6.宴のあと

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6.宴のあと

 その後については、全員討ち入りの時以上に大慌てなものになった。  まず、大杉と由衣、彩香の3名はこの場に残って、他のものは一目散に解散を下知された。    大杉は同期の教師、柴田数家(しばたかずいえ)にハイエースの出動を頼んでおり、到着した頃にはすでに合戦の決着はついていた。その車に人員と武器を詰め込ませたのである。特にゲバ棒とヘルメットは最優先で搬入した。学生運動のシンボルである。下手をしなくても凶器準備集合罪だ。  柴田は降りてきて大杉を一発ブン殴ると、すぐに搬入作業を始めて、負傷した木下を助手席に乗せた。 「無事な若いもんは歩いて帰れ」  柴田の命令で、他の学生たちはそれぞれ別ルートで王子駅に向かっていった。  その後、通報でやってきた警察の事情聴取が始まり、大杉はこっぴどく絞り上げられた。何度か大杉は音を上げて、「弁護士を呼んでくれ」としか言えなくなった。 「架空請求詐欺業者のアジトを特定したのは私です。鉄オタの知識がこんなところで役立つとは思いませんでした」  と、通報した徳井は署で得意げに話しては刑事にどやされていた。  この架空請求詐欺業者はかなりの件数で被害者を出しており、この集団を撲滅させたことに関してだけは大杉も警察から感謝されたらしいが、これは大杉が後日歴研の部室で自慢していたことなので、詳しいことは夕にもわからない。少なくとも署から感謝状の類は一切出ていないのが、大杉に対する当局の答えを無言ながら雄弁に物語っていた。     討ち入りから一夜明けた学園内は、すでに噂で持ちきりだった。  大杉が拳銃で敵を次々撃ったと言うもの、東雲は5人の架空請求詐欺業者を木刀でバッタバッタと打ち捨てたと言うもの、木下が大怪我をしたと言うもの、全ての噂話に尾ヒレと葉ヒレがついていた。  当の大杉はその日、授業を淡々とこなしていた。 「先生、架空請求詐欺の業者さんとはどんな戦いを見せたんですか?」 「何のことかさっぱりだ。君、そんなことより日本史資料集のページが違うぞ。何で江戸時代のところを読んでいる。今は縄文期だ」 「討ち入りっていうなら、元禄赤穂の……」 「だまらっしゃい。その場に起立。良いというまで座るな」  このようなやりとりを各学年の教室で繰り広げることとなっていた。  理事長に呼び出しを受けたのは放課後のことである。  大杉はどこから用意したのか、純白の(かみしも)を着込んで理事長の会見に臨んで行った。目撃した学生たちは、「今から切腹に臨む出立(いでたち)だったが、悲壮感というよりは一世一代の大仕事をやりきった男のような、どこかスッキリした表情だった」などと証言している。 「もしかしたら、先生は辞めようとしてるのかもしれないな」  部長の浅野が呟いたのを、夕たちは聞き漏らさなかった。  歴史研究同好会の面々は、放課後部室に集まっていた。何となく気になっていたのか、昨日討ち入りに参加した人間は勿論、参加しなかった人間、野次馬なども多数集まっている。 「ええ!そんな……」 「大杉先生は、着替え終えてこのPCで文章を書いているんだ」  浅野はPCを立ち上げると全員の方へ画面を回転させた。  ‘’辞表 私、大杉正義は、一身上の都合により日野出学園高等部の教員を辞職致します。  令和✖️年4月✖️日 大杉正義‘’  あまりにも簡単で無味乾燥な文面である。 「先生が辞めちゃうなんて、そんな……」  夕は震えていた。元はと言えば自分が大杉を焚きつけたのがいけないのだ。そう思っている。 「私、今度こそ理事長に直訴してきます」 「辞めさせないでくださいって?」 「そうです。今回のことは私が、私が先生を戦いに仕向けたんです!」  夕が全責任が自分にあると言おうとしているのを聞いて、由衣はたまらず反論した。 「そんなことない、私がそもそも架空請求詐欺の罠に嵌まらなければ済んだんです!みんな私が……」  夕と由衣はその場で泣き出してしまう。困ったなと浅野は頭を掻くしかない。 「大杉先生を頼ろうとしたのは私よ。貴女たちが泣くことないの」  そんな2人を慰めに入ったのは堺彩香である。 「今度は、理事長室に討ち入りね」  彩香の言葉に、夕は勿論、由衣も力強く頷いた。 「……よし、堺さん。悪いがTwitterに大杉先生の助命嘆願をする為に理事長室に行く旨を投稿してくれませんか。学内のフォロワーが何十人か来てくれると思うのです」  浅野は、決めると決断が早かった。恐らく考えていたものの賛同者がどれほどになるか分からず、タイミングを見計らっていたのだろう。 「分かりました」  彩香は早速スマホを操作する。 「この中で理事長室に行ってもいい者は、ついて来い」  浅野が立ち上がると、他の者も追随して行った。  理事長室の前に着いた頃には、半数は野次馬と思われるが黒山の人だかりができていた。  ドアは固く閉じられていて、生徒の侵入を阻んでいる。 