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*3 記憶をなぞるドライブ
「――でな、もうすぐ着くパーキングエリアのチャーシュー丼をサクがどうしても食う! って聞かなくてさぁ……さっき違うとこで顔ぐらい大きいモモ肉食ってきたばっかりだって言うのに」
「ふーん……」
事故からさらに半月ほど経って、俺の担当している部活が休みになっていた日、俺は何故か馬越の運転する俺の車の助手席に座って首都圏郊外の高速道を走っていた。
べつに申し合わせたわけではないけれど、今日たまたま二人そろって休みだということが昨日の差し入れを持ってきた際(昨日もまた馬越は晩飯だ朝食の分だと言ってタッパーいっぱいのおかずを持ってきた)に発覚して、それなら連れて行きたいところあるんだと言われ、半ば押し切られる形でドライブに行く羽目になったのだ。
俺としては事故をきっかけにサボっていた筋トレとかランニングを再開させたかったんだけれど、馬越がどうしてもというのだ。
しかも、俺の車を出してくれなんて言うもんだから、俺が運転するのかと思いきや、彼がするという。
どういうことだ? と、思いながらちょっと戦々恐々としながら助手席に乗りこんでいまに至っている。
もしや郊外のラブホにでも連れて行かれるのか? なんて思っていたんだけれど、行き着いたのは都内から車で二時間ほどの郊外のパーキングエリアだった。
最近のパーキングエリアはただ長距離運転の休憩所としてではなく、パーキングエリア自体が目的地になるほどにあらゆるエンタメ要素が詰め込まれていて、家族連れだとかカップルだとかが多くいて賑わっている。
連れて来られたそこは、たしかテレビで以前特集されていたほど人気のスポットだと思う。
「ああ、ここのチャーシュー丼……」
「お? 思い出したか?」
思わず呟いた言葉を、馬越は耳ざとく拾う。彼の中の俺の記憶と、俺の中の記憶が合致したとでも思っているのだろう。
べつに百パーセントすべて合致したわけではなく、ただほんの一部とも言えないところが合わさっただけなのに、馬越は嬉しそうにパーキングエリア内を進んで行く。
たしかに、そこは俺が好きそうなジャンクフードと言うか、B級グルメと呼ばれるものの屋台がたくさん出ていて、片っ端から食べたくて仕方ない。
「どれか食うか?」
「え、あ、その……」
うっかりヨダレでもたらしていたのかと思うほどに屋台に見入っていたのかもしれない。慌てて口元を拭って姿勢を正す俺を、馬越はおかしそうにくすくす笑いながら声をかけてくる。
正直食べたい気持ちはあるけれど、俺の食指の向くままに彼を振り回すは気が引けて口籠っていると、馬越はごく当たり前のように財布を取り出して、俺が足を止めてまで見入っていた一軒の屋台で串焼きの肉を買った。
「ほれ」
「え?」
「食いたいんだろ?」
「や、えっと……」
「いいって、遠慮するなよ。つーか、いつも当たり前みたいに買ってくれって言うじゃんよ」
当たり前のように俺に屋台の食べ物を買い与えられたのを受け取りながら、俺ってそんなに子どもじみていたのかな……と、いぶかしんでしまう。
馬越もまた同じように串焼きを買い、食べながらまた歩き出した。俺はその後から肉を食べ食べついていく。
俺らって、傍から見たらどう見えているんだろう。仲の良い友達? 似ていない兄弟? それとも……
それとも、の続きを浮かべそうになって、俺は、たちまちに彼の期待することに応えられるかがわからなくなる。
俺は、ゲイなのかもしれないけれど、それがいまもなのかどうかはわからない。もしかしたら、頭を打った衝撃で変わってしまったかも知れない。そんなことがあるかは絶対だとは言えないけれど。
でももし、俺が以前の俺と違ったタイプとかになっていたら……彼は、どうするんだろうか。
いま彼が俺におかずを差し入れてくれたり、こうしてどこかへ連れて行ったりしているのは、彼の求める“サク”が戻って来て欲しいって思っているからなんだろう。
それができないとわかったら……俺と彼は、どうなってしまうんだろうか?
