自分から言い出したデートなのに具合悪くなってしまったことに罪悪感がなかったと言えば嘘になるから、ノンちゃんが気を悪くして弁当作ってくれなかったらどうしようって思ってもいたんだ。 「弁当、お前の好きなものばっかり入れといたから」 「え、そうなの⁈」 「んじゃ、遅刻するなよ」 「あ、ノンちゃん!」  俺に弁当入りのトートバッグを手渡して自室に帰って行こうとするノンちゃんを思わず呼び止めて、ノンちゃんが振り返る。いつもべつに渡されてから呼び止めるなんてしないのに。  ノンちゃんは問うように俺を見てくるし、俺も呼び止めておきながらどうしたものかと焦りまくる。 「なんだよ?」 「えっと、そのー」 「サク?」 「きょ、今日は、鮭のホイル焼きが食いたい、な!」  ……なんでこのタイミングで夕食のリクエストなんてするかな、俺……折角ノンちゃんが久々に至近距離に来てくれて良い感じだったのに。  俺から何か甘いことを言って、ノンちゃんがお返しのように囁いたりして、それで、キス、とか……というのもあり得たのに。何言っているんだ俺は。  ノンちゃんは一瞬ぽかんとして、それからおかしそうに笑って俺の前髪触れた。 「おお、じゃあ作っとく。キノコも食えよ」 「う、うん」  じゃあな、と言って、ノンちゃんはそれから本当に部屋に帰ってしまった。  俺の部屋と同じ色のドアが閉まってしまうまで、俺はぼうっとそれを眺めていて、閉まる音で我に返った。 「ッあー……何やってんだ、俺……」  せっかく一瞬あまい雰囲気になって、良い感じに何か言ってもらえそうだったのに。自分のお間抜けぶりに溜め息も出ないまま、俺は弁当を抱えて出勤の支度をしに部屋に戻った。  でも弁当がどんなものが入っているのかはすごく楽しみで、心なしかさっきよりも気分が軽かった。 「おおー……すげぇ、グラタンが入ってる」 「え、なにこれ、冷凍じゃないの? 手作り? マジで?」  昼休み、いつものように中庭のベンチで用務員のアキさんと並んで弁当を広げてみると、中にはノンちゃんが言っていた通り、俺が大好きなものばかり詰まっている。  俺の大好きなエビとしめじのグラタンに、アスパラとベーコン巻き、それから主食はノンちゃんの塾の隣の北欧堂の食パンに卵が挟んでいるサンドウィッチ、そしてデザートにプリンが着いている。もちろんプリンもノンちゃんのお手製だ。  アキさんは、「あれ? 鹿山くん、今日誕生日?」とか言って本気で驚いていた。  さっそく大好物のグラタンから頂く。 「うっまぁ……」 「だろうねぇ……さすがにグラタンはユズも作らないからなぁ。すごいな馬越くん。何かの記念日なの?」  俺もまた年に何回もない、俺の大好きなもの詰め合わせ弁当に、内心驚喜しながらも、アキさんに昨日の話をした。遊園地デートだったけどノンちゃんに振り回されて俺が具合悪くなったことなんかを。 「はー……なるほどねぇ。じゃあ、これは馬越くんなりのお詫びのしるしなんだね」 「そう、なりますかねぇ」 「なるよー! 全部手作りなんでしょ⁈ すげー愛されてんじゃん、鹿山くん」 「や、アキさんだってユズさんに愛されてるでしょ」  俺が苦笑して言うと、アキさんは否定せずににやにやと笑って、まあねぇと言った。  お互い手にしているのは、それぞれの相手からの想いのこもった弁当なんだと言う自覚はある。  ひとつひとつの料理はおいしいし、どれも俺のためを思って作られたんだろうと思う。  これはこれですごく嬉しいし、愛されているなとは思う。  でも、こういうのもいいけれど、やっぱり、ちゃんと目を見て言ってほしいんだよな。  そういうこと思うのって、そんなに贅沢なことなんだろうか。俺は、そんなにわがままなことを願っているんだろうか。ただ一言、聞きたいだけなのに。 「愛されてるのは、わかるんですけど……でも、やっぱ俺、ノンちゃんの口から聞きたいっす。