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第10話
「いや、参ったね。本当に手術の途中で麻酔が切れるとは」
「ワザとじゃねぇのかよ?」
「滅相もない。あんたの特異体質には呆れたよ」
「ねえ、本当に大丈夫? 痛むんじゃないの?」
「や、平気だ。それより二十時過ぎてる、タマが大暴れしてるかも知れん」
そんなことを言いながらも単身者用官舎ビルの五十一階に止まったエレベーターから降りると、ハイファがシドに貸した肩には僅かに重みが掛かった。
ハイファとマルチェロ医師はシドに合わせてゆっくりと廊下を歩く。突き当たりまで歩くと右のドアがシド、左がハイファ、シドのひとつ手前がマルチェロ医師の自室である。
「じゃあ先生、明日の朝からまたタマを頼んでいいか?」
「つれてこい。そろそろ土鍋も片づける時期、豪華に尾頭つきでシメたいんでな」
「逆にあの野生にサシミにされるぜ。……今日は手間かけさせた、礼を言う」
「たまにはああいう野戦病院で手下を鍛えるのもいいさね。何かあったら呼びに来い、ハイファス」
「そうするね。先生、おやすみなさい」
「おやすみ、先生」
「おう――」
片手を挙げた白衣姿が消えるのを待ってシドは自室のロックをリモータで解いた。
着替えやバスルームでリフレッシャを浴びる時以外の殆どの時間をハイファもシドの部屋で過ごす。今日も自室には寄らずに直帰し、ハイファもシドと一緒に靴を脱いで上がった。すると早速タマが何処からか現れて、二人に向かって「シャーッ!」と威嚇した。
二台もある自動エサやり機の帰りが遅くてご立腹らしい。
溜息をつきながらハイファは手を洗い何はともあれ猫缶を取り出した。途端にタマの態度は一変し、ハイファの足に毛皮を擦りつけ始めた。
「シド、貴方は座ってて」
「大丈夫だって」
「もう、そんなことは僕がやるのに」
人の心配をよそにシドはタマのスープ皿の水替えだ。
野生のケダモノを落ち着かせるとハイファはジャケットを脱ぎ執銃を解いた。シドにはハイファが手を貸して上着を脱がせ、二丁の銃を寝室のライティングチェストに置きに行く。
切り裂かれたシドのシャツはダストシュート行き、愛し人に代わりのシャツを甲斐甲斐しく着せ終えるとハイファは愛用の黒いエプロンを身に着けた。
「さあて、遅くなっちゃったね。すぐご飯作るから座ってて」
いそいそと主夫は冷蔵庫の中身と相談を始める。買い物に行かなかったのと、明日から出掛けるので食材を使い切らねばならない。
一方で椅子に前後逆に腰掛けたシドは咎める目を無視して数時間ぶりの一服だ。
ほどなくいい香りが漂い始め、食事の準備が整った。
肉野菜炒めや和え物に具だくさんのミソスープなどはあっという間に二人の胃に収まり、コーヒーを一杯ずつ飲むとハイファは一時帰宅して着替えを持ってきた。
「リフレッシャ、一緒に浴びようよ。洗ってあげるから」
「ンなもん、独りで浴びられる」
「いいから、遠慮しないで」
「遠慮じゃねぇんだが……」
急き立てられて煙草を消しバスルームの前でシドは服を身ぐるみ剥がされる。脱いだものはダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込んでスイッチを入れた。バスルームで人間様も丸洗い、リフレッシャをオンにして二人は温かな洗浄液を浴びる。
「ほら、髪洗うから」
「ん――」
ここまでこれば諦めるしかなく、シドは大人しく頭を下げた。ハイファは柔らかな黒髪に指を通して丁寧に洗い、シドの躰にも優しく手を這わせて泡立ててゆく。
合成蛋白接着剤で固められた胸の三ヶ所の手術痕だけは避け、全身をくまなく撫でられてシドはじわりと疼きが湧くのを感じ目を瞑った。下半身にもハイファの手は容赦なく伸び、吐息を荒くしてしまうのを止められない。
「くっ……ハイファ」
「シド、あっ……だめ!」
我慢できず、弾かれたようにシドはハイファを抱き竦めていた。しなやかな背と細い腰に腕を回して引き寄せると、洗浄液でぬめる白い裸身に自らの躰を擦りつける。
もう痛いくらいにシドは自らの中心を勃ち上がらせていた。細い躰をこの場でねじ伏せ、思い切り突き立ててしまいたい欲求で思考が白くなる。
それ以外の何も考えられずに赤い唇を奪った。
弾力のある唇を捩るように貪る。歯列を舐めてこじ開け、舌を侵入させて届く限りを舐め回した。温かな舌を絡め合わせて唾液をすくい取っては飲み干す。
その間にも細い腰を撫で下ろした片手の指はハイファの背後から探っていた。
「んんっ、ン……はあっ、いや……だめっ!」
深いキスからようやく解放されたハイファは肩で息をしながらシドを優しく、だがきっぱりと押し退ける。目を逸らすことなく真っ直ぐにシドを見て言った。
「だめだよ、シド。今日はだめ」
「何でだめなんだよ、お前だってこんなに……」
「だめなものはだめです。DIY、じゃなくて手術したばっかりで何言ってるのサ」
「大丈夫だって。約束したじゃねぇか、今晩って」
「あのときはこんなことになるなんて思わなかったでしょ。僕だって我慢するんだし、とにかく今日はさせませんからね!」
断固とした物言いにシドは諦めの溜息をつく。そのまましゃがみこんで呟いた。
「チクショウ、生殺しだぜ――」
あまりにその様子が侘びしく、ハイファは笑い出しながらシドの前にしゃがんで、両手でシドの頬を包む。その滑らかな指の感触にシドはビクリとハイファを見た。
「えっ、何、どうしたの?」
「いや……何でもねぇよ」
「そう? いい子だから言うことを聞いて。ね?」
「いい子、か。分かったからお前も洗えよ」
熱い湯で洗浄液を洗い流し、バスルームをドライモードにして、全身を乾かして上がる。寝室で身に着けたのはシドがグレイッシュホワイトでハイファが紺色の、色違いでお揃いのパジャマだ。その姿でベッドに座ったシドはまた溜息をついている。
「そんなにガッカリしなくても……って、もしかして痛むの?」
「……別に」
「先生に超強力鎮痛剤を貰ってるから、痛いなら正直に」
「少し、痛むかも知れん」
「待ってて、水持ってくるから」
シドが『少し』と言えば相当痛んでいる筈で、ハイファは表面的には明るく対応しながらも、内心かなり心配しつつ急いでグラスに水を汲んできた。
貰っていた赤いシートの錠剤をふたつ掌に出し、シドに手渡す。
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