第9話

1/1
前へ
/49ページ
次へ

第9話

 何が起こったのか把握できないままトリプルショットを放つ。速射の初弾でスーツ男の銃を撃ち飛ばし、残りの二射を的の大きな腹に容赦なく叩き込んでいた。  スーツ男はオートドアに背をぶつけ防弾樹脂にべっとりと血の筋をつけて頽れる。  だがそんなものはハイファの目には入らない。濃く匂う硝煙をビル風が攫ってゆく中、シドが仰向けに倒れたままで動かないのだ。口の端から血を垂らし、真っ白な顔で目を閉じている様子は、整った顔と相まって良くできた人形のようだった。  ハイファは自分の指先から血が冷えてゆくのを感じた。貧血の初期症状だ。しかし自分が倒れている場合ではない。それでも喉に何かが詰まったように声すら出せなくて……。  対衝撃ジャケットの上から撃たれたのは、もう分かっていた。だが落ちているエンプティケースを見れば四十五口径という大口径弾だ。それを押し付けて二発、幾ら対衝撃ジャケット着用とはいえ、ショックで死んだとしてもおかしくはない。 (シドが、死ぬ? まさか……そんな――)  強烈な恐怖がハイファを襲い、パニックに陥っていた。実際には数秒間だろうが、永劫とも思える間、呼吸すら忘れていた。半ばハイファが胸に抱いた形でシドは倒れていたが怖すぎて触れない。バイタルサインを看ることもできず、呆然と地面に腰を落としていた。  そんなハイファを救ったのは丁度、無人コイルタクシーを降りてきた人物だった。 「ハイファス、何やってる! 旦那はどうした?」  顔を上げるとそこにはテラ連邦軍の濃緑色の制服に白衣を引っ掛けた、見知った中年男が立っていた。 「……マルチェロ先生?」 「おうよ、どうした――」  ボサボサの茶髪に剃り残しの無精ヒゲが目立つこの中年男は、おやつのイモムシとカタツムリ(生食)をこよなく愛する変人で、職業は軍中央情報局第二部別室の専属医務官だ。人当たりはいいが病的サドという一面を持ち、拷問専門官という噂のシドの自室の隣人だった。  事実やりすぎで幾多の星系からペルソナ・ノン・グラータとされているが、シドとハイファにとっては頼りになる人物でもあり、医師としての腕もいい。  壊れた銃に半死体、ハイファも抜き身の銃を手にしているという状況で全てを察したマルチェロ医師は鋭くハイファに訊く。 「救急要請はしたのか? チッ、しっかりしろ!」  未だパニック真っ最中のハイファの表情を読んだマルチェロ医師は自分で救急と緊急要請をしたのち、まずはシドのバイタルサインを看た。 「よし、生きてる。立派なもんだ」 「本当に……シド、生きてる?」 「ああ、手でも握っててやれ」  銃を仕舞ったハイファは言われた通りにシドの手を握る。それは思った以上に冷たくて、ハイファは涙を滲ませながらペアリングの光る手を撫で続けた。  その間にマルチェロ医師はシドの対衝撃ジャケットの前を開け、白衣の袖口からするりと出したメスで綿のシャツを真っ直ぐ切り裂き、素肌の胸から腹を露わにする。  現れた象牙色の滑らかな肌には、どす黒い打撲痕が二ヶ所あった。マルチェロ医師は容赦なく打撲痕の上から触診する。 「左の第三、第五、第六肋骨がいってやがる」 「いってるって……折れてる?」 「ああ、綺麗にポキリだ。安心しろ、こういうのは治りも早いからな」 「何で……?」 「ああ、起きねぇってか。幾らあんたの旦那が不死身でもショックくらいはあるだろうさ。あとは撃たれた衝撃で舌噛んでる。この血は口内の出血だ。緊急機がきたぞ」  本日上番の深夜番はマイヤー警部補とヤマサキ、さすがにシドを見て驚いてはいたものの、幸いマイヤー警部補は状況判断も早く察しもいい。  次にやってきた救急機はマルチェロ医師が短縮で呼んだもの、迷彩地に赤い十字がペイントされた軍用BELだった。それを見てマイヤー警部補は降りてきた衛生兵らを押し留め、新たに救急要請する。  これは現職警察官を銃撃した現場なのだ。マル被ごと軍にかっ攫われては惑星警察は立つ瀬がない。冷静な判断だった。 「シドはそちらでお預かり下さって構いません。ハイファス、あとは任せて貰っていいですから何かあれば私に発振を。いいですね?」 「すみません、お願いします」  やり取りしている間に意識のないシドは衛生兵の手で自走ストレッチャに乗せられ軍用BELに収容される。ハイファはマイヤー警部補に頭を下げ、マルチェロ医師のあとを追いかけて軍用BELに乗り込んだ。  民間機よりパワーのある軍用BELは五百メートルほどを一気に垂直上昇する。 「リッペ・フラクチャー、ディスプネアはマイナス、そのまま運べ!」  マルチェロ医師の指示でシドは移動式再生槽に放り込まれることもなく、ハイファはここにきてようやくシドの躰に縋り付く。ショックで体温の下がったシドに熱を分け与えようと毛布に包まれた躰を抱き締め続けた。  軍施設は八分署管内の郊外に集中していて軍病院もその基地内にある。ものの五分ほどのフライトで病院の屋上にランディングした。