第1話(プロローグ)

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第1話(プロローグ)

 第三区画、貨物室の気密が破れた警告音で始まった。  兄妹と共同の自室で異変を知らせるブザーを聞き赤いランプが灯るのを見て艦橋(ブリッジ)に駆け込むと、丁度定時点検で全員が集まっていた。両親と兄妹の他、大人が四、五人だ。  大人の中には親戚の叔父や叔母もいたと思うが、よく覚えていない。 「第三、シャットアウトしました」 「この辺りにデブリの報告はなかった筈だわ」  これは母の声で至極落ち着いていた。母だけでなく誰もうろたえてはいない。居住区画には何ら影響がなく、生命維持に問題がないためである。  そもそもこの程度で慌てていては、宇宙暮らしなどできない。 「ワープもう二回ってとこだったのになあ、タイタンまで。また彼女にフラれるよ」 「そんなことより、荷物がおしゃかになってなけりゃいいけどな」 (そうだ、精密機械と異星の花の種を沢山積んであったんだ……)  思い出すと同時に、冷たい不安の手にじわりと胃の辺りを掴まれた気がした。だがこのとき幼い自分は何も知らず、兄や妹と遊び始めてしまう。 「修理の時にチェックするしかないだろ。それともお前、船外服着て見てくるか?」 「ああ、面倒臭いが行ってくるよ。今度の儲けで婚約指輪買ってやる約束だからさ」 「フラれるんじゃなかったのか?」 「いや、誰もが振り返るようなでかいラクリモライトを買ってやるんだ」  ラクリモライトとは長年のダイアモンドの地位を奪った石だ。虹色の輝きは汎銀河中の女性の視線を奪って離さない。そこで誰かが揶揄する。 「光りモノで女の心を買おうって時点でアウトだよな」  皆がウケて笑い、笑われた本人はムッとしたふりで船外服を手に取った。  そんな大人たちのやり取りを耳にしながら、自分はテラ標準歴で八歳の兄と三歳の妹を相手に床にじかに座り込んで今回の荷を積んだ星で買って貰った、つつくと甲高い声を上げて笑う花を囲んではしゃいでいた。しかし突然兄が立ち上がる。 「僕も行く」  そう宣言し船外服を着る男に続いて子供用の船外服を慣れた動作で着込み始めた。これはいつものことで大人たちは止めない。それに自分たちは宇宙で暮らす民だ、八歳ともなれば何事もない宇宙空間での操艦くらいはマスターしているほどだった。  ビィーッと再び警告音。操艦パネルに赤いランプが増える。第二区画、私物倉庫や医療室にスポーツルームなどがある場所だ。そこの気密までもが破られたのである。  居住区画の気密洩れに大人たちは眉をひそめ父も船外服を手に取り着込み出した。 「デブリはひとつじゃなかったのかしら?」 「いい、見てくるから落ち着け」 (父さん、兄さん、行くな! 頼む、行くんじゃない、行ったら『あれ』が……) 「無理しないで。こっちは最近隣星系の宙港管制とダイレクトワープ通信するから」  船外服組は一旦外したリモータを服の上に嵌め直す。父が手を挙げ母に応えた。 「分かってる。じゃあ」 (『じゃあ』って、それだけか? 本当にそれだけなのか!?)  幼い自分を俯瞰しながら胃の底が焼け爛れるような焦燥感に苛まれる。このあと起こる惨事を自分は知っているのだ。なのに止める手立ては一切なかった。  見たくない、聴きたくなかった。汗をかいた掌を掻き破らんばかりに握り締めるも目前の光景は無情にも連続してゆく。残った大人の平静な表情さえ悔しくも腹立たしかった。  だがそれもやがては今の自分の感情が伝染したように、徐々に焦りの色を帯び始める。 「どう? 被害状況知らせ」  ザザ、バリバリといった空電音のみがブリッジを支配していた。 「状況知らせ。……ねえ、いったいどうなってるの? そっちは」 「おい、どうしたってんだよ?」 「通信機能は……活きてる、おかしいな」  船外服で出て行った三人からは何の応答もない。残った皆は顔を見合わせる。苛立った大人たちは船内通信だけでなくリモータ発振して返答を待った。  しかし返事どころか空電音までがふいに消えた。  口々に大人たちは通信機に呼び掛けたのち暫くして黙り込んだ。耳が痛いような静けさが数秒間ブリッジを押し包む。 (だめだ、『あれ』が芽吹いたんだ、返事なんかある訳がない……)  戸惑う大人たちは顔を見合わせたのち、第二・三区画の気密インジケータが完全にゼロを指したのを目にして、それぞれ船外服を着込み出した。  