第6話

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第6話

 柾木議員の自宅は大勢のメディアの人間が取り巻き、一目瞭然だった。お蔭で近づきすぎては見えず、離れた場所から注視する。  柾木議員の屋敷は青銅の柵に囲まれた洋館だった。柵はそのまま背を高くして門扉となっている。今は警備部の制服警察官二名がメディアのカメラで撮られながらも、無表情を保って張り番していた。  門扉の内側は綺麗に刈られた芝を突っ切る小径になり、屋敷の玄関の車寄せに続いている。芝生の広い庭には温室も二棟あって遠目にも薔薇か何かが咲き誇っているのが分かった。  そして屋敷は四階建てで確かに豪華だったが、外装が全てチョコレート色のどっしりとした四角い建築物に、京哉は華美というより剛健な印象を持つ。 「裏門はないんでしょうか?」 「裏でも表でもメディアの数は変わらんと思うぞ」  尤もなことを言い霧島は青銅の門に向かって歩いて行く。京哉も続いた。そこでメディアの人間が霧島に気付く。次には二人ともカメラとマイクに囲まれていた。 「霧島警視、今回の事件の担当ですか?」 「今回の事件について、どうお思いですか?」  投げられる質問の一切に答えず、無言の鉄面皮で霧島は張り番の警官に頷く。張り番の警備部巡査は内部と無線連絡を取り、了解を得て門扉を開けた。揉みくちゃにされながら霧島と京哉は柾木邸に足を踏み入れる。  背後の騒ぎを何ら気にせず小径を歩き、二棟の温室を外から鑑賞して玄関に辿り着いた。そこも警備部の制服がいてドアを開けてくれる。 「うわあ、すごいかも」  溜息と共に京哉は呟いた。外見こそ剛健だったが玄関ホールには臙脂のカーペットが敷かれ、三階まで吹き抜けとなった高い天井からは、落ちてきたら一大事となりそうな巨大なシャンデリアが虹色に煌く光のシャワーを降らせていたのだ。  屋敷中央に当たる大階段にもカーペットと、踊り場にもシャンデリアである。  口を開けて京哉が見入っていると廊下の途中のドアが開き、見知った捜一の三係長がバディの巡査長と共に姿を現した。手招きしながら笑っている。 「いやいや、今し方TVにあんた方が映ったから何事かと思いましたよ。メディアは火が付いたような騒ぎで……こっちこっち。現場はこのサロンでしてな」  招き入れられた部屋は割と小ぢんまりしつつも、更なる豪華さで満ち溢れていた。  シャンデリアは精緻を極めた細工物、置かれたソファセットはゴブラン織りの上に金糸銀糸が編み込まれたレースが掛けられている。ロウテーブルは繊細な模様を彫ったガラス製、カーテンはビロードにこれも金糸で刺繍を施したものだ。  調度は木目も美しいローズウッドのサイドボードにキャビネット、壁紙はエンボスのリバティー柄、それに金縁の額で飾られた最近流行りの作家のシルクスクリーンである。おまけに白いグランドピアノまでが据えられて存在を主張していた。 「何だか、何でもいいからお金を掛けたかったって感じじゃないですか?」 「確かにな。一種、少女趣味とでも言うのか。鳴海、その足元だ」 「分かってます。かなりの出血だったようですね」  ソファとロウテーブルの間には鑑識のテープで囲われた血痕があった。ソファにも血は飛び散っている。どうやら座っているところを背後から灰皿でガツンとやられたらしい。 「これなら子供にだって可能ですよね」 「残念ながら柾木夫妻に子供はおりませんな」  三係長が真面目に答える。あとはまだ鑑識が作業中で物に触れることもできず、三係長から夜の捜査会議が十七時からと聞いた京哉と霧島は一旦退散することに決めた。  柾木邸を出て再びメディアの人間に揉みくちゃにされ、覆面パトカーまで追ってくる彼らを撒いて機捜に戻ると昼だった。また京哉は在庁者に茶を配り、幕の内弁当を三つ確保して上司二人にも配給する。茶を飲みながら食べ始めると小田切が文句を言った。 「たまには幕の内じゃなくてカツ丼とか食いたいなあ」 「文句を抜かすくらいなら食うな」 「一日中ここに座ってる俺の身にもなってくれよ。食うしか愉しみがないんだぜ?」 「甘いな。誰も貴様を愉しませようとは思っていない」 「そういうんじゃなくてだな……」  ここでは夜食も含めて一日四食、三百六十五日全てが近所の仕出し屋の幕の内弁当なのだ。迷うということを知らない霧島がそれしか注文しないからである。  そのせいで『人呼んで幕の内の霧島』などと陰では言われているのだが、知りつつ本人はやはり涼しい顔だった。  非常に安定した精神の持ち主で、年下の恋人が絡まない限りは大概、泰然自若としている。  それでも今日は吉岡の嫁さんの実家から差し入れで饅頭がデザートについている。それをもぐもぐ食いながら、小田切は夜の捜査会議には自分も参加するのだと息巻いていた。 「ふん、勝手にしろ。それより鳴海、ボーッとしてどうかしたのか?」 「えっ、ああ、あの……はい。