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*2 俺と彼のどういう関係?
事故の翌々日からは通常勤務に戻った。朝早めに家を出て、病院に連れて行ってくれた副校長と、応急処置をしてくれた養護教諭にお礼を言ったりして回る。
授業をいつも通りして、事故を目撃していたらしい生徒たちに健全ぶりを報告したりしているうちに昼になっていた。
昼ご飯かぁ……俺、いつもどうしていたっけ? そんなこと考えながら、無意識に注文していた仕出し弁当の蓋を開けて軽く仰け反って固まる。
すっかり忘れていたけれど、この学校で注文する仕出し弁当って俺が嫌いなもの――魚の煮つけだとか、味の薄い煮物だとか、ヒジキだとか――のオンパレードだったのだ。
注文したこの弁当以外にも食堂がこの学校にはあるけれど、それは生徒優先なのでこの時間帯に食べに行くのは難しい。それに、弁当だってタダじゃないんだから。
とは言えなぁ……食えない物にしか入っていないなんて……そう、途方に暮れていると、背後から、「あれ? 今日ラブラブ弁当じゃないんだ?」という声がした。
振り返ると、ショートカットのジャージ姿の男子生徒がバレーボールを小脇に抱えてこちらを興味深げに見ている。
えーっと、たしか彼は……
「三嶋くん? どうかした?」
「先生、頭もういいの?」
質問に質問で返されたけれど、「ああ、もう大丈夫だよ」と、一応彼の質問には答える。たぶん一昨日の事故のことを言っているんだろう。
それからもう一度改めて、「どうかしたの?」と、訊くと、三嶋は俺の手許を指して、「弁当。いつものじゃないね」と言うのだ。
「いつもの、って?」
「先生いつも馬越先生お手製のラブラブ弁当じゃん。またケンカしたの?」
「いつも、馬越の弁当? なんで三嶋くんが彼を知ってるの?」
「なんでって……僕、馬越先生の生徒じゃん、塾の」
「へぇ―……」
思いがけない接点に俺が驚いていると、「先生? 何か新しいボケなのそれ」と、三嶋が首を傾げている。
馬越お手製だの、ラブラブ弁当だの、まるで俺と彼が、彼が言っていたような仲であるかの三嶋の言葉に眉をひそめていると、三嶋もまた眉をひそめて、「……先生、やっぱまだ頭治ってないんじゃない?」と、呟く。
いやいやそういうワケはないだろう。脳波だってCTだってどこも異常はなかったし、仕事にだって来ているし、ちゃんと君ら生徒のことも憶えている。
そう、俺が三嶋に言っても、彼は何か腑に落ちていない顔をしている。
「鹿山先生さぁ、馬越先生とのこと否定するのは勝手だけど、なんか今日の言い方冷たくない?」
「冷たい? なにが?」
「いつもならさ、“俺らはお隣さんなだけで、弁当は昔からの習慣なんだよ”とか言ってさ、付き合ってるどうのは否定するけど、馬越先生のことまるで知らないみたいに言わないじゃん」
「……そう、だっけ?」
「……先生、そんなにひどいケンカしたの?」
大丈夫? と、結構マジなトーンと表情で三嶋が心配してきたので、俺は苦笑いして、よくわからないなりにお礼だけは言った。何に対するお礼なのかはわからないけれど。
三嶋は午後の授業で使う体育倉庫の鍵をもらいに来ていたのでそれを俺から受け取ると、まだ何か言いたげな顔をして俺を見ていた。
「まだなにか?」
「……あのさ、お節介だけどさ、仲直り、ちゃんとした方がいいよ」
「へ?」
「先生が野菜も魚も食べないのをどうにかできるの、馬越先生だけなんだからさ」
それだけを言い置いて、三嶋は職員室から出て行った。
まるで俺と馬越が公認の仲であるかのような言い方をして、挙句俺と彼を心配するような……というよりもいまのは俺の心配だけれど、そういうのをするような彼の言い草に俺は首を傾げざるをえない。
そんなに、俺と馬越というあの俺の幼馴染だとか言うやつとの仲って周囲に筒抜けだったのかな……それとも、三嶋が勘繰りすぎているだけ?
