第7話

1/1

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ

第7話

◇◇◇◇  内戦中のバルドールなどという国で、防衛装備庁の長官官房審議官である吉田正芳を()るのは容易だった。何せそこら中に武装した人間が闊歩している。  そんな地にまで外遊をしにきた吉田正芳は、何も職務に目覚めたのではない。テロリストの産地として国際的にも問題視されているバルドールの内情には目もくれなかった。  吉田正芳が真っ先に訪れたバルドールの片隅にあるキプラの街はマフィアが仕切り、カジノで外貨を稼ぎ潤う土地だった。つまりは博打に耽りに来たのだ。それも自腹で愉しむには少々無理があるマフィアならではの、スリルあるレートでだ。  外貨を稼げるこの地は昔から『聖地』と呼ばれ、バトルロイヤルに近い内戦下であっても何処もが爆撃を避けてきた。安全圏である『聖地』には国外から死の商人、いわゆる武器メーカーがやってきてはマフィアと武器弾薬の商談をしてゆく。  そのためにマフィアは肥え太り、手に入れた武器弾薬を軍やゲリラに流すことで更なる戦時特需が到来した。  その武器弾薬で泥沼の内戦に拍車が掛かっているというループに陥っているのだ。  そんなマフィアの抗争に巻き込まれたというストーリーの下、吉田を流れ弾に当たったかの如く射殺すると、活動資金で闇医者にかかり簡単な整形手術を受けた。  従来から持っていたルートは使わなかったが蛇の道は蛇である。裏社会に通じた男にとってそういったものを利用することも、このような土地では容易だった。  整形手術は三日ほど入院して様子を見たのち、文句がなければ退院できる程度の簡単なものだ。一昨日の夜遅くに手術を受けた男は部屋の歪んだ鏡を眺め、目元の印象がかなり変わっているのを見て納得し身繕いをすると勝手に医院をあとにする。    まだ七十二時間経っていないが闇医者も引き留めたがりはしない。勿論料金は前払いだ。  外に出るなりアップテンポのフロアミュージックが鼓膜を揺さぶる。内戦中の国と考えれば信じがたいほど電子看板も眩い繁華街だ。狭くて歩道も車道も区別のつかない道にまで看板が立てられ、そぞろ歩く人々で車など走れそうにないくらいである。  僅か数十メートル歩いて男は林立するカジノの一軒に入店した。用ありげに佇んでいるだけで色んな人間が声を掛けてくる。ドラッグの売人、売春婦、怪しげな射撃ツアー。  四人目で目的のものを持った人物に出会った。大枚をはたいて買ったのはパスポートと残額が殆どないクレジットカードである。それも日本人のものだ。 「山口(やまぐち)誠二(せいじ)、三十五歳か……」  このパスポートの当人が生きているのか死んだのかは分からない。この国の娯楽を味わいにやってきてカジノその他に耽った挙げ句、全財産を身ぐるみ剥がされて身分そのものを売らざるを得なくなった者もいれば、自発的にそのまま居着いてしまう者もいる。  そうなれば日本人たる証明書など不要、高額で売り払ってしまうのだ。  こうしてカネを使うので、前金と併せた報酬は決して高くはない。しかし自分は陰に生きると決めたその時から、その日その日の糊口さえしのげれば構わなかった。  あとは日本に帰る前に吉田某の殺害に使用した銃を手近な店で売り払わなければならない。勿論これはバディたるコルト・ガバメントではなく現地調達したものだ。少しでも値が上がればと思い、その辺りで銃を売る店ではなく射撃場に持ち込むことにする。  人波に紛れて歩き出すと、たった五分でビルの看板にここでの公用語の英語である英語で屋内射場と書かれているのを見つけた。  ビルといっても五階建てのエレベーターもない茶色く埃っぽい建物だ。その階段を男は上り始めた。屋内でハンドガンを撃たせる射場は最上階である。  だが三階まできたときにクラブのドアが押し開かれ、赤いドレスの女と黒服の男が足元に転がり出てきた。続いて出てきたのはいかにもなマフィアの三下で、耳障りなダミ声で喚く。 「このアマ、一晩二百でも気に食わねぇってのかよ!」 「一万ドルでもあんたなんかとはご免だわ……痛っ、止めてよ!」  結った栗色の髪を掴まれ、女は引きずり回された。大きくスリットの入ったドレスの裾が乱れ、三下とその仲間らしい二人の男が下卑た嗤いを浮かべる。  こんなことはどんな国でも場末ではありきたり、騒動に巻き込まれるだけ損だ。しかし階段の踊り場は占領されていて上に行けない。暫し見ているしかなかった。  取りなそうと黒服のマネージャーらしき男はおろおろしている。だが女を激しく殴った三下はリボルバを抜いて黒服の額をポイントし無造作にトリガを引こうとする。  反射的に男は売る筈だった銃を抜き撃っていた。リボルバを手にした三下の腹にダブルタップ、更にヘッドショット。一発に聞こえるようなモザンビークドリルに残った仲間は一瞬だけ怯み、止めておけばいいのに各々銃を抜く。  男は速射でヘッドショットを食らわせた。けれどここは警察より葬儀屋が来る土地だ。この場合はマフィアのお礼参りか。  