ちょっといいでしょうか、隊長」  自分を差し置いての密談にまたもムッとした小田切を置いて、京哉は霧島隊長に給湯室までお越し願った。そこで煙草を咥えて火を点けると紫煙を吐いて首を捻る。 「煙草がどうかしたのか?」 「煙草というより煙なんですけど、柾木邸の現場となったサロン、あそこで煙草とは違う煙の臭いがしたんです。確証はありませんが具体的に言えば……ヘロイン」 「何だと、それは本当か?」  以前の特別任務で京哉はヘロイン中毒にされたことがあった。おまけに異常なほど鋭敏な嗅覚を持つため、訊きながらも霧島は疑っていない。誰かがあの現場でヘロインを炙って吸引したのだ。考え込みつつ霧島は耳目を憚って詰め所に戻らず、給湯室の警電を取る。  コールしたのは組織犯罪対策本部・通称組対の薬物銃器対策課長で知己の箱崎(はこざき)警視だ。 《おう、霧島か。どうした?》 「ここ一両日中の案件の関係者で、ダウナーを食っていた人間はいなかったか?」 《いきなり何だ、それは?》 「いないのか、ならいい」    失礼にもそれだけで警電を切り、今度は何と県警本部長に直接コールする。 《ああ、霧島くんか。怪我も快癒したようだね、記憶も戻って良かった良かった》 「有難うございます。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」 《いやいや、まさかきみが記憶喪失とは霧島会長に何と言えばいいのやらと思っていた矢先にマル被に刺されて大怪我だ。わたしも寿命が縮んだ気がしたよ》 「そうですか。数々の融通も利かせて頂き助かりました。今後の特別任務も減らしていただけると、もっと助かるのですが。ところでお聞きしたい件がひとつあります。今朝起こった議員夫人殺害事件の遺留品にヘロインはなかったのでしょうか?」 《……何処からそれを聞いたんだね?》 「なるほど。ヘロインが見つかり、それを鉄壁の保秘で以て捜査員に対しても隠さなければならない。つまり柾木夫人がヘロインを使用していたということですね?」 《議員の妻がヘロイン中毒とは軽々しく洩らせぬ事実だ。初期段階で鑑識にも箝口令を敷いてある。霧島くんも今後一切それを口にせぬよう、くれぐれも気を付けてくれたまえ》 「了解です。それでは」  傍で聞いていた京哉は機捜まで帳場入りした理由を知って薄く笑いを浮かべた。夫人がヘロイン中毒という事実が洩れる前に人海戦術でマル被を挙げてしまおうという魂胆だ。 「だからって事実を隠してたら、余計に犯人検挙は遠ざかるのに」 「全くだ、ふざけているな。議員だからといって特別視していては捜査も捗らん」 「で、霧島警視、今度は何処にメールですか?」 「麻取の野坂健司(のさかけんじ)だ」  京哉がヘロイン中毒にされた一件で世話になった、厚生局の麻薬取締官である野坂健司は潜入捜査専門で、それだけに裏の世界にも通じている。  柾木夫人のことは伏せてこの辺りのヘロイン流通に詳しい人物を訊いた。するとメールで紹介されたのは、これもその時の件で霧島が世話になった人物だった。  だが堅気ではない人間らしく、夜も遅くなってからでないと連絡が取れないらしい。 「仕方ないな、夕方になったら動くぞ」 「分かりました。でも情報屋さんなんて忍さん、まるで刑事みたいですね」  揶揄する京哉を置いて詰め所に戻り、小田切に十七時からの捜査会議の代理出席を頼んだ。あちこち点々としつつも、キャリアで現場に殆ど出た経験のない小田切は捜査会議に興味津々で却って喜んでいる。湯呑みを三つ持って戻ってきた京哉は小田切を見て呟いた。 「何て浅はかな……」 「糠喜びさせておけ」  機捜は花形である県警捜一への登竜門と言われもするが、それだけに格下扱いされることがあるのも現実だ。  おまけに普段から帳場入りせず初動捜査のみで美味しいとこ取りしては、未解決案件を担当部署に押し付けて行く訳である。  幸い現在は所轄も捜一も悪い人間はいないが、それでもそんな相手に自分の職掌を侵されたくはないのが普通だろう。  結果、集団心理として機捜を鬼子扱いするのは仕方ないと云えた。  それから約三時間半は三人で書類減らしに掛かり切りとなる。十六時半になり捜査会議に出席するため小田切がコートを手に三班の隊員らと詰め所を出て行った。京哉はミケのトイレを清掃し、エサのカリカリを皿に盛ってやってから書類に戻る。  煙草を吸いつつ書類に一段落ついたのが十七時半の定時だった。 「どうします、一旦帰りますか?」 「いや、このまま時間を潰そう。天根(あまね)市まで出張るからな」  真城市とは反対側の海側で接しているのが貝崎(かいざき)市、その南にあるのが天根市だ。 「結構遠いんですね。何時くらいに出ますか?」 「帰宅ラッシュが終わったら、そうだな、飯を食って十九時頃に出るか」
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