せめて、俺が言ってる分の半分くらいは」  大好きなグラタンなはずなのに、卵サンドのはずなのに、そんな話をしていたらなんだかいつもより味がしない気がしてしまうのは何でなんだろう。  このどれもがすごく手間がかかることを俺は知っているつもりだ。ノンちゃんが昨日帰ってから作ってくれたんだと思うと、すごく有難く思う。  それなのに、俺はこの弁当を心から美味しいって思えないんだ。美味しいのはわかっているのに。  俯き気味に弁当をつつきながら呟いた俺の言葉に、アキさんはちょっと考えてからこう言った。 「鹿山くんが言うこともわかるけどさ、こういうやり方が、馬越くんなりの愛情表現なんじゃない?」 「そう、かもしれないんすけど……」  でも、納得できない――と、口にできないのは、自分でもそう言い切ってしまうのはいま手許にある弁当を否定してしまうことになるのがわかっているからだ。  この弁当を作るまでにノンちゃんがかけてくれた時間とか手間とかを、否定してしまうことにもなる。  わかっている、わかっているんだ。俺だって子どもじゃないから、同じくらいに返されないと嫌だ! とか言わないで、そういう歩み寄りはしなきゃいけない。  だけど心のどこかで、大人な顔をしてわかったふりをするのを拒みたくもあるのも事実だ。  矛盾した言葉と言葉がうまく繋がらなくて俺が黙っていると、ひとつアキさんが溜め息をつく。 「俺もさ、ユズがなかなかちゃんと“好き”とか“愛してる”とか言ってくれないから、鹿山くんの気持ち、すごくよくわかるよ。もどかしいって言うか、何か、ムカつくよね、こっちは言っているのに、言ってくれないって」  俺が思わず顔をあげて振り返ると、アキさんが苦笑して俺を見ていた。やさしい、少し前を行く人の顔をして。  アキさんが言うには、ユズさんもまたかなりの照れ屋で、なかなか好きとか愛しているとか甘いことを言ってくれないらしい。  それで大ゲンカになったこともあるよ、とアキさんは苦笑して、それからユズさんを傷つけてしまったこともある、とも。 「愛情表現ってさ、人それぞれなのが前提なんだよ。それを理解した上で愛情のやり取りをしないと、自分だけが、って思っちゃう。でも、だからって無理矢理に自分を納得させることもしなくていいと思うんだ、俺は」 「え、どうして……」 「だって、俺だってちゃんと安心したいもん。自分が安心する形で伝えてほしいと思うのは、当然じゃない?」 「でもそれって、ワガママになりません?」 「ゼロか百か、って話じゃなくてさ、三回に一回、とか、五回に一回、とかさ、たまには自分に合わせてもらうのはいいんじゃないかな。そういうのだって、愛情のひとつでしょう」 「じゃあ、俺がノンちゃんにちゃんと言ってほしいって言うのは、セーフですかね?」 「馬越くんなりの愛情表現があるんだってことを踏まえたうえで、ならいいと思うよ」  なるほどなぁ……と、思いながら、さっきより味がしっかり感じられるようになった卵サンドを頬張って、俺はアキさんの言葉にうなずいていた。  愛情表現はキャッチボールに似ている、って何かで聞いたか読んだかしたことがある。  俺、ノンちゃんに剛速球ばっかり投げていて、ノンちゃんからのボールをちゃんと読めていない気がしてきた。 「俺、もうちょっとノンちゃんに向き合ってみようと思います」 「うん、無理のない範囲で頑張って」  アキさんの言葉に俺がまたうなずくと、アキさんは照れたように笑っておかずのピーマンの肉詰めを頬張った。  そうだ今日、帰りにノンちゃんが好きなコンビニスイーツ買って帰ろうかな……なんてことを思いながら、俺も弁当のアスパラを摘まんで口に放り込んだ。
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