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第6話
観客席の間を縫ってシドとハイファが就いたのは、前方のステージから数えて十二列目だった。左隣にゴーダ・ナカムラ組、更に左にマイヤー・ヤマサキ組がいる。
取り敢えず辺りをぐるりと見渡したが、開演十五分前にして既に興奮した観客の一部は立ち上がっていてステージは半分ほどしか見えない。
「ったく、星系政府も警備員くらいまともに雇えっつーの」
「いつもは事足りてるんだろうけど、今やメディアを席捲中のアリス=デリンジャーだもん、仕方ないよ。貴方も課長に外出禁止令食らってるよりマシなんじゃない?」
「煙草も吸えねぇんじゃ、どっちもどっちだな。ふあーあ」
課長に睨まれながらも日々『足での捜査』と銘打ってハイファを引きつれ外歩きばかりしている男は、二時間のステージを前にしてもう大欠伸をしている。
小声で囁き合っているうちに照明が落とされた。途端に立っていた人間は腰を下ろし殆どの者が周囲に負けじと喋るのを止めてこちらも囁き声となる。ここはテラ連邦議会のお膝元である母なるテラ本星だ、大概の人間は上品で遵法精神に富んでいた。
録音らしいアリス=デリンジャーのメッセージ、
《皆さん、静かにわたしを待っててね。すぐ行きまーす♪》
などと流れたのも効いたようだ。ともあれ開演十分前になって人々が座ったためにシドたちの位置からもステージがよく見えるようになる。
開演三分前のブザーが鳴ると、いよいよ会場は静かになった。汎銀河条約機構でもテラ人と双璧を成す長命系星人という出自は大変に珍しい。彼らはショートサイクルのテラ人の文化を嫌う傾向があり滅多に自分たちの星系から外には出てこないのだ。
そういう意味でも見物にきた人々が多少はいるだろう。
やがて開演のブザーが鳴った。緞帳は元より上がっていて、あとは虹色に輝くオブジェが幾つも配されたステージにアリス=デリンジャーが出てくるだけである。
果たして出てきたアリスはパールの輝きを帯びた白のミニウェディングドレスのような衣装を身にまとい、滝のように流れる紺色の髪にもパールを散りばめて現れた。
ヤマサキにはああ言っておきながら、シドはアイドルをつぶさに観察する。
メディアで視た通り、頭は小さく手足は長い。その絶妙なバランスは長命系星人の長い長い歴史の中で淘汰され生き残ってきたものであり、なるほど非常に目に心地良かった。
だがそれはアリス=デリンジャーに云えることで、一緒に登場した若い男二人組についてはこの限りではなかった。
そう、アリス=デリンジャーの右側から一人の男がアリスの頭に銃を突き付け、もう一人の男が左側から華奢な首筋にダガーナイフを押し付けていたのである。
マイクを通してか細い声が洩れた。
「……た、助けて――」
会場は凍りついたように静まり返っていた。
ついでにシドは男たちも観察した。
何がしたくてこんな状況に持ち込んだのかは知らないが、何らかの自己主張を始めるでもなく、テロという感触はない。かといって愉快犯にしては全く目が笑っていない。シリアスだ。
服装は二人ともポロシャツにジーンズで、何処にでもいるような若者たちだった。まるでそこらを偶然通りかかっただけのような風情である。
だが遠目にも分かる、笑わない目は瞳孔が開いて、ここではない何処かを見ているようだった。シドはあの目を知っている。完全にキマったジャンキーだ。
さて、どうするかとシドとハイファはゴーダ警部の方を窺った。しかし七分署機捜課では主任のゴーダ警部もここでは指揮権を持つ訳ではなく、マイクロイヤフォンに耳をすませては首を横に振っている。
その向こうではマイヤー警部補がリモータ搭載のスタンレーザーを発射する構えを取ってはいるが、この場合は射てないだろう。あれだけナイフも銃も近いと、電撃は筋肉を収縮させ白刃が首筋を切り裂きトリガが引かれる可能性があった。
「うーん、すんごい演出だなあ。メディア報道のトップ間違いなしだよね」
「お前、暢気だな。あれじゃアリスが保たねぇぞ」
「だよねえ。指示が遅いよ」
そのまま一分ほどが経過し『その場で待機』命令が流れてくる。その間にもマイクを通したか細い声は啜り泣きに変わっていた。
五万人を前にして誰も助けてくれないという状況をアリス=デリンジャーはどう思って泣いているのだろうと、ふとシドは考える。異星系までやってきてアイドルともてはやされ、だが向けられる視線の何割かは常に珍獣を見る目つきだ。
だからどうだとも云えない、アリス=デリンジャーが選んだ道である。
それでも有名税にしてはこれは高く付きすぎた。
泣き声が高くなり、ふいにアリス=デリンジャーは喉を引き攣らせ絶叫していた。その瞬間、男たちの腕の筋肉の動きで本当の惨事が起こってしまうとシドは知る。
その刹那、シドは「ガォン!」というハイファのテミスM89コピーの撃発音を聞いた。同時にハイファはシドのレールガン独特の「ガシュッ!」という発射音を耳にしている。
一発に聞こえるほどの速射で撃ち出された弾はそれぞれ二発、狙いたがわずシドのフレシェット弾は男のナイフを握った腕ごと撃ち落としていた。ハイファの九ミリパラも銃を持った男の腕をちぎってステージにゴトンと落下させている。
派手に血飛沫が舞い、数秒間の沈黙を経て観客席から悲鳴が湧いた。
「確保だ~っ!」
ゴーダ警部が叫ぶ。周囲の警察官が一斉にステージへと駆け寄った。僅か数秒先んじたシドはステージに飛び乗る。そのまま勢いでナイフと銃を腕ごと蹴り飛ばし、泡を吹いて倒れた男たちから距離を取らせた。
一方でスロープを上ってきたハイファは返り血を浴びて真っ青になっているアリスに手を差し伸べる。紺色の瞳でハイファを見つめ、アリスはその腕の中に頽れた。
ベルトの後ろに着けたリングから捕縛用の樹脂製結束バンドを引き抜き、シドは男たちの止血処置をする。その頃になってようやく人員がブルーシートを広げ始め、観客たちの目から惨状が隠された。
最初は唖然とし、次に悲鳴を上げた観客たちはいつの間にか拍手を始めている。パラパラと始まった拍手はそのうち渦巻くような大喝采となった。
そのうねりのような音響をBGMにステージ上では怒号の応酬だ。
「救急機要請したか!」
「もう外にきてます!」
「救急隊員、現着しました!」
「メディアに撮らせるな、そこ、もっと隠せ!」
観客が喝采を寄せる対象の刑事二人がマスコミに捕まれば大騒ぎになるのは必至で第一ベース本部からの通達により緊急機がこっそりとドーム裏に着けられ、そのままシドとハイファは七分署に送致、いや、帰還となったのだった。
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