第37話

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第37話

 翌朝出勤した柾木邸では騒ぎが持ち上がっていた。三浦秘書が消えていたのだ。  柾木議員に対するテロの線として誘拐を話し合うSPの向坂主任たちに昨夜勤務の一号警備からもたらされたのは、朝も暗いうちに三浦政美自身が大きなボストンバッグを提げて自分の足で歩いて独り屋敷を出て行ったということだけだった。  理由も知らない皆にとっては大いに謎な訳で、騒がしい控室で霧島に京哉が囁く。 「メッセージが効果的すぎたんでしょうか?」 「全てバレたのを悟って、慌てて出奔か」 「もしかしたらまだ議員の後釜狙いを諦めずに、何処かで様子見してるのかも知れないですけどね。議員はダンマリだから幾らだって仕掛けることはできますし」 「確かに議員も妻殺しの三浦政美は許せんだろうが――」 「議員自身も砂宮仁朗から情報を得たことは言えないですもんね」  様々な憶測と一号警備の職務怠慢の非難までもが控室を飛び交ったが、霧島と京哉は口を出せない。昨夜自分たちが砂宮仁朗と共にここを訪れたことを、せっかく柾木議員が口止めしてくれているのだ。黙っているしかなかった。一号には悪いが仕方ない。  だがガード対象は本来三浦秘書ではなく柾木議員である。SP業務はいつも通りに開始された。今日から霧島も自発的に申し出てローテーション入り、京哉はムッとしている。  執務室内の立ち番の時に議員は黙って霧島と京哉に目配せを寄越した。  午後の予定はまた白藤市駅近くのリンドンホテルで地元与党員を集めての政経懇談会と名のついたパーティーである。これに就くメンバーはSP専門官の青野に佐藤、石川と負傷の向坂主任の代わりに戸塚(とつか)という男が加わった。それに霧島と京哉の六名である。  十五時から始まるパーティーに合わせ、十四時十分に議員とガードを乗せた車両二台が屋敷を出る。何事もなく着いたリンドンホテルで柾木議員は大ホールに入って行った。ガードは皆、専用の控室だ。やはり上手く切り替えて他のSPはリラックスしていた。  煙草を咥えて火を点けた京哉は紫煙を吐きながら小声で霧島に訊く。 「ねえ、忍さん。本当にどうやって姿も消しちゃった三浦を捕まえるんですか?」 「仕掛けてくるのを待つしかないだろうな」 「逃げてなお仕掛けてくると思います? 今頃国外に飛んでるかも知れないですよ」 「ならば調べよう。一ノ瀬本部長に連絡して空港利用者名簿を洗いざらい検索だ」 「ああ、その手がありましたね」  無料の飲料ディスペンサーのコーヒーを飲んでいる間に結果が出る。 「まだ出国はしてないみたい。監視継続して引っ掛かったらメールをくれるそうです」 「それは心強いな。ふあーあ」  緩んだ気のない返事を霧島は欠伸と共に吐き出した。 ◇◇◇◇  砂宮仁朗は小型の単眼スコープをポケットから出してアイピースを目に当てた。倍率を調整すると窓外を舐めるように見ていく。自分が今いるビルは既に外からチェック済みだが、周囲には二、三十階建てのビルが林立していた。  その窓のひとつひとつを虱潰しにチェックしていくのは苦行ではなかった。今までも繰り返しやってきたことだ。こういう綿密な下調べも仕事の成功の鍵である。数百からの窓を、反射する陽光に目を眇めて見つめつつ、自分で決めたことを思い返していた。  今日、何事もなければ砂宮仁朗は三浦を昨日の彼らに任せる気でいた。あの二人になら卑怯極まりない男の断罪を任せられる。信頼できると言ってもいい。  ならばこの自分はこのまま出国し、またバルドールか中東辺りで傭兵に戻る。スコープ越しにでも柾木将道の無事を確認できたら、それを最後に『陰』たる自分を消すつもりだった。  昨夜会った柾木将道は『陽』の下で何者に対しても恥じぬ存在で在り続けていた。これ以上自分という陰がつかなくても彼は輝きを失わないだろう。むしろ陰のクセに明るみに出た自分がつきまとっては邪魔でしかない。陰は陰へ戻る、陽から離れて。  自分は柾木将道のバディを降りて戦場のマッドドッグに戻るのだ。  柾木将道という男に必要とされた栄光と、あの男を敵から護ってこられた日々を誇りに胸に収め、これから自分は生きてゆく。何と充実した愉しい時間であったことか。  思いに耽りながらスコープをずらしてゆくと一瞬キラリと何かが反射した。危ない所だった。見逃しかけた僅かな光を慎重に注視する。リンドンホテルから約三百メートル、大抵の狙撃銃なら至近距離と云えた。アサルトライフルでも狙える距離だ。  息を詰め、額に汗を浮かばせて砂宮仁朗はその窓を眺め続けた。 ◇◇◇◇  十七時前には政経懇談会なるパーティーが終わり、柾木議員はパーティー会場前で続々と出てくる大勢の政党員との握手を繰り返した。十七時半にはアイドルの握手会さながらの儀式も終わる。同時に議員の本日の仕事は全て終了だった。  霧島たちガード六名に囲まれてエレベーターで一階に降り、エントランスホールを抜けた。  車寄せに黒塗りとガンメタのステーションワゴンが待機しているのを先頭の霧島が確認した後、一行はエントランスを出た。ドアの開いた黒塗りまでたった五メートル、それも車寄せは屋根付きで、周囲は数メートル間隔で警備員が取り囲んでいる。    だが事実として再びそれは起きてしまった。  黒塗り前方の警備員が血飛沫を上げる。  二人、三人と続けざまにヘッドショットを食らい斃れた。    霧島たちはマル対を防弾仕様の黒塗りに押し込むべく動く。  しかし脇と後ろを固めていた青野と佐藤が次々頽れた。  マル対を石川が引き倒し伏せさせる。  更にその上から覆い被さった戸塚が銃弾を受けて身を跳ねさせた。  二弾、三弾と容赦なく撃ち込まれる銃弾は、柾木議員本人の右腕からも血を噴き出させる。 「忍さん、十一時方向、三十度!」  スナイパーの目を持つ京哉の指示で霧島も振り仰ぐ。同時にビルの窓で何かがキラリと光ったのを視認した。咄嗟に状況を掴もうとした二人が振り向くと、血溜まりから這い出した柾木議員を、これも血だらけの戸塚が黒塗りに押し込むところだった。    腕を朱に染めながらも強い視線で柾木議員が霧島と京哉を見る。  瞳の動きで託されて二人は頷いた。 「京哉、行くぞ!」 「はいっ!」
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