いずれにしても、俺が馬越と、三嶋の言うような親密な仲であることに納得ができたわけではなかった。本当にそうなのかな? という、まだ疑問が消えきれてない状態だ。
俺と、隣の幼馴染の男は生徒にも知られているらしい仲だったのか……? そんなことを思いながら、手許の弁当の中のなんとか食べられそうなものを捜して突いていた。
口にする肉団子はぱさぱさな上に微妙に甘ったるくて、つい俺は、昨日差し入れられた馬越のハンバーグの味を思い出していた。あれは、たしかに俺の好みの味だったなぁ、と。
そうしながらふとジャージのポケットから取り出したスマホには馬越からメッセージが届いていた。
『サク、昼メシどうした? 弁当持って行かなかっただろ? 大丈夫か?』
まるで俺が仕出し弁当を前に途方に暮れているのを見透かすかのような言葉に、俺は軽くひいてしまう。
実はこういう見透かしたようなメッセージを送ってくるのはいまが初めてじゃないんだ。
病院帰りだった昨日、異常なしの快気祝いに駅前のラーメン屋で一杯ひっかけていこうとしたら、こう送られてきた。
『病院どうだった? 異常なしだったとしても、しばらくは酒はやめとけよ』
ラーメン屋のメニュー表を手にビールを注文しかけていた俺は、どこかで馬越が見ているんじゃないかと思って辺りを見渡したほどだ。それらしい人はいなかったけれど、軽くホラーだ。メリーさんかよ。
それとか、その日の夜遅くにもまた馬越が来て、「明日の朝食あるか?」とか言ってきて、おにぎりをくれたりもした。
またもやタイミングよく俺が明日の朝ごはんどうするかなーとか思いながら冷蔵庫を眺めている時に来たりしたもんだから、断れず受け取ってしまった。そして今朝食べた。
こういう、ただの幼馴染にしては、度を越えているような彼のお節介って……やっぱり、俺と彼がそういう親密さを持つ仲だってことなのかな?
馬越も俺も、男で、同性だ。っていうことは、俺らは同性愛者ってことなんだろうか。
同性を恋愛や性愛の対象にする人はいるだろうことは理解しているつもりだけれど、自分がそれにあたるのかって言うと……なんか、よくわからなくて。
あの頭を打った日以来、性愛だなんだって言うのがよくわからなくなっているのもあるからだ。
だからって、性的な欲求がないわけじゃないんだろうけれど(今はその気がないだけで)……その対象に幼馴染であるらしい彼があたるかって言われると……
「――わかんなくなるんだよなぁ……」
幼馴染だから、俺が好きだと彼が言うのか、彼が好きなのがたまたま幼馴染である俺なのか、そこがわからない。
馬越に聞いたらわかるんだろうか? でも、わかるって、なにがわかるんだろうか?
だって、彼は俺が好きだけれど、俺が彼を好きなのかどうかは俺の内面の問題だから、彼がわかるわけがないからだ。
そりゃあ、世の中には相手のことはお見通しだとか言う人もいるけれど、馬越は俺の言動を見透かしたようなことを言いがちだけれど、だからって……
こんな想いが、あの差し入れのおかずを食べてから時々ふっと湧いては頭の中を渦巻いて俺を混乱させる。
彼からの好意を感じるたびに、俺はどうしたらいいかわからなくなるんだ。それらをありがとう、って受け取るだけでは済まないんじゃないかってなんとなく思っているから。
馬越が俺に見返りを求めているかはわからないけれど、でもこういうことって相手に下心や期待があってこそだと思えるんだ。
そう思いつつ、なんとか半分ほど食べ終えた仕出し弁当の箱を返却しに行って、義務付けられている歯磨きをしながら、俺はふと、無性にまたプリンが食べたくなっているのを感じた。そして、ほんの僅かに身体の奥が疼くちいさな衝動も。その意味と正体はわからないままなんだけれど。
(――とりあえず、仕事終わったからプリン、コンビニで買って帰ろうかな……)
そう思いながら、俺はうがいを始めた。ミント味の吐息が鼻先を抜けていった。
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