第9話 南の草原のソフィ

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第9話 南の草原のソフィ

 真っ青な空に真っ白な雲。すねほどの高さの青々とした草が揺れる。草のすきまからは白い小さな花がのぞいていた。  なんてのどかな風景。  そんなのどかな雰囲気をぶち破って――。 「街の外だぁぁぁーーー!」  ソフィは満面の笑顔で絶叫した。南の草原にわんさかいるラビィが前足をあげ、ピン! と耳を立てて一斉にソフィを見る。でも、ラビィの視線なんてソフィはお構いなし。 「街の外だ、街の外だ、街の外だぁぁぁー!」 「ソフィ、落ち着いて。手をつなごう。とりあえず手をつなごう!」  ラビィのように残像を残して駆けだしそうなソフィの手をフェンは大慌てでつかむ。好きな女の子と手をつなぐなんていう甘酸っぱさは微塵もない。旺盛な好奇心に突き動かされて南の草原のその先、危険な魔物が生息する森にまでうっかり突っ走って行ってしまったら大事故だ。大惨事だ。 「ラビィだ、ラビィだ、ラビィだ!」 「ラビィだね」 「フキウキウキノトウだ、フキウキウキノトウだ、フキウキウキノトウだ!!」 「フキウキウキノトウだね」 「シビレドク草だ、シビレドク草だ、シビレドク草だ!!! しびれるかな? しびれるかな!?」 「……ってワクワクしながら素手でさわろうとしない!」  必死の形相のフェンに手をつかまれたまま、ソフィはひとしきりきょろきょろあたりを見まわし、駆けだしそうになるのを止められ、足元を跳ねて通り過ぎるラビィに飛びつこうとして青草に顔面から突っ込み、初めての街の外を大満喫したあと――。 「街の外だー! 初めての街の外だー!」 「街の外だね。びっくりするくらいテンションあがったね、ソフィ」  ようやく足を止めてバンザイしたのだった。フェンがほっと息をつくとソフィが振り返った。その表情はまだまだ興奮冷めやらぬようすだ。 「ずいぶんと早く許可証をもらえたね。もっとかかるかと思ってたよ!」 「ソフィに〝お願い〟されてすぐ、次の日には魔物学の先生に話しに行ったんだよ。そうしたら〝許可証は校長先生しか出せない。ちょうど校長先生から呼び出しがかかってるから行って来い〟って言われてね」  ソフィの〝お願い〟はもう一度、街の外に出るための許可証をもらってきてほしいというものだった。生け捕りにしたラビィを元いた南の草原に返さないといけないから、と。夏休みの宿題をするために学園から生徒に配られた許可証はすでに有効期限が切れてしまっていたのだ。 「校長室に行ったらもう一度、許可証を出してあげるからラビィを南の草原に逃がしてきなさいって。何か言うまでもなくそう言われたよ」 「そっか。校長先生も元いた場所に返してあげなきゃって思ってたんだね。……でも、よく私の許可証まで出してくれたね」  ソフィの〝お願い〟は捕まえたラビィを南の草原に帰してあげてほしいというもの。フェンの許可証がもらえれば十分だし、フェンの許可証しかもらないだろうと思っていた。  でも、フェンは自分の許可証とソフィの許可証の二枚もらってきた。 「この一ヶ月、ラビィを一生懸命に世話してかわいがってた子がいる。その子といっしょに行きたい。歴代でたった一人、宿題を終わらせたご褒美だと思って許可証を出してほしいって言ったら仕方がないですねって言いながらも許してくれたよ」  ため息まじりの〝仕方がないですね〟を引き出すために二時間ほどねばったのだけど、そんなことはおくびにも出さずにフェンは微笑む。でも、二才年下の賢い幼なじみには見透かされているらしい。 「私が街の外に出られたのはフェンが一生懸命に校長先生に頼んでくれたおかげ、だね。ありがとう、フェン!」 「そんなこと……」  そんなことないよ、と言いかけてフェンが言葉を切ったのはソフィが唇をとがらせたからだ。ソフィの表情に困り顔になったあと、少し考えて――。 「……どういたしまして」  フェンははにかんで微笑んだ。その微笑みににっこりと微笑み返してソフィはカゴを草の上におろした。ソフィが考えた罠でフェンが捕まえたラビィが入っているカゴだ。 「街の外に出られたのはうれしいけど……お前とお別れするのはもう少し先でもよかったかな」  ソフィの笑顔にほんの少しだけさみしさが混じる。  カゴの扉をゆっくりと開けるとラビィは入り口から顔を出してきょろきょろとあたりを見回した。ラビィにとっては見慣れた風景。でも、久々の風景でもある。顔を引っ込め、恐る恐る出し、また引っ込め……何度か繰り返してようやく――。 「きゅっ!」  ラビィはカゴの中に残像を残して飛び出した。 