第8話

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第8話

「信じられない……僕が掃除したの、たった十日前だよ?」 「俺もどうしてこうなるのか不思議でな。俺の中の悪い小人さんが――」 「だからホイホイ仕掛けといてって言ったでしょ! もう、全部捨てるからね!」 「ちょ、待てって。プラモの部品は……」 「自力で確保しなけりゃ全部ゴミ! うーっ、ガスマスクが欲しい」  ハイファは靴を脱ぐとそっと巣の中に一歩を踏み出した。そこは空の飲料ボトル、スナック菓子の空き袋、紙媒体の書類、油染みた紙カップ、食したあとの弁当ガラ、折れたワリバシにストロー、食品を包んであったセロファン、プラスティックのスプーン、工具に部品、何かのトレイ、湿ったナニか、丸められた衣服などが層を成してぶちまけられている。  コンビニの空き袋を見つけ、ハイファは片端から放り込み始めた。  一方のシドは大事な部品と工具の確保に走る。狭い室内での攻防は三十分ほども続き、出入り口にはゴミ袋が六個も積み上げられた。  綺麗に床が露出し、硬い寝台に畳んだ衣服の積まれた室内をシドは見回す。 「おおーっ、すげぇ、他人の巣みたいだぜ」 「あー、気持ち悪かったよう、あのエダマメの殻だった物体」 「ネバネバだったよな」 「食べ終わったら捨てる、そのくらいのことがどうしてできないのサ?」  言いつつハイファは首を捻る。茹で枝豆など何処で調達したのか計り知れない。 「それに脱いだ服はその日に持って帰ること。何度も言わせないで」 「分かった、分かった」  腕捲りを解くハイファを置いてシドは靴をつっかけると階段を上り有料オートドリンカにリモータを翳した。省電力モードから息を吹き返させ、クレジットを移すと保冷ボトルのコーヒーを二本手に入れる。掃除のささやかな礼はいつもこれなのだ。  巣に戻るとハイファは硬い寝台に腰掛けていた。コーヒーを手渡し、自分はゴミの層から発掘された掌サイズの灰皿を脇に置いて床に直に腰を下ろす。  煙草を咥えて火を点け、綺麗な空気と紫煙を堪能した。 「いやマジで助かったぜ。自力でのホシ探しは諦めてたからな。もうお宮入りかと」 「ふざけるのもいい加減にしないと何か湧いたら手伝わないからね」 「このビルだって防虫対策くらいはしてるだろ」 「そういう問題じゃなくて……あ、十八時だ。とっくに定時すぎちゃったよ。早く帰らないとタマがお腹空かせて暴れちゃう」 「シロ、改めタマか。何で俺たちがアレを飼うハメになったんだろうな?」 「仕方ないでしょ、未だ人が住むにも難があるような前衛的造りの衛星に置いておけないじゃない。暫く預かるくらいしてあげても構わないと思う」 「まあなあ。しかし灰色猫を洗ったら白くなるからシロかと思ったら、まさかの三毛猫だもんな」 「タマなんて単純すぎと思うけど、貴方が名前まで変えたんだから責任持ってよね」 「へいへい。でもお前がシドとシロをたびたび呼び間違えるからだぜ?」  タマは以前の別室任務に関わった二人がっ結局飼うことになったオスの三毛猫である。猫も高級なペットである昨今なのにタマは異様に野性味溢れるケダモノで、毎朝腹を空かせてはシドの足を囓りにくるのだ。 「こいつを飲んだら帰ろうぜ。で、今晩は何を食わせてくれるんだ?」 「あっ、今日はお魚の特売日だったんだっけ。急いで帰らなきゃ!」  放っておくとアルコールでカロリー摂取を済ませてしまう愛し人に、旨くて栄養のある食事を摂らせることがハイファにとっては殺しやタタキの二、三件より日々の重大事なのだ。  急かされてシドは一本を灰にしコーヒーをがぶ飲みして立ち上がった。靴を履くと往復してゴミ袋をダストシュートに投げ込む。  そして背後の留置人を少々気にしつつソフトキスを交わして階段を上りかけたそのとき、ハイファのリモータが振動を始めた。数秒遅れてシドのリモータも震えだす。 「……っ、チクショウ!」 「わぁん、きちゃった……」  その発振パターンは別室からのものであると告げていた。  うんざりして溜息をつきシドはハイファを睨みつける。ハイファは力なく呟いた。 「そんな、僕のせいじゃないよ……」  十秒後、シドは再び巣の床にどっかりと座り、咥え煙草でリモータを撫で回していた。このガンメタリックのリモータは欲しくなかった別室からのプレゼントだった。  惑星警察の官品に似せてはあるがそれより大型のシロモノで、ハイファのシャンパンゴールドと色違いお揃いの、別室と惑星警察をデュアルシステムにした別室カスタムメイドである。  ハイファと今のような仲になって間もないある日の深夜、寝込みを襲うようにしてこれは宅配されてきた。寝惚け頭でてっきり惑星警察のヴァージョン更新と勘違いし装着してしまったのが運の尽きだったのだ。  こんなものはシドには無用の長物だ。だが別室リモータは一度装着者が生体IDを読み込ませてしまうと、自ら外すか他者に外されるかに関わらず『別室員一名失探(ロスト)』と判定した別室戦術コンがビィビィ鳴り出すようになっているので迂闊に外せない。  