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第7話
七分署のデカ部屋に戻ると、ホロTVで視て全てを知ったヴィンティス課長が茶色い薬瓶を手にしたまま、低血圧でへたり込んでいた。
多機能デスクに沈没した頭を暫しシドとハイファは眺める。
「うーん。不意打ちプラス、ライヴ中継だもんねえ」
「同情は禁物だぜ。夜な夜な別室長ユアン=ガードナーの野郎と居酒屋『穂足』で飲みながら俺たちを別室任務っつー地獄に叩き込む密談してるような鬼畜上司なんだからな」
「それとこれとは別でしょ」
「いいや、別じゃねぇ。何かといえば俺を何処かよそに押し付けようとしやがって」
「建築基準法違反並みの事件発生率と始末書だからねえ」
「ふん。さっさと着替えちまおうぜ」
腕を取ってロッカールームにハイファを連れ込み、制服の上着を脱いだシドは、こちらもワイシャツ姿のハイファをそっと抱き寄せて口づけた。
ついばむように触れ合わせた唇を徐々に深く押し付け、尖らせた舌先で歯列を割ると、届く限りのハイファの口内をねぶり回し、温かな舌を絡め取った。何度もねだっては唾液を舌先と共に、痛みが走るくらいきつく吸い上げる。
熱く柔らかな舌でさんざん蹂躙されたハイファは眩暈のような陶酔感に襲われた。膝が萎えるような感覚に、シドの胸に縋り付いて身を支える。
「んっ……ン、っん……あっ、はぁん」
「チクショウ、色っぽいな。このまま押し倒してねじ込みたいぜ」
「そんな嬉しいこと言わないで……ここじゃだめ」
「じゃあ今晩な」
「……うん」
目許を染めて頷くと、シドの視線を感じつつハイファは手早く着替えた。
官品を脱いで私服のドレスシャツに袖を通し、ホルスタ付きショルダーバンドを装着する。ソフトスーツのスラックスを身に着け、ベルトにホルスタのベルトループを通して固定した。タイは締めない。襟元もボタンふたつ分開けたまま、ソフトスーツのジャケットを羽織る。
先に着替え終わったシドは綿のシャツにコットンパンツというラフな格好だ。制服もいいが、いつもの刑事ルックに戻った互いの姿に何となく安堵してもう一度、今度はソフトキスを交わしてからデカ部屋に戻った。
沸いていた煮詰まり気味の泥水コーヒーを見てハイファは顔をしかめ、紙コップふたつに注ぐと少し湯を足してからデスクまで持ってゆく。シドは電子回覧板を眺めながら既に一服中だ。
チェックする片端からシドは電子回覧板をハイファのデスクに積み上げていく。
愛し人の横顔を見つめながらハイファが窺うように訊いた。
「まさか歩きに行くなんて言い出さないよね?」
「さすがに俺もそこまではしねぇよ」
「じゃあ書類を片づける時間ができたみたいだね」
「取り調べもな」
「あっ、それもあったっけ」
「ついでにさっきの始末書も書いておくか」
「えっ、あれも始末書なの?」
「観客が一人でも一枚、五万人でも一枚だ。得した気分だぜ」
「そういう問題なのかなあ?」
書類を書き上げると今朝のひったくり二人とオートドリンカ荒らしの取り調べをサラサラ取り終える。不法入星者は入星管理局の役人が引き取って行ったあとだった。
マル被たちを地下留置場に戻し、武器庫で銃の整備まで終わらせて二人で三杯目のコーヒーを飲んでいると、十七時前になってゴーダ警部たち警備員組が帰ってきた。
着替えて戻ってきたヤマサキにシドが因縁をつけるチンピラの口調で訊く。
「やけに遅かったじゃねぇか、おい?」
「いやあ、あのあと気が付いたアリスちゃんが『お客様に申し訳ない』って言い出して、ちゃんとステージをこなしたんスよ」
「へえ、そいつは意外っつーか、ありがちっつーか、胆が据わってるな」
「もう感動的で……最後は全員で大合唱っス。泣けて泣けて――」
まだ泣きそうに鼻を赤くしているヤマサキの周りに、マイヤー警部補やゴーダ警部にナカムラも寄ってくる。ハイファとナカムラが泥水を人数分調達した。