ここはハイファにしてもいわばホームでマルチェロ医師の腕も知っている。この上ない好環境だ。  シドに縋ったままエレベーターに乗り込む。降りると救急処置室へと一行は向かった。救急処置室の当番軍医はマルチェロ医師の顔を見ると諸手を挙げて場所を譲る。  簡易スキャンで骨折箇所を確認し、噛んだ舌を合成蛋白接着剤で処置したのち、浸透圧式の無針注射器で薬剤を流し込まれるとシドはあっさり黒い瞳を覗かせた。 「シド、気分はどう? 何処か痛い?」 「いや、別に……マルチェロ先生……そうか」  起き上がろうとするシドをハイファは慌てて止める。 「ここ軍病院だよ。肋骨が三本も折れちゃったんだから、起きちゃだめ」 「くそう、また骨折か。やられたよな。何だったんだ、あれは?」 「まだ分からないけどマイヤー警部補に任せてきたから、何か出れば発振くれる筈」 「そうか。ビビらせちまって悪かったな」 「ううん、僕こそごめん。なんにもできなかったよ」 「お前が傍にいてくれればいいさ」 「ずっといるから……傍にいるから」  カンカンカンと音がし、見るとマルチェロ医師がハサミで銀色の膿盆を叩いていた。 「相変わらず仲がいいのは結構ですがね、そろそろ仕事をさせて貰いてぇんだがな」  マルチェロ医師を見上げてシドがラーメンでも注文するかの如く言う。 「頼みがあるんだが、明日にでもワープできる状態にして貰えるか?」 「シドっ! 別室任務は返上するか、僕一人で――」 「いいから黙ってろ。なあ、先生。そういうので頼む」  テラ人が反物質機関と反重力装置を発明し、それを利用したワープ航法を発見して三十世紀が経つものの、未だワープによる人体への影響は克服されたとは言い難いのが現状だった。  ワープ前には必ず宿酔止めの薬を服用せねばならず、星系間ワープもプロの宙艦乗りでもなければ一日三回までというのが常識とされている。それ以上でもこなせなくはないがオーバーしたツケは躰で払わなければならない。  更には怪我をして的確な処置を怠ってのワープも厳禁なのだ。亜空間で血を攫われワープアウトしてみたら真っ白な死体が乗っていたということになりかねない。 「あんたの腕を以てしても、そういう方法はねぇのかよ?」  言い募るシドにサド軍医の目が煌めき、口元がニヤリと歪んだ。 「このマルチェロ=オルフィーノにそれだけ言うたあ、チャレンジャですねえ」 「じゃあやれるんだな?」 「ああ、方法はあるさ。一、表面に穴を開ける。二、ワイアを骨に突っ込んで固定する。三、穴は塞いで固める。ってとこですかね」 「それならワープもいけるのか?」 「旦那ならいけるだろう。しかし普通なら再生液に放り込んで意識落としてからの仕事だが、明日にワープとなれば再生液に浸かってるヒマはないからな。局麻だけで耐えて貰う。当然、麻酔が切れれば痛む」 「ふうん、ワイルドだな」 「シド、あんたは痛覚ブロックテープは嫌いだったな」 「ああ、アレはパス。上半身に巻くと唇が麻痺して煙草を落とすんだ」 「おまけにアルコールにも強い、薬は並外れて効きづらいって因果な体質じゃなかったか?」 「痛み止めもロクに効かねぇんだ、コレが」 「麻酔は倍量入れるが、キルシュナーワイアを通してる途中で切れたらご愛敬だ」 「いい、そいつで頼む」  眩暈がする思いでハイファはその会話を聞いていた。愛し人はいつも否定するが、絶対に属性はマゾだ。そうでなければDIYのような説明に耐えられるワケがない。  衛生兵たちが準備に取り掛かっている間、ハイファはシドを説得に掛かっていた。 「ねえ、再生槽に入って普通の入院と手術しようよ。ね?」 「ンなことしてる場合じゃねぇよ」 「何でそこまで無理するのサ?」 「お前、独りで行く気だろ。それはだめだ、絶対に許さん。それに別室戦術コンが弾いた最適任務対応者だ、任務返上もできねぇんだろうが」 「う……ん、まあね」 「じゃあ俺も行く。一生、どんなものでも一緒に見ていく、そう誓ったからな」 「そっか。本当にごめんね、ミカエルティアーズのことが気になって、だから今この時期に本星を離れたくないんでしょ?」  それであんなに任務に対し拒否反応を示したのだとハイファは気付いていた。  どのくらい掛かるか分からない別室任務の間にこの本星セントラルエリアが変容してしまうのではないか。大袈裟なようだがシドがぼんやり感じているのはそういうことだろう。 「でもそれなら、やっぱりシドも別室命令を見るべきだよ」 「命令をか? そういやまだ見てなかったな」  今度こそためらいなくシドはリモータを操作し発振内容を表示させる。小さな画面の緑色に光る文字を読み取った。 【中央情報局発:シンノー星系において違法ドラッグのミカエルティアーズが大々的に生産されている疑いあり。調査し今後の当該薬物の流出防止に従事せよ。選出任務対応者、第二部別室より一名・ハイファス=ファサルート二等陸尉。太陽系広域惑星警察より一名・若宮志度巡査部長】
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加