第33話

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第33話

「胸、痛みませんか?」 「いや、何ともない。もういいから、お前も横になっていろ」 「別々のベッドの方がいいんじゃないでしょうかね?」 「私は抱き枕がないと安眠できないたちなんだ」 「ったく、あんなに安眠してたクセに。仕方ないですね、もう」  文句を言いながらも嬉しいのは隠せなかった。同じベッドに再び上がると、京哉は霧島に寄り添って寝る態勢に入る。霧島は言った通りに京哉を抱き枕にした。 「看護師さんが来るより早く起きなくちゃ」 「何も法を犯した訳でもないのだから、構わんだろう?」 「ちゃんとベッドで寝てないと、僕もまた点滴の刑だって言われたんですもん」 「ちゃんとベッドではないのか?」 「それはそうですけど……構うと思うけどなあ」  差し出された左腕の腕枕を暫し眺める。そういえば左手も腕も怪我をしていた。まさに満身創痍だが、この男は我慢強いのか鈍いのか、殆ど痛みを顔に出したことがない。 「こっちの腕の傷は?」 「もう治った、痛くも痒くもない。大丈夫だ、問題ない」 「出た、信用できない語録。信じて何度煮え湯を飲まされたことか」  言いつつ笑った京哉はそれでも素直に頭を落とす。霧島が右手指で髪を梳いてくれる甘く切ない感触が、霧島の逞しい躰から伝わる熱が、涙が滲むほど嬉しかった。 「心配させて悪かったな」 「もういいですよ。良かった」  ふわりと眠気が京哉を包んだ。落ち着いた心音に深い安堵を得て意識を沈ませる。 ◇◇◇◇  京哉の剣幕に圧され入院一週間目までは霧島も大人しくしていた。だが抜糸し固定帯を巻くと同時に我慢の限界が来た。医療スタッフが去ると同時に宣言する。 「この病院で可能なことは全て終わった。帰るぞ、京哉」 「帰っても暫く休むならいいですよ」 「そういう訳にはいかん。SPをしていなければ砂宮にも近づけないだろうが」 「怪我人がSPに就くなんて、マル対を不安にさせるだけじゃないですかね?」 「う……それはそうだが」  などとやりこめられながらも、霧島は京哉が調達しておいた退院時用の服に勝手に着替えている。だが丁度、移動に耐えられるまでに傷が塞がったという向坂主任と三浦秘書も帰るというので、京哉もしぶしぶ霧島の退院に頷かざるを得なくなった。  ナースステーションに挨拶をした霧島と京哉は、同室だという向坂主任と三浦秘書のいる階に向かった。彼らも手続きを終えたらしく、エレベーターホールに出てきていた。  向坂主任は左腕、三浦秘書は右腕を首から吊っていた。  再度のスタンドプレイと砂宮仁朗の取り逃がしで、微妙にご機嫌斜めの人間に霧島と京哉はそ知らぬ顔をして同行し、病院の前で四人はタクシーに乗った。  駅に辿り着くまで誰もがひとことも喋らなかった。  駅ビルに入居したコンビニで煙草を買った京哉は、そそくさと駅構内の喫煙ルームに向かって早速吸い始める。霧島の入院中は怪我人を屋外の喫煙所につれ出すのも憚られて殆ど吸えなかったのだ。二本立て続けに吸って、やっと脳ミソが固まった気分だった。  生温かく霧島に見守られながら、京哉は向坂主任まで煙草を咥えたのを見て訊く。 「主任って、吸いましたっけ?」 「たまに。普段は仕事に差し支えるから控えている」  これは余程苛ついているらしいと察して京哉は黙った。逆に向坂主任に訊かれた。 「あんたらはこれからどうする、SPを降りるのか?」 「いや、勿論戻るが。あんたこそどうするんだ?」 「指示くらいはできる」  京哉は自分の思惑を無視した上司二人の会話をムッとして聞いていた。  だが向坂主任と雑談できる機会はなかなか来ないのも分かっていて、以前から抱いていた疑問を、この際だから解消しようと試みる。 「あのう、SPって、はっきり言ってパッケージの命の方が大事で、主任たちSP専門職の人たちの命の方が軽い……違いますか?」  煙草を吹かしながら向坂主任は表情を変えないまま、京哉を見つめた。先を促される。 「例えばですね、『こんな奴の命を守らされるなんて嫌だ』とか、『こいつの命のために俺の命を投げ出すなんて馬鹿らしい』って思うようなパッケージに当たる事ってないんでしょうか?」  職業裏話を聞き出そうとする京哉に向坂警視は僅かに笑った気がした。 「確かに好きになれない・尊敬できない行状を見せる議員もいるが、別に彼らパッケージの命と自分たちSPの命の重さを比べて悲観することもなければ、パッケージの人格如何によって護衛のレヴェルが変わることもないな」 「え、だってスケベオヤジの命を守るために自分が楯になって死にたくないじゃないですか」 「そこが違う」  新たに煙草に火を点けて、ふうっと紫煙を吐くと向坂警視は続ける。 「我々SPはパッケージを護ることで、パッケージが背負ったものを護っている。大抵の議員は数万・数十万もの人々に投票されて当選している。その票の分だけ人々から願いや期待を負託されている訳だ。我々が護るのはパッケージであり、その負託なんだ」 「みんなの、希望……ですか?」 「平たく言えばそうだが、皆の負託を言い換えれば民主主義ということになる。パッケージの表面だけを護ろうとすると我々SPも嫌気が差すだろう。だが民主主義を、この国の在りようを、この身で護るのだと思えばこそ、パッケージを選り好みせず職務に就ける」  それでも向坂主任が口元を僅かに緩めていたのは、やはり人間同士である以上、護りづらい人種もいるんだろうなと京哉に思わせた。  取り敢えず雑談の間に依存症患者が満足すると、四人は柾木邸に帰るべく電車に乗って揺られ始める。何度か乗り換え三時間以上かけて白藤市駅に着き、またタクシーを使った。  ようやく柾木邸入りすると柾木議員は丁度個人事務所に出掛けていて留守だった。住み込みの自室に引っ込んだ三浦秘書以外の三人はSPの控室だ。そこで三者は相談する。 「砂宮仁朗は、また狙ってくると思うか?」  と、紙コップのコーヒーを啜りながら向坂主任。 「たぶんな。あれは()ると決めたら必ず実行する男の目だ」 「そうか。それで実際、霧島警視はSPに就くのに支障はないのか?」 「外すなら外せ。それはあんた次第だろう」 「迷うところだな。六名フォーメーション外、オブザーバーとして残って欲しい」 「了解した」  ここでも京哉は自分の意見を求められずに機嫌を悪くした。   仕方なく一ノ瀬本部長に退院の報告をしたり、小田切や捜一の三係長に情報を流したりしてヒマを潰す。白藤署の帳場は砂宮仁朗と直接対決した霧島と京哉を当然ながら欲しがったが、向坂主任が県警本部の警備部長に手を回させて阻止したようだ。  残っていたSPによると霧島たち四人が不在だったここ六日間、襲撃はなりを潜めているとのことだった。何となく京哉は嵐の前の静けさという言葉を思い出す。 「砂宮はともかく、あの参戦組は何だったんでしょうか?」  一通りのことを終えてコーヒーを飲みながら京哉は呟いた。
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