第35話

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第35話

 昼間はSPの職務にいそしみ、夜はミランダに通いだして四日目だった。  六名態勢のローテーションに京哉は組み込まれ、既に屋敷内の警備には霧島も就いていた。外出時だけ六名のあとに霧島もついて歩く。  その間に一度、柾木議員の黒塗りに同伴するガンメタのステーションワゴンに爆発物が仕掛けられるという事件があった。白藤市内で会社社長との会食時に使った車両は幸い乗り込む前の点検で爆弾が発見されて、県警の爆発物処理班も間に合い事なきを得た。 「今晩と明日。普通の思考の持ち主なら来ないでしょうね」  本日最後のローテ、執務室前で立ち番をしながら京哉が欠伸混じりに言った。 「まあ、今日を入れてあと二日あるからな」 「慢性睡眠不足ですよ、こっちは。爆弾作りに忙しいんじゃないですかね?」 「本気でそう思っているのか?」 「そう見えますか?」 「いや。まあ、これだけ頑張っているんだ、全て終わったら休暇でも取ろう」 「わあ、忍さんが珍しい。じゃあ何処か遠い国にでも旅行……で、また特別任務に利用されるのは止めて部屋でのんびりがいいな。手間の掛かる料理で作ってみたいのもあるし」 「私と暮らすまで料理を知らなかったお前も、随分と腕を上げたからな」 「期待していて下さい」 「ああ、楽しみにしている」  またもヒマで、馬鹿馬鹿しくもしりとりなんぞしながら立ち続け、定時を迎えた。  タクシーで帰り食事を終えてシャワーを浴びると、ソファに凭れて二人はウトウトする。腕時計のアラームで目覚め、四日目の出動だ。  二人ともスーツにコート姿でジャケットの下には警官グッズと銃も忘れず吊っている。そのいでたちで出掛け、マンションを出てから七、八分歩いて、ミランダに零時少し前に着いた。  カウンター席の奥から三番目に霧島、更に奥に京哉が座ると、もう何も言わずとも寡黙なマスターが霧島のキープボトルを出してくれる。殆ど酔わない霧島はストレートで淡々と、京哉は水割りをマスターに作って貰って舐めるように飲み始めた。  三時間の長丁場をナッツをつまみに過ごさなければならないのだ。  店内には音を絞ったジャズが流れていた。客は他に二人だけだ。一時間が経つ頃にはその客も出て行った。時折京哉の煙草を盗みながら三杯目のおかわりをする霧島に、京哉は口を尖らせる。 「酔わなくても、あんまり飲まないで下さい。怪我に障りますから」 「分かってはいるのだがな」  小声で喋っていると合板のドアが開いて新たな客が一人入ってきた。トレンチコートを羽織り、濃いブラウンのスーツの下は黒いドレスシャツでタイは締めていない。 「ウォッカ、ストリチナヤがあればストレートで」  その客は霧島の左隣に腰掛けながらマスターに注文した。 「ほう、顔を変えたのだな」  笑った顔に前の面影がある。特に形のいい唇は変わっていない。砂宮仁朗だった。 「あんたらこそ、まだ守谷の病院で入院中かと思ったんだが」 「回復が早いたちなんだ。だが、あれは本当にやってくれたな」 「そういえば、あんたらの名は? それくらい知っておくのもいいだろう」 「私は霧島忍警視だ」 「僕は鳴海京哉巡査部長です」  砂宮仁朗はグラスに口をつけ煙草を咥えて火を点けた。紫煙を吐き出す。 「じゃあ、霧島に鳴海。霧島とは、あんたもしかして……?」 「今夜は別として私はサツカンだ、少なくともあんたの前ではな。商社の跡継ぎだの世間では言われているが、あんたのゲーム内では取るに足らない下らん情報だろう」 「長期戦なら利用価値もあるが、あんたら相手では難しそうだ。それで用件は?」 「そうだな……砂宮仁朗、あんたは爆弾を使ったか?」 「一通りは知っている。だが今回は使っていない。巻き添えを出すのは趣味じゃないからな。日本は狭すぎる。言わせて貰えば柾木将道の夫人も()ってない」 「ふむ、なるほどな」 「信じるのか?」 「おかしいか?」  真っ直ぐ前を向いたまま砂宮仁朗は首を横に振った。 「いや。だが霧島、サツカンのあんたが俺とこうして会うのも拙いんじゃないか?」 「拙くてもパズルのピースを嵌めたかった。