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第2話
「この忙しいのに何を考えているんだね、シド。そのツアー客は何だ?」
「あとです、あと。俺は課長より忙しいんですから、あとにして下さい」
青い目に哀しげな色を湛えたヴィンティス課長の言葉を一蹴し、シドは相棒のハイファと共に数珠繋ぎにした男ばかり四名を引き連れ、地下留置場への階段を降りた。
今朝は本当に時間がない。取り調べもあとだ。
ワイア格子の挟まったポリカーボネートの壁で仕切られた房に、捕縛用樹脂製結束バンドを切った男たちを振り分けて留置し刑事部屋に戻る。そのままロッカールームに向かい、私服から惑星警察の制服に着替えた。
白のワイシャツを着た上からホルスタ付きショルダーバンドを装着しつつ、ハイファがはしゃぐ。
「制服って久しぶりだよね。シド、黒い上下がしっとり似合ってカッコいい~っ!」
「ふん、制服フェチが。面倒臭いわ肩凝るわ、勘弁してくれっつーの」
「若宮志度巡査部長、タイが曲がってるよ」
「おっと、すまん、ハイファス=ファサルート巡査長」
すました顔で返す愛し人のブルーグレイのタイを直してやりながら、ハイファはシドの制服姿に頬が緩むのを止められない。本当に制服フェチの気があるのだ。
だがいつも二人は私服勤務、シドの制服姿は滅多に拝めない。この際、目に焼き付けておこう、リモータアプリで3Dポラに撮っちゃおうかなあ、などとハイファは思ったりする。
三千年前の大陸大改造計画以前に存在した旧東洋の島国出身者の末裔であるシドは前髪が長めの艶やかな髪も黒ければ切れ長の目も黒く、滑らかな象牙色の肌と相まって、黒い制服はとても似合った。
自意識に欠けた本人は自覚もないらしいが、極めて端正な顔立ちは大概ポーカーフェイス、これがまたストイックにそそるのだ。
そして何より嬉しいことに、その左薬指にはハイファとお揃いのリングが光っている。二人が今のような仲になってから一年半が経つというのに、元々完全ストレート性癖だったシドは意地っ張りの照れ屋で、署内では未だにハイファとの仲を公に認めようとはしない。
そんなシドがペアリングを嵌めてくれていることが奇跡的なのだ。
「ハイファ、何ボーッとしてんだ。さっさと着替えろよ」
気付けばシドは既にベルトの右腰にヒップホルスタを装着し上着を羽織っていた。
「あ、ちょっと待って」
言われなくともシドは待つつもりである。ハイファをロッカールームで独りにするなどということはしない。同僚は信用しているものの、つまりは独占欲が自然と取らせる行動だった。
慌ててハイファはロッカーの鏡でタイを調節する。その様子をシドはじっと鑑賞した。抱き締めれば折れそうなくらい躰は細く薄い。明るい金髪はシャギーを入れ後ろ髪だけを長く伸ばし、うなじで縛ってしっぽにしている。しっぽの先は背の半ばまで届いていた。
瞳は柔らかな若草色で顔立ちはノーブル、男ではあるが誰が見ても文句なく美人だ。だが……と、シドは密かに溜息をつく。
こんな女性と見紛うような、なよやかなまでの外見に反して、ハイファは現役軍人でもあるのだ。約一年半前から惑星警察に出向中の身なのである。
地球連邦軍での所属部署は中央情報局第二部別室だった。
中央情報局第二部別室、その存在を知る者は単に別室と呼ぶ。
一般人には殆ど名称すら知られていない別室は、あまたのテラ系星系を統括するテラ連邦議会を陰で支える存在だ。その実態は『巨大テラ連邦の利のために』を合い言葉に目的を達するためなら喩え非合法な手段でもためらいなく執るスパイの実働部隊である。
そこでは汎銀河を股に掛け、日々諜報と謀略の情報戦に明け暮れているのだ。
そんなところでハイファが何をしていたかと云えばやはりスパイだった。ノンバイナリー寄りのメンタルとバイである身とミテクレとを最大限に利用し、敵をタラしては情報を分捕るという、なかなかにきわどくエグい手法で任務をこなす、本人曰く別室のアイドル、もとい、若きホープだった。
なのに親友だったシドが七年間ものハイファ側の一方的なアタックにとうとう陥落し、一年半前にやっと片想いを実らせた、途端にそれまでのような躰を張った任務をこなすことができなくなってしまったのだ。
想いの強さからかシドと結ばれたそのときからシド以外の人間に感じない、平たく云えばシド以外の誰ともコトに及べなくなってしまったのだという。