仕事よりステージについて口々に皆が語るのを聞いたのちにシドが訊く。
「んで、通りすがりのジャンキーみたいなマル被の二人は何者だったんですか?」
これには頷きながらマイヤー警部補が答える。
「シドの見立てはあながち外れではありませんよ。あの二人は先日遊び半分で手に入れた得物を使う機会を探していたそうで、今回の犯行は昨夜ふいに思いついたということですから。場当たり的犯行の典型ですね」
「昨夜なら計画性は殆どあって無きが如しか。セキュリティは?」
「彼らの前職は警備会社の社員で、月輪寺講堂の警備にも就いていたとか。その際に手に入れた楽屋のキィロックコードを返却せずに辞職したらしいですね」
「何で辞めたのかは分かりますか?」
マイヤー警部補はニヤリと笑った。
「シド、それも貴方の予想が的中ですよ。クスリ、それも合法モノではなく違法ドラッグに溺れて警備員が務まらなくなったんだそうですから」
「やっぱりジャンキーか。それで?」
「培養する腕の接合手術も含め二週間後には退院できるそうですが、そのクスリの解除薬が現在品薄らしく中毒症状が治まるまでには今少し……」
シドの差し出した灰皿で煙草を捻り潰しながらゴーダ警部が唸る。
「クスリは最近よく聞くヤツ……そうそう、ミカエルティアーズってヤツだ」
「マル被が二人ともミカエルティアーズですか?」
「ああ。現物、ポケットに入れてたらしいぞ」
思わずハイファはシドを見た。相変わらずのポーカーフェイスだが、苦々しい思いを抱いているのは分かる。上流階級者だけに流れていたミカエルティアーズが、あれから一年半を経て一般人にも浸透し始めたのだ。
蟻の一穴から水がジワジワと染みこんで、何れは分厚い壁をも壊してしまうようにあのクスリが蔓延し、爆発的に流行って人々を蝕むのも遠くはない……いや、もう既にそれは始まっているのかも知れなかった。
そんなシドの思いをハイファが想像していると、ヤマサキがのほほんと言った。
「ところでシド先輩、地下の先輩の『巣』で何か臭ってるっスよ」
シドの巣とはバディのいない単独時代に、自分で引っ張ってくる客以外誰もいない地下留置場の一室にこさえた仮眠所であり休憩所であり趣味のプラモ製作所だ。
真夜中の大ストライクによる非常呼集を皆が恐れて、単独時代から今に至るも深夜番を免れているシドだが、情報屋巡りなどで自主的夜勤にいそしむことがある。そういったときに自室に帰らずそこで寝泊まりしていたのだ。
今でこそハイファがいるので泊まることは殆どないが、巣はそのまま存続されストライクが重なって課長から外出禁止令を食らったときなどに、そこで不貞寝をしたりプラモを作ったりしている。
公私混同も甚だしいが、そこに篭もってさえいればストライクしないので課長以下機捜課員は誰も咎め立てはしない。
ハイファにとっては殆ど二十四時間行動を共にしているのに、何故か目を離すと得体の知れないモノが層を成すゴミ溜めの汚部屋になっているという、非常に謎な部屋なのだ。
「臭ってるって何がだよ?」
「知らないっスよ、そんなこと」
「ホシが食い物系か靴下かの区別くらいつくだろ?」
「ンな生々しいこと、訊かないで下さいよ」
ふるふるとこぶしを震わせてハイファは怒鳴った。
「シドっ! 掃除掃除掃除っ! あーたは全くもう!」
勢いハイファはシドの襟首を掴んで地下に連行だ。皆が生温かく笑って見送った。
ワイア格子の挟まれたポリカーボネートの三メートル四方の部屋、一番右側のシドの巣は、どれだけ汚染が激しかろうと主は土足厳禁だといって譲らない。
だが今日こそハイファは愛し人の気が知れないと、透明なドアを前に顔をこわばらせた。床は何処にも見えなかった。おまけに確かに臭っている。
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