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第21話
「「ユーフェミア=ナイトリーだあ!?」」
唱和したシドとハイファに、ユーフェは歌うように言った。
「しがない下請け製薬会社の研究員は本当だもん」
「っつーか、あんた、こんな所にきたら命だってヤバいだろうが!」
「あら、貴方たちが護ってくれるんじゃないの?」
「暴力を振るう奴は嫌いだとか抜かしてなかったか?」
「ときに命が懸かれば主義主張は変節するわ。まあ、座って頂戴」
「ここはテメェの家かよっ!」
しかしユーフェはさっさと座り直してビターオレンジを飲み始め、シドは余計な労力を使った疲れがどっと出た気分で、仕方なくレクターの隣に再び着地する。
何れにせよブラッドレイが本気でユーフェを手にしたいなら、三人揃って無事にここを出ることはまず叶わない。
ドン・ブラッドレイが新しく赤い液体のグラスを手にして笑った。
「見事に手玉にとられたようだな」
「放っとけ! くそう、やっぱりとんでもねぇワイルドカードだぜ」
二杯目はカミカゼにして灰皿も貰い、シドは煙草を咥えて火を点ける。
それまで黙っていたハイファが首を傾げた。
「じゃあユーフェ、もしかして『下請け製薬会社』っていうのはミカエルティアーズを作ってる会社ってことでいいのかな?」
全員の視線を受けてユーフェが不機嫌そうな顔をする。
「そうよ、親の七光りで研究員になったの。悪い?」
「麻薬製造会社だって分かってたのかよ?」
唸るようなシドの低音も相当機嫌が宜しくなかった。
「最初は知らなかったわ、本当よ。でも家を捨ててバイトをしながら大学を出て、幾つ会社を受けても就職が決まらなくて、やっと採用通知を貰えて喜んでたら結局それはナイトリーが買い取った会社だったの。知ったときには働き始めちゃってたわ」
そんなお涙頂戴物語を聞かされても、三人の男たちの誰一人として同情するような人間はいなかったが、ひたすら女の癇癪が怖くて皆、黙っていた。
「マフィアなんていや、跡なんて継ぎたくない、暴力なんか大嫌いよ!」
黙っていても勝手に癇癪を起こしたユーフェは、叫んでしまうとスッキリした顔でビターオレンジをグビグビ飲み干し、バーテンにおかわりを要求した。
バディの咎める視線に気付かぬフリで早くも三杯目のシドがユーフェに唸る。
「だからってこんな所に出張ったら、マフィアに利用されることくらい考えろよな」
「あたしのこと、バカだと思ってるでしょう?」
「思ったって言うもんか、食い付かれるだけ損だからな」
「やっぱりシドなんか嫌いよ。ハイファス、あたしのこと好きにしていいのよ」
右腕にしなだれかかったユーフェを押し戻してハイファは話を進める努力だ。
「とにかく……ドン・レクター?」
「私か……ふむ。ブラッドレイとしてはナイトリーと、ことを構える気はない」
「だったらさっさと俺たちを放り出せよ。博打で勝ったカネは返す」
「まあ、焦るなシド。勝った客に因縁を付けるほどセコいと思われるのは心外、単にあんたらがぶら下げている銃とナイトリーの娘が気になっただけだ」
可笑しそうに言うドン・ブラッドレイをシドとハイファはじっと窺う。
「だがそれと正規便に乗り遅れた研究員をウチの『定期便』で送ることとは、また別の話だ。そう思わないか?」
「……んで?」
「親切心を出したばかりに刑事が二人紛れてジョカに渡っても、責められはしまい」
「……で?」
「よそ者の刑事がいったい何を目論んでいるのか……そこまで私は関知しないがね」
「……」
シドとハイファは顔を見合わせて溜息をついた。予定よりも早く第三惑星ジョカには潜入できそうな気配だった。それがユーフェなる人質を取られ『意を汲んだ行動』を取るよう暗黙のうちに迫られていても、だ。
「どうするかね、シド、ハイファス。まさに渡りに舟ではないのか?」
「俺たちがユーフェの命を云々しないとしたら、あんたはどうする?」
「勿論、マフィア流に」
その口の端が酷薄に吊り上がり、水色の瞳が氷を嵌め込んだようにあらゆる感情を消すのを見て、これはだめだとシドは悟る。人に恐怖を与えることを生業としたマフィアそのものの貌がそこにはあった。
「ふん、確かに渡りに舟だ。潜入後は関知もしない、それでいいんだな?」
「久々に愉しませて貰える……私がそう期待するのもまた、別の次元の話だがね」
「具体的にはどうすればいい?」
「明日、ウチの宙艦がクスリの買い付けでジョカに行く。それに乗ればいい」
「なるほど。クスリ……違法麻薬か」
「ノーコメントだ。では、あとは手下が案内する」
リモータにレクターが囁くと消えていたダークスーツ六名が背後にやってきて控えた。その時点でもう興味がなくなったかのようにレクターが三人に手を一振りする。
「行っていい、研究所で食われないことを祈っている」
「食われる?」
「ものの喩えだ。よそ者がジョカから出てこないというのはよく聞く話でね」
「へえ……」
レクターとリモータIDを交換して立ち上がったシドとハイファ、ユーフェは再びダークスーツに囲まれて今度は奥の扉からカジノを出た。廊下を歩いて裏口から外に出る。そこには黒塗りのコイルが二台待っていた。
そこでシドはハイファと引き離され黒塗りの一台に乗せられた。ユーフェは当然の如くハイファから剥がれず二人で後続の一台に押し込まれる。
発進した黒塗りのルームミラーでハイファたちの乗った黒塗りがついてきているのを確認し、シドは窓外に目をやった。
人混みを押し分けるように進んだのは十分足らず、細い路地を二回曲がると、もうそこは人影もまばらな裏通りだった。
だがやけに赤やピンクのネオンが目につくここは、どうやら売春宿の多い一角らしい。露出度の高い衣装のご婦人たちが路上に佇んでいる。まもなく黒塗りは停止し接地した。
降ろされた三人は目前の建物を見上げる。五階建てのそれは一見マンションのようだが軒にはチカチカと毒々しい赤とピンクの電飾が施されていて、ここも売春宿だと知れた。
促されて中に入ると右側にビアホール、左側にはソファの並んだロビーがあった。どちらにも客とご婦人たちがいて嬌声が響いている。ここもブラッドレイが仕切る売春宿らしい。
「うーん、素敵環境だなあ」
「こっちだ、こい」
案内されたのはエレベーターで上がった五階の部屋だった。二部屋を前にしてユーフェが悶着を起こしたが男二人はキィロックコードだけ貰うと、あとは知らん顔でマフィアの手下たちに厄介事を押し付け、一部屋に入ってロックをする。
「わあ、ここも素敵環境かも」
「ラブホだとでも思えばいいさ」
そこはドデカいベッドが部屋の八割を占めた、いかにもなしつらえの空間だった。
「宿を探す手間が省けたと。あ、バスルームがすっごく広いよ」
「だろうな」
シドは煙草に火を点けてベッドに腰掛ける。リモータを見ればとっくに二時をすぎていたがテラ標準時では夕方なので大して眠たくもない。
だからといって眠らなければワープラグは確実だ。そうでなくとも好きでもない博打を続けたからか、妙に気怠いのだ。
とっととリフレッシャを浴びて……などと思っていると、ドンドンとドアが叩かれた。
オートではないドアの音声素子がノックとは言い難い音を伝え、ハイファは顔をしかめてシドを伺う。予想された展開だ、シドは頷いた。
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