何れにせよ血飛沫が壁に前衛的な模様を描き、目前には死体が三つ転がっている。 「ちょっと貴方! 中にまだゴールディグループの仲間がいるわ、こっちに来て!」   轟音や死体にも驚かない女に手を引っ張られ、せっかく上ってきた階段を駆け下りるハメになった。解けた栗色の長い髪から安っぽい香水が匂う。  通りの人波をかき分けながら四、五百メートルも早足で歩いたか、女はひょいと路地を曲がった。饐えた臭いのする路地を幾度か折れ、辿り着いたのは赤やピンクの電子看板が目立つ、それこそ場末のあからさまな娼館だった。 「ここはエンダーグループのテリトリーよ」  だから安全と言いたいのか、女は男の手を掴んだまま娼館に入ろうとする。男は僅かにためらった。こんなことは予定にはない。今日は銃を売って日本に向かう筈だったのだ。 「あたし、もうあの店には戻れないし、今夜はあぶれちゃったもの」 「……だから?」 「お金は取らないから、ほとぼりが冷めるまで、どう?」 「そうだな。カネを払わせてくれるのなら、付き合ってもいい」 「なあに、それ。変な人ね」  娼館の二階の部屋で交互にシャワーを使い、湿気ったベッドで熱い肌を合わせ終えるまで、互いの名を知らなかった。男の胸にマニキュアを塗った指先を這わせて女は微笑む。 「ジゼルよ、あたし」 「――セイジだ」  持ち込んだバーボンをグラスに注いで男に手渡し、ジゼルはベッドを滑り降りた。  彼女を見ると脱ぎ捨てていた、これも安っぽいスパンコールのついた赤いドレスを大切そうに椅子に掛けている。またベッドにするりと滑り込んできてジゼルが訊いた。 「貴方、凄腕よね。ヒットマン?」 「そんなところだ」 「でも、もっと都会の匂いがする……お客にこんなこと訊いちゃいけないのよね」 「いや。それより殴られただろう、大丈夫なのか?」 「口の中を少し切っただけ。消毒薬でうがいしたわ」 「ならいい。着替えて、家まで送ろう」 「要らない。ここに住んでるのよ、あたし」  思わず男は改めて部屋の中を見回した。引き出し付きのベッドと小さなテーブルに椅子だけの薄暗い部屋で、昼間はあちこちから日差しが洩れそうな古臭いカーテンが下がっている。大体、ここは娼館だ。借金でもあるのかも知れないと男は思った。  だがこんな国で曲がりなりにも女が独り立ちしているのだ。褒めもしないが余計なことは口にしない。 「こうして毎晩誰かと一緒にいるけれど時々、死ぬほど淋しいわ」  再び男の胸を撫でながら、ジゼルは気怠げに言った。 「そんな仕事してて、貴方は淋しくない?」 「俺は陰、あいつは陽。そう決めてから考えたことがない。考える必要もない」 「大切な人がいるのね、羨ましい……ねえ、うんと優しくして」   翌朝、眠るジゼルの額にキスを落とした男はテーブルにカネを置き、空港に向かった。このキプラの街外れにも小型機専用空港があるのだ。そこからハスデヤ国際空港に飛ぶ。  ハスデヤ国際空港でチケットを購入し、銃もとうに売り払った男は数時間待って国際便に搭乗した。トランジットも含め二十時間以上掛かり、時差もプラスして成田国際空港に十九時過ぎに到着する。山口誠二のパスポートは活きていて問題なく自由の身となった。  そのまま空港を出て電車を乗り継ぎ都内に出ると空腹を感じて電車を降りる。駅ビルにあった喫煙可の喫茶店に足を運びカウンター席でセットメニューを注文した。ずっと我慢していた煙草を咥えて火を点ける。何度か紫煙を吐いてやっと落ち着いた。  だがせっかく落ち着いた気がしたのに、カウンターの隅に置かれていたTVのニュースが驚愕の事実を報じていた。思わず血の気が引く。 《今朝発覚した衆議院議員の柾木将道氏の夫人、静香さん殺害事件は未だ捜査に何の進展も見られず、関係者の苛立ちは募っているようで――》  まさかと思った。こんな風にスキャンダルがあいつに影を落としてはならない、こんなことがあってはならないのだ。誰が()った、誰があいつにこんな……。  怒りに震えて指に挟んでいた煙草の灰が落ちる。同時にポケットの中で携帯も震えていた。取り出して操作すると男の本名宛のメールだった。 (こんな時に仕事の依頼とは……いや、こんな時だからか?)  だが喩えあいつが犯人を掴んだとして自分が暗殺してしまっては警察当局も収まりがつかないということは容易に知れる。いったい何をしろというのだろう。  取り敢えずは煙草を消し、出されたセットメニューを口に運んだ。考えに耽っていたので味など分からなかったが、まだ時間はあるので全てを綺麗に平らげる。食べられる時に食べておかないと仕事にも影響が出るからだ。  カネを払って喫茶店を出ると足早に駅の切符売り場に向かう。  まずは薬屋でメモを見る。  そして預けておいたコルト・ガバメントを取り戻す。全てはそれからだ。  ここからなら二時間半もあれば辿り着けるだろう。今は焦っても仕方ない。  自分を宥めながらも男は人混みの中で、妙に不穏な空気を嗅いだような気がした。 ◇◇◇◇
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加