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第26話
広々としたファイバブロックの道路には街路樹が植えられ、明るいイメージ作りに励んではいるようだが、ここもグレイの高い壁に囲まれていて閉塞感があるのは否めない。
五分ほどで道は分岐しコイルは左へと針路を取った。更に走ること三分くらいで視界がひらける。
「わあ、こんな所にコンビニがあるんだね。緑も案外多いかも」
「朝っぱらから、やけに人が多いな」
「朝だからよ。仕事の開始時間はまちまちだけれど丁度今がラッシュってところね。ここが居住区、あっちには小さいけれどショッピングモールもあるわ」
せわしなくコイルが走り、人々が職場へと急ぎ歩く向こうには五階建てのマンションが四棟ずつ二列、八棟建っていた。
「ここも壁で囲まれてるんだね。何のためなのかな?」
「天符Ⅵ研究エリア内で何らかの事故、例えば危険な薬品や細菌洩れなんかが起こったときには、壁の上部が閉じてそれぞれドーム状に独立するようになってるのよ」
「ふうん、だから高層建築がないんだね。賊の侵入防止だと思ったよ」
「壁を乗り越えようとすればレーザーで狙い撃ちされるって話だけれど」
マンションの一棟の前でコイルが停止し接地する。
「おい、俺たちの用があるのは工場なんだがな」
「何よ、それ。あたしに着替えもさせないつもり?」
「そいつは悪かったな。振り袖でもドレスでも着てきてくれ」
二人もコイルから降りて熱気を帯び始めた外の空気を吸って待った。十分ほど経つとベージュのパンツスーツに着替えたユーフェがヒールの音も高らかに走ってくる。
「急がなきゃ、遅刻しちゃう!」
慌ただしく三人は再びコイルに乗り込んだ。座標指定して発進させたユーフェはルームミラーを覗き込み、肩まである巻いた髪を手早くひとつにまとめて縛る。
「俺たちの案内で天下御免じゃねぇのかよ?」
「遅刻していいとは言われてないもの。十時には顔を出さないと」
「意外に真面目なんだな」
「意外は余計よ。あと六分!」
コイルはきた道とは違う針路を取り、また閉塞感のある道路を走って底抜けドームのひとつに滑り込んだ。駐車場にコイルを乗り捨て、閉まるドームのために高くはないが、これも二次元的に大きい建物のエントランスに駆け込む。
三人はリモータチェッカにリモータを交互に翳し、オートドアをくぐって四角い建物に飛び込んだ。
「あと二分、急いで!」
細菌洩れ防止のためにどうやら僅かに負圧になっているらしい建物内の廊下を一緒に走らされ、エレベーターを待てずに階段を駆け上がる。三階まで上がると、すぐに更衣室にユーフェは入ってしまい、またも置き去りにされたシドとハイファは溜息をついた。
クリーム色の広く清潔な廊下から窓外の湾曲した壁に半分切り取られた空を眺めること十五分で、ユーフェは更衣室から随分離れたオートドアから出てきた。白衣を着ていて、それだけでちゃんとした研究員に見えるから不思議だ。
「馬子にも衣装だな」
「ふん、だ。シドに誉めて貰おうなんて、これっぽっちも思ってないもの。ハイファス、どう、あたしの白衣姿は?」
「とっても似合ってるよ。秀才科学者って感じだね」
「あん、天才じゃないのね」
「努力に努力を重ねてきた貴女には秀才の方が合ってるんじゃない?」
「そっか、そうよね」
カユくなるような会話をポーカーフェイスで聞き流すシドはどれだけ相棒が薄愛主義者であるかを知るだけに、可哀相とは思わないまでも少々気の毒になってくる。
だが気の毒がっていてはミカエルティアーズに辿り着けないので、しこたまハイファがヨイショするのを待ってから切り出した。
「そろそろツアーに出掛けたいんだが、ガイドはして貰えるのか?」
「いいわよ。簡単に言えば、この建物の中なら何処にだって行けるのよ――」
四階建ての建物を上から順に全て地下までくまなく見て回った。二時間かかった。バイヤーらしく研究内容も訳が分からないなりに真面目に聞いた。研究室AからF、事務室に倉庫まで巡った。最後に一階の食堂で昼食のメニューと味まで確かめた。
休憩室に場を移しエアカーテンで仕切られたスペースでシドは煙草を吸う。
「で、工場は何処だって?」
対して細巻きを咥えたユーフェは、またも鼻をつんと横に向けた。
「知らないわ」
「知らないってあんた、行ったことがなくても予想くらいはつくんじゃねぇのか?」
「そりゃあ予想くらいはね」
「じゃあそれでいい、大体の場所だけでも――」
「教えない」
「ああ? 何でだよ?」
へそを曲げたお姫様のご機嫌を直せとシドはハイファを肘で小突いた。
「ねえ、ユーフェ。僕ら、工場の在処を突き止めないと、とっても困るんだけど」
「だって教えたら、あたしが困るもの」
「貴女に迷惑は掛けないよ。だから――」
「迷惑掛けないなんて嘘よ! 貴方たちがセキュリティに撃たれたら、あたし、どうすればいいのよ? 一生後悔して生きてくなんて、あたし嫌だもの!」
唐突に暴発したユーフェが叫び終えるや否やシドは煙草を消しハイファは立った。
「シド、あと半日しかないよ。行こ」
「えっ……待って、待ってよ!」
追い縋るユーフェを一顧だにせず、ハイファは廊下に出るとシドと肩を並べてエントランス方向に歩いた。ロビーの共用端末の一台に辿り着くとリモータからリードを引き出して接続する。
ホロディスプレイのデフォルトはインフォメーションページ、そこからコンテンツの管理権限者のフリをして上階層へと上ってゆく。
建物の管理コンから天符Ⅵ研究エリアの中枢コンへと飛び移って施設の構造図を素早くダウンロードした。
「相変わらずの手並みだな。詳細図は手に入るか?」
「んー、これ以上はセキュリティが厳しいから、ちょっと無理かも。クラックした痕跡を残して網を張られるよりは、この概要図だけで我慢する方が時間は有効に使えると思うよ」
リードを引き抜いてシュルシュルと仕舞うと、半分泣きながらも半分呆気にとられて見ていたユーフェを見事に無視してハイファは廊下の先へと歩き出した。
「まずは常套、このすぐ裏の建物でいいよね」
「構わねぇよ。二階の渡り廊下からのアタックだな?」
「うん。人の目よりもコンの方が騙しやすいから」
階段で二階に上がり、渡り廊下の入り口に立つ。閉ざされたオートドア脇の壁に設置されたパネルにハイファはまたリードを繋ぎ、リモータにコマンドを幾つか打ち込んだ。
その間に通りかかる者もいたが、あまりに堂々としているのと傍にまだ白衣のユーフェがいるので幸い疑われずに二十秒ほどでロックコード解除に成功する。
「このコードが何処まで通用するかは分からないけど、貴方の方にも移植するね」
相互にリードを繋いで概要図とロックコードをシドのリモータにコピーし、改めてリモータを翳すとセンサ感知してオートドアを開けた。
「待って、そこはだめよ! 工場に入ったら撃たれるかも」
縋ったユーフェを腕の一振りで突き放したハイファは、シドと共に渡り廊下に踏み出す。背後でオートドアが閉まるのを確認して進んだ。
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