他人を受けつけない躰で任務に失敗すること三回、あわや別室をクビになる寸前で別室戦術コンの託宣が救った。
曰く『昨今の事件傾向による恒常的警察力の必要性』なるもので、体よくハイファは惑星警察に出向という名目の左遷となりハイファ自身には嬉しいシドとの二十四時間バディシステムが誕生したのであった。
ハイファが現役テラ連邦軍人で別室員だという事実は軍機、軍事機密であり、職場で知るのはバディのシドとヴィンティス課長だけだ。
しかし……と、シドは更に溜息をつく、何が軍機だと。
左遷しておいて別室は未だに任務を振ってくるのだ。それは一年半ほど前から何故かシドにまで名指しで降ってくるようになってきて、そのたびに惑星警察を『出張』だ『研修』だと誤魔化して出掛けねばならない。
シドとハイファにばかり特別勤務が降ってくるのだ、同僚たちはとっくに二人には何かあると勘付いている。
大体、俺は別室にも別室長のユアン=ガードナーの野郎にも、何の義理も借りもねぇのに、何だって毎回駆り出されては死ぬような目に遭わされ――。
「シド、お待たせ。どうしたの、目が死んでるよ」
「死んでねぇよ、ピッチピチだぜ。行くぞ」
ロッカールームからデカ部屋に出る。太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課という長ったらしい正式名称のそこは黒い人々で満たされていた。
「わあ、こうして見ると壮観だね」
「人数的にもこれだけいることは滅多にねぇからな」
シドとハイファ以外は皆ヒマでいつもは他課の下請けまでしているくらいなのだ。
人を縫ってシドは自分のデスクに着席し、煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。ハイファがデカ部屋名物・泥水コーヒーの紙コップをふたつ持ってきた。
「おっ、サンキュ」
デスクにハイファが着くと二人は揃って先日来溜まっている書類を少しでも減らすべくペンを取った。容易な改竄や機密漏洩の防止などを勘案した結果のローテク、今どき何と書類は手書きが原則なのだ。
筆跡は内容とともに捜査戦術コンが査定し、デジタル化され法務局の中枢コンにファイリングされる仕組みである。
故にヒマな奴に押し付けることもできない。
「ハイファ、お前何枚だ?」
「さっき増えたのを別にすれば、三枚と始末書二枚かな」
「くそう、スパイの書類は心がこもってねぇから早いな」
「八つ当たりしないでよ。それにスパイは廃業です、誰かサンのお蔭でね」
その誰かサンは咥え煙草でハイファの方を窺う。するとヴィンティス課長の哀しげなブルーアイと目が合った。もの言いたげなそれからそっと視線を外すも、課長の多機能デスクはハイファのデスクの真ん前、シドはその左隣で互いの言動は筒抜けだ。逃げられるものではない。
「シド、もう訊いてもいいだろうか?」
「何です、手短にお願いしますよ」
「で、あのツアー客は何だったのかね?」
「ひったくり二人にオートドリンカ荒らしが一人、不法入星が一人ですが」
「わたしは言わなかったかね、通勤は地べたを歩かず三十九階のスカイチューブを使えと何度も、何度も何度も!」
「あー、そうでしたっけ?」
陰鬱な顔をした課長は薬瓶からザラザラとクサい胃薬を出し、泥水で嚥下した。
「おまけに昨日は外出禁止を申し渡したにも関わらずショッピング街で強盗の狙撃逮捕とは。キミはもう少し『イヴェントストライカ』としての自覚を――」
嫌味な仇名を口にされ、シドはムッとする。
「俺が事件を起こしてる訳じゃないのは御存知でしょう」
「ああ、御存知だとも。他にも御存知なのを教えてやろう、我が七分署管内の事件発生数がキミの事件遭遇数と殆ど同じだということもな」
「だから、それは俺のせいじゃないですって」
「AD世紀から三千年、この汎銀河一の治安の良さを誇るテラ本星でありえない事件ばかり持ち帰るのはいったい誰だというのかね。大体、我が機動捜査課に外回りという仕事はないのだ。勝手に『足での捜査』などに出掛けず、たまには大人しく座って同報を待ってだな――」
同報とは事件の知らせのことだ。機捜課は殺しやタタキといった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクション、同報が入れば飛び出してゆかねばならない。故にデカ部屋は一階にある。
だがシドも負けていない。
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