ただの幼馴染、お隣さん同士になるんだろうか? 良く知っている他人、っていうだけの関係に。
彼は、馬越は、“サク”を探しているし、戻ってくるのを待っている。再会を待ち望んでいる。きっとそうだ。
だけど――いまの俺は、それにこたえられるんだろうか?
「サク? どうした?」
「あ、いや……」
「ビール飲みたかったら呑んでいいぞ。俺が運転してやるから」
「……ああ、うん」
こんな後ろめたい感情、酒でも飲んで、忘れてしまったらいいんだろうか。彼の期待や好意を踏みにじるような態度を取り続けていていいわけがないのだから。
時折、馬越は串焼きやコロッケを頬張る俺の顔を、泣きそうな笑顔で見つめていることがある。まるで逢えないと思っていた誰かにまた巡り会えて嬉しいけれど、別れを思うと切なくて仕方ない、みたいな感じで。そしてほんのわずかに、指先を俺の方に伸ばしかけて、思いとどまって苦笑する。
誤魔化すように自分の髪をかき上げたり、シャツの胸ポケットのタバコをいじったりするけれど、彼が本当は俺に触れたがっているのはなんとなく感じる。
そういう時、ああ、俺は彼の恋人だったことがあるんだなと思う。その指に触れられていたことがあったんだな、と。
でも今はその感触や触れられた時の感情を思い出せない。そうされていた自分の姿すら想像もできない。
(――俺、本当に彼とそういうこと、してたのかな……)
そんな想いが過ぎると、なんだか胸の中が騒めく。いまテーブルを挟んで向かい合っている彼と俺が、そう遠くない昔に、睦み合っていた過去があっただなんて。
不思議と、そういう想像を抱くのに嫌悪感がないから、俺もたぶんいまも所謂ゲイになるんだろうか。
でも、だからって彼との関係を確信する気にはなれないんだよな……そうするには、あまりに彼が親切すぎて、距離感が近いから。
「あ、サクが好きな地場牛肉のふりかけだってよ。弁当用に買って行こうか」
「や、いいよ。大丈夫」
「そうか? 土産に買って行……」
「いいってば!」
馬越の好意のことを考えていたところに、重ねるように声をかけてくるもんだから、苛立ってしまったんだろうか。思わず俺は、馬越の言葉を断ち切るように語気強めに言い返していた。
馬越は驚いたような顔をしていて固まっていて、俺は気まずさに顔を伏せるしかなかった。
「……そっか、じゃあ、いいか」
馬越はすぐにまたあの泣きそうな顔で微笑んで、手にしていたふりかけを棚に戻してまた歩き出す。
俺は何か言いたかったけれど言葉が出て来なくて、迷子みたいに佇んでいるしかなかった。
幼馴染で恋人だという彼は、俺のことを見通すように知っていて、それを包み込むようにやさしくしてくれる。でもその好意を無条件に受け取っていいのかわからない。
だって俺は、あの事故以来一度も彼の名を呼んでいないから。
馬越が時々口にするから、なんて彼を呼んでいたのかを知らないわけじゃない。
だけど、彼をそう呼ぶには、あまりに俺は自分を信じられない。彼の好意を甘んじて受けられるほどに愛される存在にも思えないし、何より……俺の中で彼への好意があるかわからないからだ。
「サクー、どうした?」
数歩前で馬越がこちらを振り向いている。もう顔は、あの泣きそうな顔をしていない。
もしかしたら俺は、彼の恋人には戻れないかもしれないのに、どんな顔をしてこの先彼と関わっていったらいいんだろう……
恋人のような関係には戻れないかもしれないのに、こうして思い出をなぞるようなことを彼としていく。それってすごく残酷なことじゃないだろうか。
おかずを受け取ることもそれと同じで、最近はそれらに含まれる気持ちの重さに胸やけがしてしまう。
それなのに、なんで俺、彼といるんだろう。彼といたはずの俺はどこに行ってしまったんだろう。
誰も知らない謎の答えばかりを考えながら、俺は馬越と並んで歩いて行った。
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