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第18話
「ふん、口ほどにもねぇな」
「ワンラウンド、十二秒でKO勝ち……シド、もうだめだよ」
「一人くらい担当したらどうなんだ?」
「僕は肉体派じゃありませんから。ったく、もう、貴方はそこに転がってる人たちより重傷の怪我人なんだからね! 何処か痛むんじゃないの? 見せてよ、ほら!」
「こんな所で、こら、やめろって!」
上衣を引き剥がされかけてシドは慌てて後退した。その横をチンピラに絡まれていた女が通り過ぎる。そしていきなり女はハイファに抱きついたのだった。
「怖かったわあ~っ! 助けてくれてありがとう!」
「えっ……あのう、助けたのはシドで――」
「貴方は何てお名前なのかしら?」
「あっ……ハイファス、です」
「ハイファス、そう。素敵なお名前ね。あたしはユーフェミア。ユーフェって呼んで下さる?」
「え、あ……ユーフェ?」
「呼んでくれるのね、嬉しい! 貴方は命の恩人よ!」
「だからユーフェ、助けたのは僕じゃなくてシドで――」
醒めた気分でそのやり取りをシドは眺めていた。
ユーフェミアが何者か知らないが、ハッキリしているのはこの女がハイファに一目惚れしたということだ。良くあるパターンではあったが速攻で実力行使に出る行動力と図々しさが伴っている。おまけにかなりのナイスバディで美人だ。これは手強い。
「シド、ねえ、シド!」
「情けねぇ声を出すなよ。何だ?」
困り切った顔でハイファはシドに目で助けを求めていた。ユーフェを首にぶら下げた状態で、その白い頬にはピンクのルージュがくっついている。指で示してやると、ソフトスーツのポケットからハンカチを出してごしごしと拭いた。
「ねえ、ユーフェが一緒に『玄天の街ツアー』をしようって言うんだけど」
「一緒にツアーを組みたいのは、お前とだけじゃねぇのか?」
「八つ当たりしないでよ」
「八つ当たりじゃねぇよ」
「じゃあ、やさぐれないで何とかしてよ」
「別室が誇る世紀のタラシにあしらえないモノを、俺にどうしろって?」
「わあ、酷い。貴方一筋の僕にそれを言うかなあ……ちょ、そこ、触んないで」
本気で困り果てているらしいハイファが少し可哀相になり、シドはユーフェの肩に手を置いて軽く引いた。途端にユーフェは飛び退き、つんと顔を背ける。
「あたし、暴力を振るう人は大嫌いなの」
気の強さも天下一品、シドはうんざりしつつ溜息混じりにユーフェに言った。
「気が合うな、俺も暴力は嫌いだ。人の迷惑を考えねぇ暴力的な行動もな」
「あら、あたしのことかしら、それ?」
「分かってるなら相棒を困らせるのは止めてくれ。ハイファ、行くぞ」
言い捨てて踵を返し出口に向かう。ハイファはあとを追おうとして担いだショルダーバッグのストラップをユーフェに掴まれ、結局引きずるようにして外に出てきた。
「離して……シド、待って!」
人波に紛れる前に立ち止まってハイファを待っていたシドは、ユーフェのスーツのミニスカートからにょっきり伸びたハイヒールの脚を遠慮なく見つめる。
「あんたはさっさと帰るんだな。ンな格好でウロウロしてるとまた狙われるぜ」
「女の独り旅が罪だとでも言うのかしら?」
「ンなこた言ってねぇが、現実を見ろって言ってるんだ」
「ええ、そうね。そうやって人の脚をいやらしく見る男が溢れてるものね」
「タダで見せたくねぇなら、さっさと帰れよな」
「知ってるかしら、じつは料金メーターがついてるのよ。もう一万クレジットだわ」
「マジかよ?」
「嘘に決まってるでしょ」
バカにしたヘイゼルの瞳に思い切り腹が立ち、シドはハイファに近寄ると細い腰に腕を回して抱き寄せ、親密さをアピールしながらユーフェを無視して歩き出した。
人混みに紛れればこっちのものだと思い早足でずんずん歩く。
「シド、重いよう……」
振り向くとそこにはまだユーフェがいた。ハンドバッグを片手に、もう片手ではまたもハイファのショルダーバッグのストラップに掴まっている。憤然としてシドはストラップからユーフェの指を一本一本引き剥がした。
「あんたはいったい何なんだよ?」
「あたしはしがない下請け医薬品会社の研究員よ、文句ある?」
「医薬品会社……あんたの職場は第三惑星ジョカなのか?」
「そうよ、悪い?」
「いちいちとんがるのは止めてくれ」
そう言いながらシドはハイファと顔を見合わせていた。ここで薬品会社の研究員という女を温存したとして、この先このカードを切る機会があるだろうか。
やや仕事モードを取り戻したハイファが柔らかな口調で訊いた。
「ねえ、ユーフェ。貴女は休暇中か何かなの?」
「ええ。休暇も明日でお終い、何もかも無駄だった、そう思ってたの。でもそうじゃなかった。ハイファス、あたしは貴方に出会うためにここにきたのよ!」
ユーフェは一人でうっとりと盛り上がる。
瞳に星をキラキラさせている大人の女を眺め、シドは呆れてハイファを促した。
「こいつはとんでもねぇワイルドカードだ、やめとこうぜ」
「そうだね、気長にカジノ巡りしようよ」
どう考えても思い通りには動きそうにないユーフェをハイファも見限ったようだ。
「行こ。向こうの通りはもっと明るいみたいだよ」
二人はすたすた歩き、人波を縫ってゲンテの中心に向かう。後ろからド根性で男の足取りにユーフェがついてきているのは承知していたが付き合う義理もないので歩調は緩めない。
「もう少し奥まで行ってみようぜ」
通りを三本越えると辺りは人だらけながら少々趣が違ってきた。そぞろ歩く普段着の人々の中に煌びやかに着飾った男女が目につき始めたのだ。
明らかにオーダーメイドと分かるスーツやカクテルドレスに身を包んだ彼らは、これも目につき始めたカジノの大型店舗へと吸い込まれてゆく。
それらの店はこれまで見たゲーセンのような派手な電子看板や呼び込み、五月蠅いBGMなどで客を誘ったりはしていない。あくまで上品なイメージで売っているらしく、シンプルな看板ひとつきりというのが多かった。
「却って静かだよね」
「そろそろ何処かに潜り込んでみるか。あそこなんかどうだ?」
「何処? わあ、あそこも結構大きそうだね」
シドが指したのは『Moon Egg』という店で、ここも小さな電子看板がひとつ掲げられているだけだった。選んだ理由は大きな曇りガラス風のオートドアに黒と金で猫と猫の足跡のシルエットがペイントされていたからという、それだけである。
オートドアの二歩手前まで近づき改めて二人は建物を見上げた。
「新しいし、結構デカいビルだな」
「七階建ての一階から三階までが全部カジノなんだね」
「上階は何かの事務所か」
「ちょっと『いちげんさん』としては入りづらいかも」
二人を不思議そうに見ながらタキシードの男がオレンジ色のドレスの女性をエスコートしオートドアの中に消えてゆく。チラリと窺えた内部はかなり豪華だった。
「構うもんか、こっちは客だ。行こうぜ」
「って、シド、ちょっと待って」
腕を引いて留めたハイファは振り向いた。そこにはユーフェが立っていた。絵に描いたような膨れっ面である。それはそうだろう、一時間近くも無視されたまま歩いたのだ。
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