「いつでも来い、ドアは開けておくと言った台詞をもう忘れたのかーっ」 「令和の田中角栄が聞いて呆れるぞー!」 「無理矢理お金を突き出して収賄疑惑を作り出してやろーか!」  ダメだ。段々悪ノリが過ぎて来ている。大体その場合贈賄した方も危ないではないか。  夕がヒヤヒヤしてる中、ドアがゆっくりと開いた。  立っていたのは大杉である。  一同は一斉に駆け寄った。 「先生、腹は切ってないですね⁉︎」 「辞めるなんて嘘ですよね? 辞めるなら歴研の部室にある新撰組セット下さい!」 「俺の恋愛の面倒を見てやると言ったあの言葉は嘘だったんですか!」 「お前、辞めるなら去年の有馬記念の借金ちゃんと返してから辞めろよ!」  いつの間にか柴田教諭がこの場に来ている。 「どう言う事ですか?」 「いやね? この外道、去年の年末俺に2万円貸せって言ってきたんだよ。有馬記念で倍にしてやるからとか言って。仕方なく貸したら、大穴が来て思い切り負けやがったんだよ。まだ完済してもらってないんだ」 「うわ、それは最低」  森本夕はあからさまな侮蔑の眼差しを大杉に向ける。 「ええい、だまらっしゃい!!今理事長先生と大切なお話をしているのに、何だ君達は」 「お前の事が心配でこうして来てるんだよ。分かれよこの借金野郎」  柴田教諭が夕達の前に立って大杉と対峙する。 「大体柴田は何でここに居るんだ。居るなら学生を解散させなさいよ。教師だろ?」 「お前に言われたかないんだよ借金野郎」 「だーっ! 借金借金とうるせぇっ! 大体てめぇは自分の悪行を棚に上げて何を善人ぶっているんだ! 18%の金利で貸しやがって!」 「日本の金利の上限は18%だ。法律は守っているぞ。何もトイチで貸してるわけじゃないんだし、悪行と言われる筋合いは無い!」 「ぎぎぎ……過払い金請求をしてやる」 「まず元本を完済しろ!借金は2万円だろうが。いい大人が、数ヶ月も経っているのに2万円も返せてないで、よくもまあ教壇に立てているもんだ」 「その辺にしておきなさい。ご両人」  大杉達の汚い会話が、部屋の奥にいる人物の声でピタリと止まる。  声の主は、入口に近づいてくる。夕は息を呑んむ。目の前に来た人物は理事長に相違なかった。 「大杉先生、ここまで生徒に慕われている君を懲戒解雇してしまったら、私は断頭台に送られてしまうね」 「は……恐れ入ります。あの様な罵詈雑言を理事長室の前であげるなど、言語道断。私の指導者として不徳の致すところです」 「令和の田中角栄だって?参ったね」  理事長は呵呵(かか)と笑っている。底知れぬ余裕の見せ方に、夕は戦慄すら覚えた。 「皆さん、私は何も大杉先生を辞めさせるつもりは無いんですよ。ただ、報告を聞いていただけです」  理事長はタブレットを掲げる。そこには討ち入りの際記録班が撮っていた映像が映っている。 「もし、重傷者や、死者が出ていたら私も辞めていました。しかし今回は、1人の重傷者もなく、死者も無かった。運が良かったと言えばそれまでですが、事前準備と皆さん一人一人の実力がもたらした完全勝利でした。理事長の立場では無かったら、私は今頃皆さんにハグして回っていた筈です」  彼が理事長の立場で助かった、と、夕は思ったが、勿論口には出さない。 「その勝利、運に免じて、大杉先生の懲戒解雇は行いません」  学生達は「ワッ」と湧き立った。大杉教諭が学校に残る。それだけで彼ら彼女らは有頂天になりかけている。 「懲戒解雇"は"」  理事長の含みのある言い方に、学生達はピタリと押し黙った。何を言い出すつもりだ、この狸は。夕は表情の読めない理事長の顔を恐る恐る見るしかない。 「大杉正義」  理事長がいきなり大杉を名指しした。 「はい!」 「理由は考慮するも、ご両親からお預かりしている、我が校にとって何よりも大切な学生30名を、犯罪者検挙のために動員するなど言語同断。半年間の減俸と、夏のボーナス完全カットを申し付ける! また、軽傷を負った木下君の傷の治癒と、その後のケアに尽力すべし。これは最優先事項である。木下君に関しては、大杉教諭のケアが適切なものでなかったと思った場合、いつでも理事長室に直訴に来て良いものとする」  理事長は署名捺印の入った書類を掲げる。 「ははっ。謹んでお受け致します」  大杉はその場に正座すると深く頭を下げる。その形が余りにも美しく、夕は一瞬見とれてしまった。 「そして、今回参加したすべての学生にも罰を言い渡す」  夕達「元・刺客」は背筋を伸ばした。 「よし、みんな入ろう」  浅野の言葉で、討ち入り参加者全33名が入室する。 「目的はどうあれ、住宅街での騒乱は許されない。よって、これから1ヶ月間、放課後に飛鳥山近辺の社会奉仕活動に従事し、当該地域の方々への謝罪、地域貢献を行うように。役所や地元の方には話を通してある」  ひええ…と、何人かが悲鳴を上げたが、退学よりはマシだと夕は思っていた。 浮かない顔をしているのは大杉である。
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