勿論こんなことは初めてだった。皆が口を引き結んでいつにない緊張感をまとっている。定期チェック以外では誰も撃ったことのないパルスレーザーガンも手にした。 「――来なさい」  只事でないのに気付いていた自分はしゃがんだ母に呼ばれ駆け寄る。母が手を伸ばした。頬を包んだのは滑らかな指ではなく、ごわごわの船外服の感触だった。 「貴方は船外服を着て。シヅにも着せるのよ。この艦は一番近い星系に向かうようセットしてあるわ。けれど何があるか分からない。その時の操艦を貴方に任せるわ」  ここまで真剣な母を見たことがなかった。バイザーを通した黒い瞳を見つめ返し、幼いなりにも事態を察知する。頷くと母に抱き締められたがやはりいつもの柔らかく温かな胸の優しさは何処にもなく包んだのはごわごわの感触だった。 「宙賊でも忍び込んだのかも知れない。もしもの時には……分かっているわね?」  定期的に行う非常訓練で救命ポッドへの移乗とSOS信号の発信のやり方は完全に頭と体に入っていた。ポッドは艦に幾つか設置してあるがそのうち定員六名のポッドがこの操艦室には二隻付属している。……だが。 (行くな! 行くと食われる、母さんまで、あの大きくて綺麗で残虐な花に……)  まだこの時の自分はあの植物の恐ろしさを知らなかった。幼い心に大きな不安を抱えながらも皆を留める術を何ひとつ持たず、ただ見送ることしかできなかったのだ。 「志都(しづ)、おいで」  もっと幼い妹は周囲の変化に目もやらず笑う花に夢中になって遊んでいた。その小さな手を握って立たせ自分より先に船外服を着せかける。  ものの数十秒と経たず大人たちを喰らい尽くした異星の植物の蔓がブリッジにまで侵入し、着せかけたその服を締め上げて血に塗れさせるとも知らずに。  美しく巨大で見応えがあり、花粉からは高級香料が、種からは多種の貴重な医薬成分が採れるその植物は仕入れ元の業者でさえも知らない裏の顔を持っていたのだ。  一定期間以上、種の状態で保存しすぎるとごく一部は自ら芽吹いて手当たり次第に動くものを探し始める。そして獲物を見つけると音もなくスチルワイアより丈夫な蔓で巻き取り、奇形となって咲いた数千の牙をもつ花弁が『食事』するのだった。  爆発的にブリッジのドアが破られた時、自分は片手で身長に近いほど大きなパルスレーザーガン、片手で志都の手を取ってまともにその花と対峙していた。 「シヅ、だめだ、来いっ!」  船外服も着ずに片手で大きなパルスレーザーガンを連射した。だが花はうねる蔓に押されるように飛び込んできて、明らかに自分と妹を獲物だと認識し、こちらに向かって幾千もの牙の生えた口を開けた。その牙は既に血塗れだった。  もう艦に誰もいなくなってしまったと悟った。妹を護れるのは自分だけだ。意味をなさなかったパルスレーザーガンは放り出し、ポッドの方へと妹の腕を強く引いた。  力いっぱい引いた、つもりだった。  だが手が汗で滑った。初めから笑う花に気を取られて抵抗していた幼い妹は自由を得ると、母に買って貰ったばかりのそれに向かって一歩、二歩と前に出た――。  咄嗟に妹の手を握り直した。何の抵抗もなくなったそれを左手に抱き込んで花が食事するのを見ていた。誰もいないなら、もういいのかも知れないとすら思った。  それでもたったひとつ残された取り得るべき行動を、生存本能がとらせた。  救命ポッドの非常ボタンを渾身の力でカバーごと叩き割って押し、転がり込むと同時にレバーを引く。シャッターが閉まる。ただちにポッドはカタパルト発進した。  そしてテラ連邦宙軍の巡察艦にポッドが収容されるまでの長い長い間。  妹の左腕、血に塗れたその一本を胸に抱き締めながら、奇形肉食植物が妹を喰っているうちに何とか逃げ延びることができた、たった独りの生き残りはいつの間にか牙に削られた左手首の怪我を手当てもせず、涙すら流すこともせず、ずっと宙を見つめ続けた。  優しく美しかった母の最期の言葉を、どれひとつとして守れなかった我が身を悔しさと淋しさに震わせながら。  あの淋しさと心の痛さでも泣けなかった自分は、いつから泣いていないのか覚えがなかった。  今、傍にいる親友でバディでパートナーの胸を借りるまでは。
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