0人が本棚に入れています
本棚に追加
第22話
リモータでロックを解きドアを開けたハイファは、ユーフェを首にぶら下げて戻った。ひとつきりの二人掛けソファにユーフェを振り落とそうとして叶わず、一緒に落下する。
「ちょ、ユーフェ、やめ、離してってば!」
「話があるの、聞いてくれるわよね?」
「聞くから、そこは触んないで!」
ひとしきり騒いだのちハイファは何とか魔の手を逃れ、衣服の乱れを直しつつシドの隣に着地した。ユーフェはシドを睨んだが八つ当たりをされてもポーカーフェイスは何処吹く風である。ヘイゼルの瞳を見返して口火を切った。
「で、話ってのは何なんだよ?」
「せっかちな男は嫌われるわよ」
「これでも世界一好きだっつー人間が一人いるから充分だ」
「まあっ!」
憤然とユーフェは立ち上がり、備え付けの冷蔵庫から勝手に保冷ボトルのビールを出して栓を開けた。グビグビと飲んでロウテーブルに叩き付けるように置くと、細巻きを咥える。華奢なライターで火を点け、紫煙を吐くと今度は二人を睨めつけた。
「ミカエルティアーズを潰そうなんて思わないことね」
「潰したらあんたの仕事がなくなるからな」
「違うわよ、殺されるって忠告してあげてるの! ただでさえ天符の研究所は警備が厳しいのよ」
「八仙と天符って大陸があるんだっけか?」
「そう。ナイトリーが持つゼナス製薬があるのは天符Ⅵ研究エリア。天符Ⅵはこのシンノー星系でも最大手のアルフレート新薬工業の持ち物よ」
「ゼナス製薬はアルフレート新薬の下請けなのか?」
「ええ。あそこの警備は容赦なく人を撃つわ。薬のデータは星系政府の財産とも云える。それを護るために星系政府から許可を得てるんだもの。疑わしい行動を取っただけで撃たれても文句は言えないのよ」
「物騒だな。だからって外来者の一切を受け入れない訳じゃねぇだろ?」
「それは……薬の材料を納入する業者や、バイヤーだって出入りするけれど」
新たに煙草に火を点け、シドはカシャンとオイルライターのフタを閉める。
「じゃあそいつだな。俺たちは新規契約に臨むバイヤーだ」
「……本気なの?」
「新規のバイヤーには多少の見学くらいはさせてくれるんじゃねぇのか?」
「そんなサーヴィスは聞いたことないわ」
そこでシドにつつかれたハイファが口を開く。
「ねえ、ナイトリーの娘の貴女が一緒なら、ゼナス製薬は多少の便宜を図ってくれるんじゃないのかな?」
「あたしに『マフィアの娘』を振り翳せって言うの?」
「ジョカに行ったら、もう僕らとはそれっきり?」
「そんな、ずるいわ」
「なら俺、今晩は向こうの部屋に――」
「わーっ、だめっ! シドはここにいて!」
立ち上がりかけたシドとその服を掴んだハイファをユーフェは哀しげに見つめた。
「……部屋に帰るわ」
急にしおらしくなったユーフェは煙草を消し、残ったビールを飲み干してドアに向かう。酔ったのか足取りが覚束ないのを見取りハイファが送って行った。
一人になったシドは服を脱ぎリフレッシャを浴びた。全身を乾かして出てみると、足許の脱衣かごに下着と備え付けの薄いガウンが入っている。
部屋に戻るとハイファがしかめっ面で保冷ボトルのコーヒーを飲んでいた。
「お姫様の具合はどうだって?」
「あれだけ元気なら心配ないよ。僕もリフレッシャ浴びてくる」
二人分の銃をベッドのヘッドボードの棚に並べ、シドは煙草を吸いながらハイファの飲み残しのコーヒーを手に取る。飲もうとしてルージュに気付き、指で擦ってから口をつけた。だからといって何ほどとも思っていない。
煙草を消してベッドに寝転がっていると気怠さが一気に押し寄せてくる。遠くで女の嬌声を聞いた。甲高い笑い声に不安の予兆を感じながらも躰は動かない。
赤いネオンが瞼の裏で踊るのを打ち消せないまま、シドはまたもあのときの夢に引きずり込まれてゆく――。
◇◇◇◇
汗びっしょりで目覚めてみると、志都の腕だと思っていたのはハイファの右腕だった。ハイファは腕を取られたまま心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「シド、貴方また少し熱が出てるよ。うなされてたし」
腕を離してリモータを見ると四時過ぎだ。起きるにはまだ早すぎる。
「そうか。起こして悪かったな」
「ううん、それはいいけど。着替える? 冷やそうか?」
「いい、ここにいてくれ」
「うん。ごめんね。体調が悪いのに無理してるから夢ばっかり視ちゃうんだよね」
汗ばんだシドの額にハイファはそっと口づけた。滑らかな頬を伝い、乾いた唇を捉える。熱を帯びた唇を緩やかに捩り、開いた歯列から侵入させた舌でシドの舌を絡め取った。
「んっ……ン、っく、ハイファ」
「なあに、シド?」
「ンなに優しくすると抱いちまうぞ」
「だめ……今日こそは僕がしてあげるから」
身を起こすとハイファは毛布を除け、着衣をするりと取り去った。シドのガウンの紐を解いて下着を脱がせる。
薄暗い常夜灯の中でハイファの若草色の瞳が濃いグリーンに見え、そこだけが別人のようだった。だが重ねられた肌は変わりなくも慣れた愛しいものだ。
最初のコメントを投稿しよう!