その代わりにあらゆる機能が搭載され例えば軍隊用語でMIA――ミッシング・イン・アクション――と呼ばれる任務中行方不明に陥ったときには部品ひとつひとつにまで埋め込まれたナノチップからの信号を、テラ系有人惑星ならば必ず上空に上がっている軍事通信衛星MCSが感知するので捜して貰いやすいなどという利点もある。  おまけに様々なデータベースとしても使え、ハッキングやキィロックコードの解除なども手軽にこなす、なかなかの優れものではあった。 「だからって何で刑事の俺が他人のBELを盗んだり、砂漠で干物になりかけたりしなきゃならねぇんだ? マフィアと戦争したり、ガチの戦争に放り込まれたり、軍艦で宇宙戦しなきゃならねぇのはどうしてなんだよ!」  ここ暫くは任務が降ってきてもシドは割と潔く受けてくれていたのだ。それが久々に吼えられてハイファは首を竦める。 「……ねえ。急ぎの任務だったら困るから、文句は見てからにしない?」 「文句じゃねぇ、正当な申し立てだ。無給でどれだけ人をこき使えば気が済む?」 「貴方、お給料は要らないじゃない」  これでもシドは結構な財産家なのだ。以前の別室任務でたまたま手に入れた三枚の宝クジがストライク大炸裂、一等前後賞を見事に射止めて億というクレジットを得てしまったのだ。その巨額は殆ど手つかずのまま、テラ連邦直轄銀行で日々子供を生みながら眠っている。  それでも刑事を辞めないのはイヴェントストライカの天職だからというしかない。 「だからって気持ちの問題だ。くそう、こんな時に本星を離れるなんざ論外……いい、もう帰るぞ!」 「って、命令書見ないの?」 「俺は何も困らねぇからな。心配ならお前は見ろよ」  突き放した言い方にハイファは一気に消沈した。心なしか顔色まで悪くなったようでシドは少し可哀相なことをしたかと思ったが、一度口から出てしまったことだ。即撤回するのも腹立たしく、リモータ操作を始めたハイファを横目で窺うに留まった。 「……急ぎなのかよ?」 「別にそれほどじゃないみたいだけど、やっぱり貴方も見た方が――」 「ふん。タマが待ってる、武器所持許可証だけ取ったら帰るぞ」  この場合の武器所持許可証は他星系や宙艦内でも通用する各星系政府法務局共通のものだ。故にその言葉でシドにも参加の意志があることだけは分かりハイファは僅かに安堵する。一方シドは間違いなく他星系任務だと知り、不機嫌に加速が掛かった。  デカ部屋は閑散としていた。既にヴィンティス課長の姿もない。  二人は武器所持許可申請書を書きFAX形式の捜査戦術コンに流した。すぐに申請は承認されリモータに許可証が流れ込んでくる。シドは深夜番に武器庫の解錠を申し出て、予備のフレシェット弾三百発入りの小箱も手に入れた。  対衝撃ジャケットを羽織ったシドはハイファと一緒に深夜番に頭を下げ、デジタルボードの自分の名前の欄に『自宅』と入力しようとして手を止める。もう二人共『出張』になっていた。  常日頃からイヴェントストライカを何処でもいいからよそに押し付けようと腐心しているヴィンティス課長が嬉々として入力したに違いなく、これにもシドは頭にきた。  デカ部屋を出て署のエントランスを抜けると右に歩き出す。二人の自室のある単身者用官舎ビルはここから七、八百メートルの場所に建っていた。  黙って歩きながらハイファは徐々に自分にもシドの怒りの波動が染みこんでくるのを自覚する。行く気がある以上、どうせあとで命令書を見ることになるのだ。まるで駄々っ子のようなシドに腹が立っていた。  目を上げると夕闇の空をスカイチューブが分断していて、それらに鈴なりに灯った色鮮やかな航空灯ですら今は騒々しくも鬱陶しく感じられる。  シドはハイファを無視するかのようにすたすたと歩いていた。  ハイファも左側の大通りを走るコイル群を眺めながらぐいぐいと歩く。  意地の張り合いで終いには競歩の如き様相を呈しながら官舎の根元に辿り着いた。 「買い物はするのか?」 「もういいよ。帰る」  互いにムッとしつつ防弾樹脂製のエントランス脇にあるリモータチェッカを先客がクリアするのを待つ。これだけでなく更にX‐RAYサーチでの本人確認をして、やっとビルの受動警戒システムが一人につき五秒間だけオートドアを開けるのだ。  ここに住んでいるのは一介の平刑事だけではないので仰々しいセキュリティは仕方ない。  スーツを着た先客の男は何をしているのか、リモータチェッカのパネルの前から退こうとしない。入居者でなく本当に客なのかも知れず、勝手が分からず困っているのかと思ったハイファが声を掛けようとした時、シドが先に動いていた。  目の前を遮り、まるでハイファを背に庇うようにしたシドは、振り向いて一歩踏み出したスーツ男と正面衝突をする。  いや、衝突したように見えたその瞬間、二度の轟音が響き渡り、シドの躰がハイファに向かって吹っ飛んできた。  咄嗟のことで受け止めきれず、ハイファはシドもろとも尻餅をつく。そんな体勢からハイファは考えるよりも先に銃を抜いていた。  スーツ男はぶるぶる震える両手でこちらに向け銃を構えている。再び撃たせる前にハイファはテミスコピーのトリガを引いていた。
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