「私も早く冒険科に――冒険者になりたいな」  カゴの中の残像がゆらりと消えるのを見つめながらソフィがつぶやいた。 「ソフィなら研究者や学者って道もあると思うけど」 「ううん、冒険者がいい」  首を横に振りながらソフィが伸ばす指のゆくえを見てフェンは目を細めた。 「研究者や学者も街の外に出られるけど、いつでも自由に出られるわけじゃない。研究や調査目的のみ、冒険者の同伴必須ってきまりだもの」  カゴを飛び出したはずのラビィが足元でちょこんと前足をあげ、ソフィとフェンの顔を見つめていた。ソフィが伸ばした指に首を伸ばして鼻を押し付ける。お別れを言うようにゆっくりとまばたきを一つ。ラビィはくるりと背中を向け、ピョンピョンと跳ねて南の草原へと戻っていった。 「お父様が話して聞かせてくれた場所、全部を見てまわるためにもやっぱり私は冒険者になりたい。いつでも街の外に出ることができて、気になるものを見つけたらどこまでも自由に追いかけられる冒険者がいい!」  残像を残すことなく青草の向こうに消えていくラビィを見送ってソフィはきっぱりと、笑顔で言った。そっか、とつぶやいてフェンも笑顔になる。 「ソフィもあと二年で冒険科に入れる。あと六年で冒険者になれる。俺もソフィも冒険者になれたらいつでも、自由に、どこまでも、気になるものを追いかけられるよ」 「フェンは……騎士団に入らなくていいの?」  年下の幼なじみに遠慮がちに尋ねた。フェンは一瞬、ためらったけれど――。 「うん、騎士団にも入らないし騎士にもならない」  きっぱりと言った。  騎士団長である父も、父を尊敬し愛する母も一人息子が騎士になることを望んでいるだろう。でも、フェンは冒険者になりたいのだ。 「俺もソフィのお父さんが話して聞かせてくれた世界を見に行きたいから」  ソフィと同じようにフェンもまた、〝英雄〟であり今は亡きソフィの父親が語った冒険譚に心奪われた一人なのだ。 「それにソフィ一人で行かせたら気になる何かを見つけて、その何かを観察したり追いかけたりすることに夢中になって、無茶や危ないことをしそうだもの」 「そんなことないって! 大丈夫だよ!」  自信満々で言い切るソフィにフェンは渇いた笑い声をもらす。こんなにも信用ならない〝大丈夫〟もなかなかない。  と、――。 「アメストリア蝶!」  ソフィのうれしそうな声と横切った黒い蝶につられるようにフェンは顔をあげた。  視界に飛び込んできたのは街をぐるりと囲む塀。その高さは約十メートル。作られてからずいぶんと経つからそこそこ古いけど空を飛ばないかぎりは魔物や魔族が侵入してくる心配はない。  侵入してくる心配はないのだけど――。 「……ちょっと意外だったな」 「何が?」  ぽつりとつぶやくフェンにソフィは首をかしげた。 「ソフィのことだから街の外に出るための抜け道をどこかしら、何かしら見つけてるかと思ってたよ」  空を飛ばないかぎりは魔物や魔族が侵入してくる心配はないけど、ソフィなら脱走くらいはできるかもしれない。フェンはそう思っていたし、塀のすきまから南の草原を観察しているなんて言って実はすでにこっそり脱走しているんじゃないかとも思っていた。  でも、街の外に出るための許可証をフェンがもらってきたとき、ソフィは大喜びした。初めて街の外に出られると飛び跳ねて喜ぶようすはとても演技には見えなかった。  だから、ちょっと意外で、でもほっとしたのだ。好奇心旺盛なのはいいけれどやっぱり一人で勝手に街の外に出るなんていう無茶はしないでほしいし危険なこともしないでほしいから。  でも――。   「だって、もしも見つかっちゃったら二度とその手は使えないでしょ? 大切な切り札はここぞというときのために隠しておかなきゃ」  ソフィはそう言うとにんまりと笑って見せた。 「え……ちょ、ソフィ……?」 「そういえば一〇八番目のお兄様が言ってたんだけどアメストリア蝶って夜になると青く光るんだって。私、気になって気になって……!」 「いや、そんなことよりも切り札って……?」 「と、いうわけで捕まえて帰るよ、フェン!」 「つまり、それって抜け道をどこかしら、何かしら見つけてるってこと!?」 「ほらほらー! フェン、行くよー!」  動揺するフェンをよそにソフィはキラキラの笑顔で駆け出す。  好奇心旺盛なのはいい。  だけど――。 「お願いだから……無茶なことも危険なこともしないでよ、ソフィ!」  あわてて二才年下の幼なじみを追いかけながらフェンは絶叫した。ソフィの背中では父親である〝英雄〟譲りの水色の髪が馬のしっぽのように揺れていた。  南の草原を駆けていくソフィの足取りにあわせて、実にうれしそうに――。
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