もうひとつ用件もあったからな」 「まだあるのか、何だ?」 「それはあとだ。ならば柾木静香殺害のホシは割れたな」  怒りを浮かべた砂宮の目が霧島の切れ長の目を鋭く見た。低い声を出す。 「嘘の証言をした秘書、三浦政美」 「夫人と痴情のもつれがあったのは三浦か。優男だが結構なタマだな」 「議員の秘書が議員亡きあと、その地盤を受け継ぐことは良くあることですよね」  京哉がナッツを口に放り込みながら述べる。 「夫人との情事がバレたらクビは確実、地盤狙いの計画もおじゃん。けれど今なら議員を爆殺しても砂宮仁朗さん、全て貴方のせいにできる。濡れ手に粟ですよ」  京哉に貰った煙草の灰を弾き、霧島はウィスキーのカットグラスを揺らした。 「ということは参戦してきた張本人は三浦という訳か。ヒットマンを雇い、あんたを追う私たちを尾行させてあんたを見出した挙げ句に、守谷のショッピングモールでの銃撃戦で私たちごと消そうとしたのも奴ということになるな」  水割りをひとくち飲んで京哉は首を傾げる。 「例えば柾木議員の夫人にヘロインを吸わせてその気にさせた、そのヘロイン絡みでヤクザの西尾組と繋ぎを取ってヒットマンだの爆弾魔だのを雇ったんじゃないでしょうか?」 「何だと、夫人にヘロインまでやらせたのか?」  低く唸った砂宮仁朗はここに至るも、柾木将道の名が傷つくのを恐れているようだ。 「推測に過ぎんが、京哉の説はまず間違いないだろう」 「そうか、三浦が……なるほどな」  暫し三者三様にグラスの酒を愉しんだ。京哉のグラスの氷がカランと音を立てる。 「で、あんたは柾木将道まで殺す気なのか?」 「俺より秘書の嘘を信じ、裏切ったことに変わりはない」 「ねえ、砂宮さん。柾木議員は言ってましたよ、会って話したいって。貴方は意味もなく人を殺す男じゃないって。この期に及んで世界で誰より貴方を信じてるってね」  グラスの無色透明な液体を呷り、二杯目をマスターから貰った砂宮は迷っている風だった。裏切りの事実と聞かされたばかりの信頼を秤にかけているのだろう。 「あの柾木将道が会いたい、か」 「柾木議員はともかく貴方は三浦政美を殺す気でしょう?」 「俺を陥れただけでなく、柾木までをも消そうとしている奴を生かしてはおけない」 「あくまで『陰を行く』つもりなんですね」 「砂宮仁朗。もう止めろ、仕掛けるな」  霧島は強い調子で言った。 「スコットシネマとリンドンホテル、及び柾木邸での狙撃による殺人未遂。守谷の病院での傷害。全てにおいての銃刀法違反と公務執行妨害。この上まだ重ねる気か?」 「阻止したいなら何故ここで俺を捕らえない?」 「どれも証拠がない。顔も変えたあんたはおそらく砂宮仁朗と完全に別人になりすましている。銃刀法違反でパクっても『拾った』とでも証言すればすぐに釈放(パイ)だ」 「確かに俺は証拠を残さず、ずっと完璧に仕事をやり遂げてきた。だが霧島、鳴海。あんたらが初めて俺にトリガを引かせるのを阻んだ。けれど次は失敗しない」 「止めておけ、砂宮。私たちが必ず三浦を挙げる」 「どうやってだ、殺し屋の証言でか? 笑われて終わりだろう」 「だから殺すのか? 今ならまだ死刑は免れるかも知れんぞ」 「刑務所に送られる気は毛頭無いな」 「ならば仕掛けるのは諦めろ。このまま何処かよその国にでも行って暮らせ」  応えず砂宮仁朗はグラスをゆったりと揺らしている。 「では、もうひとつの用件だ。次に会ったら砂宮仁朗、私はあんたを殺す」  真剣な灰色の目の煌めきを、砂宮仁朗は面白そうに見返した。 「俺を()るか。だが逆も忘れるな。次は病院送りなどという手加減はしない」 「上等だな。あの屈辱は一生忘れんぞ」 「ふ……ん。あんたらなら勢いで三浦をパクりそうだな」 「必ずやる。だから――」 「ならば頼みがあるんだが」  グラスを置いて霧島に向き直った砂宮仁朗は切り出した。 「俺は柾木と直接会う。その結果によっては全て終わらせてもいい。どうだ?」 「どうだって……まさか手伝えとでも言うのか?」  とんでもない話になり、京哉は耳に栓をしたくなっていた。
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